2018年8月27日月曜日

白磁技術の西欧への伝達について

陶磁器シリーズの6回目である。今回は中国で始まった白色磁器製造の技術の西欧への伝搬をテーマにしたい。素人の覚書ですので、中途半端です。 白磁技術は中国で古くに始まり、特に宋代(13世紀まで)の景徳鎮で焼かれたものが有名だった。中国から朝鮮、そして16世紀には日本に伝わった。日本では、秀吉が朝鮮に出兵した際、朝鮮人や中国人の陶工(ウィキペディアの伊万里焼参照)を連れ帰ったのが始まりだという。(補足1)17世紀に入り、北九州有田に良い原料石が見つかったとのことで、日本初の白磁の製造が1616年に有田で始まる。https://www.asobo-saga.jp/search/detail.html?id=2

オランダの東インド会社が、伊万里港で磁器を買い入れてヨーロッパに運んだのは、1650年ごろの話である。上記のサイトではマイセンに技術が伝わったのは、伊万里焼経由であると書かれている。それを契機に、ヨーロッパで白磁の開発が始まる。ドイツのマイセンで成功するのは1710年であるが、独自の技術を秘密にした。それがドイツ第二の古窯ヘキスト(フランクフルト)に伝達され、製造が始まったのは1746年である。マイセンを逃亡した陶工が始めた。技術が漏れるのに、36年を要したことから、初期の厳格な技術管理が想像できる。

16世紀は大航海時代なので、その製品は東アジアから西洋各地に持ち込まれただろう。その後、オーストリアのアウガルテン(1718)、イタリア(1720)、フランス(1730)、そしてイギリス(1743)で白磁製造が始まる。夫々の国の現在のブランドでは、リチャード・ジノリ(伊1735)、セーブル(仏1756)、ロイヤル・ウースターやロイヤル・クラウン・ダービイ(英1751;1757)などが有名である。

その後、フランスではリモージュ地方、英国ではスタッフォードシャー(Staffordshire; スタッフォード州)で、多くの著名なメーカーが窯を拓く(補足2)。

下は、日本のイマリを模した、ロイヤルクラウンダービイのImariである。他のメーカーにもイマリを模したモデルがかなり存在することから、伊万里焼(つまり有田焼)が西欧磁器に与えた影響の大きさが伺い知れる。

白磁の窯は、1744年にロシアでも作られたというから、東や北への伝達も早い。しかし、著名なブランドは18世紀末になってから出来る。遅いのは、東や北では経済の発展が遅かったからだろう。市場がなければ技術は発達しないのである。現在のメーカーでは、北方デンマークではロイヤル・コペンハーゲン(1775)、東方チェコではHaas&Czjzek(1792)、またハンガリーではヘレンド(1826)が著名である。Haas&CzjzekとHerendの最近の製品の例を下に示す。

ドイツの南では、オーストリア(1718)やイタリア(最古はVeniceporcelain、1720)で早くから白磁製造が始まった。ただ、イタリアなどドイツから離れた国での白磁技術の再現は、東アジアからの製品や知識を元に独自になされたのかもしれない。

白磁の技術は西の方向にはかなり早期に伝達されたが、アジアから伝達されたにも拘わらず東方には伝達が遅かった。その事実は、ヨーロッパのドイツ、フランス、イギリスなどは非常に蜜な経済交流があったことを裏付けていると思う。

最後に示した写真は、デンマーク第二の古窯であるBing&Grendahlのカップ&ソーサー2点である。図中に1853と記したのは会社の創業年であり、これらのカップは極新しいものである。

補足:

1)ここでも拉致か亡命かで、論争が起きそうである。数百人が来日したといわれており、その全員が拉致とは考えられていない。
2)フランスのリモージュでは、アビランドなど多くのメーカーがリモージュを看板にしている。英国では、スタッフォード州の領域北部に位置するStoke-on-Trent市がロイヤル・ウースター、ウェッジウッド、スポード、ミントンなどが窯を拓いた場所であるが、Stoke-on-TrentやStaffordshireを看板にしていない。Stoke-on-Trent市は英国陶磁器産業の里である。

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