2018年4月19日木曜日

ハラースメントと犯罪を明確に区別すべき、また、セクハラ防止には男女双方向が努力すべき

人間社会は、色んな人がいて成立する。人間社会は非常に広く、その中で生きる人たちも様々な性格をもつ。職業により人の性質が変化していく場合もあるし、人の性格が幅広く分布しており、様々な職業に就くときに適当に性格に従って分配されるのかもしれない。

粗野な人、温厚な人、厳格な人、気の長い人、短い人、人が好きでやたらと距離を縮める人や、孤独を愛する人などなど。それら別種の人格(性格)を持つ人たちは、それぞれ気のあったグループを作って職場でその他の社会で生きて居るのが人の世界ではないだろうか。

それらの別種の人間が、ちょっと袖触れ合った瞬間に、片方は普通の言動や態度であっても、他方は非常に腹立たしく思う場合があり得る。それが、所謂ハラースメントと呼ばれる“イザコザ”だろう。それに対して国会が出しゃばって、更に、報道機関が金になるからという浅はかな動機で問題にしたのが、今回のセクハラ騒動ではないだろうか。

ハラースメントは原則関係者間で解決すべき問題である。この種の個人間の問題解決に法が出てくるのは、第二の段階である。つまり、法は最小の道徳であり、法で罰せられる以外の所謂ハラースメントは、第一に個人間で解決すべきである。

一方、法に触れる行為は処罰され、犯罪と呼ばれる。そのような行為なら、ハラースメントというわけの分からない外国語を使うべきではない。迷惑行為で、国会が占領されたり、行政府の事務次官を解雇したり、辞任を強要したりするのは異常である。野蛮国か、多数の他国のスパイが国家機関の機能を妨害するようになった、病的国家の出来事だろう。

また、職業にふさわしい人格、場所にふさわしいマナーはある。しかし、女性と男性が同じ空間で生活をし、仕事をする場合には、男性に相当の配慮が必要だが、女性にも同様の配慮が要求されるべきである。

セクハラは双方向から防止を考えるべきである。若い女性が、天下の公道をスケスケルックのミニスカートで闊歩するのは、男性に対するセクハラである。女性側にセクハラ防止の努力が足りないことを指摘したい。女性がセクハラで訴えられたという話を聞かないのは、単に行為の方向性によるのだろう。

また、仮にセクハラ等が発生しそうな場所に、それを起こしそうな人を採用した場合、そのセクハラ1-2件でただちにその人を解雇したりするのは、選任した側の責任を選任された側に押し付ける行為である。

兎に角、迷惑行為で人の人生を破壊するような仕置をするのは、独裁国家のやり方である。日本はマスコミ独裁なのか?

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