2018年1月8日月曜日

核兵器禁止条約は可能か? 池上彰の核廃絶を訴えるインチキ番組について

1)昨夜、東海テレビの池上彰緊急SP「なぜ世界から核兵器がなくならないか」を午後9時から(後半部分)見た。そこで、中南米及びカリブ海諸国の核兵器禁止条約(トラテロルコ条約;1967年署名)を紹介していた。その他にアフリカやオセアニアも同様の条約を成立させているとのことであった。

このトラテオルコ条約の成立に尽力したメキシコの外交官のアルフォンソ・ガルシア・ロブレスは、1982年のノーベル平和賞を受賞している。この人の他に、世界から核兵器を無くする為の条約締結に努力すると発言したオバマ前米国大統領、今年のI CANなども、核兵器禁止関連でノーベル賞を受賞した。

アルフォンソ・ガルシア・ロブレス氏以外の上記人たちは、本当に核兵器廃絶が可能であることを信じ、それに貢献したいと思って運動したのなら、ノーベル賞を辞退すべきであった。そうでなければ、ノーベル賞を貰うためにやったとか、有名になるためにやったのではないか、という疑いをかけられるだろう。彼らが多くの人達がなるほどと頷く核兵器廃絶の方向を具体的に示さない限り、”彼らの核廃絶”は絵に書いた餅である。その絵に書いた餅で、一億円を超える賞金を手にした彼らを誰が信じるのか?それ(ノーベル賞辞退)をしなかった以上、十分知的なかれらは核廃絶など出来ないことが分かっていた筈だと私は思う。

トラテオルコ条約も、核の脅威に晒されれば崩れるだろう。その証拠の一つに、その条約締結の切っ掛けになったのはキューバ危機だが、そのキューバはその条約に加盟していないことが挙げられる。この様な言い方はしたくないのだが、核兵器を持つ能力の無い国々が現状を維持しようと約束したにすぎない。条約は撤退可能であり、日本など核の脅威に晒された国は、この条約を過大評価すべきでないと思う。

その後番組は、昨年の核兵器禁止条約に何故日本は参加しなかったのかについて、日本政府を批判する内容で進行していた。それは池上氏の単なる私的利益か政治的意図を持ったプロパガンダだと思う。何故なら、日本は既にNPT(核拡散防止条約)に参加している。非核保持国にとってNPTは核兵器禁止条約と同等の意味を持つ。核保持国を放置して、非核保持国の手足をNPTの他にもう一つの条約で二重に縛って得をするのは、現在の核保持国である。NPTの全文は以下を参照。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S51-0403.pdf

核兵器禁止条約は核保持国が互いに締結するのなら意味があるが、核保持国を除いてそのような条約の話をして、何の意味があるのか。菅官房長官の核兵器禁止条約に何故日本は参加しなかったかと問われた時の発言を、その主旨で受け取れば当然のものである。(補足1) 馬鹿とインチキ野郎(池上氏)の共演にはうんざりである。その様な議論を真面目にするのなら、西部邁や伊藤貫を参加させろと言いたい。

2)大きな仕事は何事も、緻密な計画を立てなければ不可能である。そしてそのスタートは、環境などの条件整備で始まるだろう。次に、実現のための材料や道具を揃えて、最後に計画書に沿って実行する。

核保持国らは互いに核保持を前提に外交関係を築いてきたので、いきなり核廃絶しろと条約書を突きつけても、参加出来る訳がない。昨年のような核兵器禁止条約の先頭に立つ国連も、その意味では一部の人間のプロパガンダ機関になっているという感じである。

現在ナショナリズムの方向に揺り戻されているが、グローバル化は核兵器廃止を含めて世界平和を目標に進められた計画と見ることができる。つまり経済のグローバル化の次の段階として、政治のグローバル化を進め、世界政府の樹立により世界平和を実現するのである。経済のグローバル化は、先ず戦争の原因である貧困を世界から撲滅することを目的として進められたと考えられる。世界政府という権威とそれに付随した権力が出来れば、核兵器の一元管理ができ、核の脅威からほぼ解放されるだろう。

勿論、経済だけに集中していたのでは、先進国での貧富の二極化が起こり、その企みは成功しないことが明らかになってきた。現在、そのような見方で経済のグローバル化を見る人は少ないだろうが、ロックフェラーの回顧録ではそのように書かれている。http://www.kanekashi.com/blog/2015/05/4175.html

私なら以下のように考える。核兵器の廃絶は、それが出来てしまった以上、それより強力な兵器が実現するまでは不可能である。また、テロリスト(必ずしも米国の定義と同一ではない)が核兵器をつくれる情況では、むしろ廃絶すべきではない。目指すべきは、核兵器の脅威を最低にすることである。

現在、不完全ながら国際的な権力として、国連の安全保障理事会がある。それを改革して、世界政府に育てることが最も有力な核の脅威を最低にする方法だろう。そこで、常任理事国の枠を広げて、国連を第二次大戦の戦勝国連合から、真に国際的な権力へ成長させる。それが、世界平和を目指すのなら、最初にすべきことだと思う。

この段階では、亡命政府的な世界政府だが、革命の最初のステップとして、亡命政府の樹立は考えられるステップである。その次に為すべきは、国連常備軍を設立することだろう。そこにいくらかの核兵器を世界の数カ所で管理するのである。それはテロリストや異常な指導者に率いられた国の出現に備えるためである。

その段階で始めて、現在数千発持つ米国やロシアなどの核兵器の廃絶を要求できるだろう。つまり、世界中の国家が核兵器廃絶条約を結ぶことが可能となると思う。

昨年のような核兵器禁止条約は、幼稚園児に量子力学を理解しろという類のものである。国連において真面目顔で核兵器禁止条約を議論していた人たちは、ステップ・バイ・ステップという原始時代に人類が得た知性すら無くしてしまったのかと言いたい。世界の全ての国が参加する核兵器禁止条約を議論する時間があるのなら、北朝鮮問題をどうするか議論すべきであった。前者を実現する知性と覚悟があれば、後者はもっと簡単な筈である。

日本政府の「自衛のための核兵器保持は、憲法に違反しない」という国会答弁も、現在の国際環境から考えて当然である。池上氏は最後に、「核廃絶の為に我々が持つ力は、微力であってもそれは不可能ではない」とか何とか言っていたが、その具体的な道筋を話さない限り、今後も番組を欲しいと放送局の経営者に言っている類の台詞に過ぎない。

補足: 1)番組では、「自衛の為の核保持は憲法違反なのか」という質問を白真勲議員が国会でした場面が出ていた。それに対する内閣法制局長官の答弁は、憲法はそれを禁止していないであった。質問者は、元在日韓国人であり、民進党の国会議員である。https://ja.wikipedia.org/wiki/白眞勲 因みに以前、政治家とマスコミ人には日本在住三世以降の人間しか登用してはならないと法で定めるべきだとブログに書いたことがある。

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