2017年8月31日木曜日

ある原爆被爆者の死と日本の平和主義

これは前回の記事の焼き直しです。一定期間後、前回記事は削除の予定です。

1)30日に十二指腸乳頭部がんで亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員、谷口稜曄さん(88)は癒えることのない傷を負いながら核兵器廃絶を訴え続けてきた。時事通信の配信したニュースである。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170830-00000052-jij-soci

1945年8月9日、16歳だった谷口さんは郵便配達の途中、爆心地から1.8キロの長崎市住吉町で被爆した。背中一面に大やけどを負い、生死の境をさまよった。2010年に米ニューヨークで開かれた核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、被爆者代表として「核兵器は人間と共存できない」と訴えた。(30日19時のNHKニュース他)

上記時事通信の記事には谷口さんの言葉:「アメリカではなく、核兵器が憎い。二度と被爆者を生まないために運動してきた」が引用されている。核兵器で一瞬の内に数万人を焼き殺す爆弾を同じ人間対して使うことを決断する指導者が、この世界にいるということがどうしても信じられないのだろう。

しかし、核兵器は日本人が憎くて、天から落ちてきたのではない。落としたのは紛れもなく人間なのだ。勿論、アメリカを憎むのは何の解決にもならないし、現在のアメリカ人の半数以上も核兵器の日本への使用を正しいとは言わないだろう。しかし、戦争を早期に終わらせる為に正しかったという人も大勢いることも事実である。

昨日の文章では、「日本人ほど論理的思考が出来ない民族はいない」と書いた。しかしその後、それは大半の日本人には当てはまっても、谷口氏には当てはまらないと思うようになった。あれほどエネルギッシュに核兵器廃絶運動が出来た人が、その程度の知性の筈がないからである。ただ、「世界の人も日本人と同じように考えてくれる」と思って、上記のような発言をしたのだろう。

17条憲法の第一条に「和を以て尊しと為し、さからうことなきを宗とせよ。人みな党あり、また悟れるものは少し」と書かれている。これは2000年近く言い伝えられた言葉であり、現在の日本人の骨となり血となっている。何度もブログ記事でそれは甘い考えだと言及してきた。

この言葉の意味を敢えて言い換えて見る。「人々は現時点では十分知恵がなく真理を知らない。その結果、異る主張のままグループに分かれている。だから、今の知恵のままに争うのは得策ではない」と説いている。聖徳太子は、一方が他方に屈するべきだとは考えていなかったのではないだろうか。

つまり、谷口氏の発言は、「米国が憎いと言ってしまえば、自分の運動の目的である核兵器廃絶は出来ない。米国も日本人も共に同じ人類の仲間であり、協力して核兵器廃絶に向かわなければならない」という戦略的なものなのだろう。それは、上記17条憲法第一条の考え方そのものである。

しかし、米国を始め一神教の文化圏の人たち、つまり世界の先進国の大半は、異る主張の者たちを抹殺してしまえば問題は解決すると考える傾向があると思う。それは、17条憲法と数百年しか違わない時に編纂された聖書の中の記述として屡々出てくる、“異教徒”との戦いと同じものである。日本国民一般も、性悪説と力の論理、或いは「戦争にチャンスを与えよ」が依然として国際政治の標準であると理解すべきである。(補足1)

核拡散防止条約は単に核兵器保持国のエゴイズムを裏書きするための条約である。そうではなくまともな条約なら、核保持国の核兵器保持の特権に等価な重い責任が無ければならない。つまり、北朝鮮への核兵器拡散を防止する責任があるのだ。しかし、それはできないだろうし、そのことはNPTは欺瞞的条約であることの証明となるだろう。

2)エドワード・ルトワックの「戦争にチャンスを与えよ」と言う本の中身は、欧米が中東やアフリカでの戦争に介入するのは得策ではないという意味である。それは単に“戦争ビジネス”に協力することに成ってしまうという警句であった。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43331789.html

19世紀のクラウゼビッツの戦争論にある、“戦争は外交の延長上にある”という考えは、今でも良く使われる。上記ルトワックの本の表題にある“戦争”も、そのような意味の戦争であり、それは現代発展途上国にのみ残された戦争だと思う。

何故なら、20世紀後半になって、核兵器の使用と国家体制の破壊が日本において行われ、“戦争”の意味が先進国では全く異なったものになったからである。第二次大戦は、ハルマゲドン的な21世紀型戦争への、遷移的な戦争だったと思う。

その巨大な武器による戦争と日本の徹底的な敗戦、そしてその後のマッカーサーの統治(補足2)は、明治維新以降自分のものだと思っていた国家の枠組みが、本当は偽物だったということを明らかにした。つまり、大日本帝国は西欧からの貸衣装を着ただけで、江戸幕府の日本と本質的に変わらなかったのである。(補足3)そしてその証明は、マッカーサー憲法を変更すら出来ない現在までの国会と日本国民の姿により為された。

谷口氏の考えは、経済のみならず世界政治までがグローバル化されていたのなら、有効だったかもしれない。未だ経済的にも政治的にも、世界は混乱の中にあり、唯一国家のみが民を“溺死”から守る船的存在である。従って、「アメリカではなく核兵器が憎い」という言葉は、日米の同盟関係強化の為なら、非常に有効だろう。

何故なら、米国の日本に対する憎しみと哀れみが混在した複雑な感情を消し去るのに寄与する可能性があるからである。米国にそのトラウマ的感情がなくなれば(補足4)、日本からは憧れと親和的感情が既に勝っているので、日米関係はより一層深くなる可能性が高いと思う。

兎に角、日本は平和的解決を全ての紛争や戦争において期待する国である。お目出度い国だというのも当たっている。しかし、日中和平交渉のときに鄧小平が田中角栄に言った言葉「今我々には尖閣問題を解決する知恵がない。将来の優れた知恵に期待しよう」的な対応、或いは上記17条憲法第一条の精神を、一神教の国も学ぶべきだと思う。

補足:
1)後述のようにルトワックの本の表題から採ったが、意味は多少ことなる。
2)第二次大戦後の連合国軍というか、実質的に米国軍の日本統治は、ある意味温情的なものであった。連合国軍司令長官のマッカーサーは、自分の考えた理想的な憲法を日本に与え、最終的には米国議会で日本の戦争動機を自衛の為だったと証言する程になった。
3)日本の再出発は、明治維新以降の歴史を再点検することに依ってのみ可能である。これは多分原田伊織氏の最近の雑誌サピオの記事の内容と同じだろうと想像する。(読みたいとは思っても、内容が想像の範囲だろうと思い買えなかった。)
4)第二次世界大戦は米国にとっても大変な戦争だったと思う。それは、日米ともにトラウマを抱えることになったとしても不思議ではない。しかし、日本国民が、憲法の非武装中立にしがみつく姿勢はトラウマではなく、上記のように江戸以前への本来の日本に戻ったと私は考える。

0 件のコメント:

コメントを投稿