2018年10月27日土曜日

海外での邦人保護についての私の考え

昨日のブログに、安田純平氏の拉致被害について議論した。そこで、以下のように書いた。

「退避勧告が出された地域に取材に入ったので、拉致被害にあったことの責任は自分にある。ただ、個人の自由として退避勧告が出た地域に取材に入る権利は存在する。その権利まで否定するニュアンス(補足1)で自己責任という言葉を使っているのなら、それは間違いである。」

上記表現には多少誤解を招く部分があるので、もう少し書き足したい。一般論として、言うまでもなく、外国は日本の法令の適用外地域である。従って、外国に入国した後の旅行者の権利義務は、その国の法令によって決められる。

外国にいる日本国の外交官の仕事も、日本国民の生命保護などの為にするべきことが規定されているだろうが、保障までは不可能である。外国政府には、パスポートに書いてあるように、政府が設定した関門を、障害なく通過できるように配慮してもらうのが関の山である。つまり、外国での滞在は、最終的に自己責任でしなければならない。

今朝の読売系のテレビ放送「ウエイク」で橋本五郎解説員が、「日本政府はどの様な手段でも駆使して、邦人の保護をしなければならない」と言っていた。私は、この方は何もしらないか、大嘘付きだと思う。そんなに親切にはしてくれないのが普通である。(補足2)

更に、日本国内でも命の保障を含めて、基本的人権を享受する権利を示した条文は、日本国憲法第3章以外にはないと思う。(補足3)しかし、それは国家権力が、基本的人権の享受を妨げないという意味であって、一般国民の間のトラブルや天然災害を対象にしたものではない。(補足4)

国家は、発生した人権侵害の排除、捜査、侵害者の処罰はするだろうが、人権侵害を防止できなかったことの責任は取らないだろう。ある人に対する人権侵害を完全に予防するためには、その他の人間の自由を束縛することになるからである。

補足:

1)「人騒がせな」という非難や、「お騒がせして申し訳ありませんでした」という謝罪は、この自由と矛盾する。

2)私の経験(1987年)を書く。ソ連のノボシビルスクでの学会に参加するために、モスクワで迎えを待ったのだが、夜が近づいて来るのに迎えが来なくて困った時、大使館に連絡した。そのとき「あなたのパスポートは何色ですか?」と問われた。「赤色です」と答えたところ、「公用パスポートではないので、コチラとしては何ともできません」と撥ね付けられたことがあった。

3)憲法第11条:国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。憲法に記載がなくとも、自然権として基本的人権は当然存在すると考える場合も多い。

4)刑法第199条に「人を殺したるものは、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」とあるが、それは罪人を罰する法律であり、人の命の保障を示した法律ではない。更に、人を殺すことは悪であるという道徳を示したものでも、更に、人を殺してはならないという宗教的指示でもない。単に、裁判官に対する指示である。

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