2018年7月18日水曜日

人間社会における英雄の役割と出現の理由

人は何故英雄を必要とするかなどについて、以下議論します。勝手に推理しただけのまとまりの無い内容ですが、今回はその前半のつもりです。 1)今年初めの大谷の人気はすごかった。アメリカ人も地元の人は大はしゃぎという感じだった。スポーツではないが、将棋の藤井7段の活躍と、それに伴う人気もすごかった。以前から、この「人気」の存在の背景に人の生物としての特異性が存在すると考えている。それについて書いてみる。

人氣選手などが生じる背景に、ヒトの英雄を欲する習性があると思う。それと関連して重要なのは、人類の歴史(そして文化)は、大勢の人間の支持を得た(祀り上げた)英雄により作られてきたことである。この歴史的英雄も、スポーツや芸能など限られた分野で生じる小型短期的英雄も、規模は異なるが同じ人の習性が発揮された結果だと思う。

大きな歴史的レベルの話としては、例えば、キリスト教の誕生がある。聖書によると、ヒトは迷える羊に、神が羊飼いに、それぞれ喩えられる。そして、神の声(福音)を伝えるために人の世に現れたのがイエス・キリストである。

キリスト教の開祖と考えられているイエスは、キリスト教徒から見れば神であるが、その外に居る人間には一人の英雄に見える。(補足1)イエスは人々の英雄を欲する気持ちに応えたので、人々はその人の下に馳せ参じ、迷いから脱する道を教えられたということになる。 

キリスト教徒にとっては、イエスは救世主(キリスト)であり、人々の迷える魂はイエス・キリストにより安定的に固定され、以後は新たな強力な英雄が現れない限り離れることはないだろう。(補足2) 

短くまとめると以下のようになるだろう:
英雄を欲する心は、人生における根源的苦痛に由来する。その苦痛は決して解消されることはない。そして、その苦痛の理由や解消する方法を考えることが悩みであり、その悩みを解消してくれるかもしれない英雄を探すのである。しかし、その苦痛は生ある限りなくなりはしない。釈迦牟尼が看破したとおりである。

2)人の迷いの本質について:
生命体は、物理的にも化学的にも常に不安定である。水、燃料、酸素、そして自身の補修材料の補給を受けることで、その命を維持している。それらのうち一つでも絶たれれば、命はたちまち消滅する。生命は、そのような不安定な存在ではあるが、二つの点で極めて安定にできている。それらは、その①生命を維持し②子孫を残すという性質であり、不安定な生命の中心にありながら、遺伝子に頑強に設定されている。

ヒトは誕生後に意識を持った時、母親と強く結びつき何の不安もないだろう。その後成長して、上記2点において明確な方向に向けて立っている自分を発見する。その後時間が経過しても、ヒトはその生に対して明確な目的も価値も見出すことはできない。

ヒトの持つ知性は、日常の中で例えばどこかに向けて進む時、何らかの目的を持って進む自分を自覚している。また、何かを作る時その用途を予め考えて作る。しかし、その知性が自分の生命と人生の目的に向けられた時、全く無力であることに気付く。そして、将来の死を自覚するのみである。

全ての作られた物には目的が存在する。もし創造主(としての神)が存在するのなら、ヒト(つまり自分)を創造された理由が存在する筈である。それを知らない自分は、一刻も早くそれを知っている方の下に馳せ参じるべきであると考えるだろう。一方、創造主が存在しないのなら、一体自分は何者なのか、何のためにこの世に生を受けたのか? と悩む。

そのような考えが、人生における迷いの本質だろう。そして、その迷いを解消するために、自分の生きる目的と方向を教えてくれる英雄、あるいは神を人は探すのだろう。

3)原始の昔に戻って、人生の悩みの発生を考える:
上記のような人生の迷いが生じるには、その出発点に自分の生命と人生の目的を考えるという動機が存在する筈である。何事も順調に行っている時、普通ヒトは何も考えない。他人の受ける苦痛なども、自分の体験を思い出すことや幼児期の教育などの疑似体験がなければ、思い及ばないのが普通だろう。

そこで、ヒトが自分の生命と人生の目的を考える動機を以下考えてみる。

人はその知性により、互いに密接に団結できるようになった。その結果、人以外の外敵と戦って生き延び、地表の主となった。人が地表にあふれるようになると、次の段階としてそれら団結したグループの間での生存競争が起こる。そこで、より高度に組織化された「社会」と言える団結構造を作った部族が、有利に戦いを進めることになる。そのためには高度な情報交換も可能なように言語が発達した。

その結果、この地表で生きる生命の主人公はヒトなのか、ヒトが作る集団なのかわからない状況になった。その後者の極端な見方をとると、社会が大きな生命体であり、個人はその中で機能化された細胞とみなされる。

一方、個人としての人間のダーウイン的進化は、それほど早く進まない。個人は依然、自分の利益と欲求を優先する遺伝子に支配された存在であり、社会の発展に貢献するという遺伝子は存在しない。社会は、大きく発展するに従い、独自にその社会自体の目的と欲求を持つかのようであり、個人にそれに従うように強制力を発揮するようになる。

その社会と個人の対立が、個人が自分の人生の目的を考える動機であり、悩みや迷いの根源である。そして、この社会のリーダーとなり、社会と個人の仲介役としても働くのが、英雄である。

(以上、中途半端ですが、ここで今回は終わります。次回できれば、この続きを書きたいと思っています。)

補足:
1)イエスの弟子たちや大衆への語りをまとめた聖書の編纂や、キリスト教会をつくり大きな教団として育てたのはパウロだと言われる。http://mrtoris.jugem.jp/?eid=430に面白い話が掲載されている。
2)魂が固定されるとは、人生の悩み解消のリーダーとしてその英雄を選んだという意味である。宗教的意味があるので、そのような言葉を選んだ。
3)仏教では生即苦であり、キリスト教でも天国に入るのは死後のことである。

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