2018年11月9日金曜日

外国人労働者の受け入れの前に日本の労働文化を見直すべき

1)安倍政権は、外国人労働者の受入枠拡大のための法令を、準備しているようだ。単純労働者を大量に入れることになるかもしれないのに、殆ど国民的議論のないままにそれを推し進めようとしている。在留資格として、専門性の高い職種のほか、特定活動従事という訳のわからない資格を設けて、要するに単純労働の長期在留者を作ろうとしている。それが一つの移民制度でなくて何なのか。(補足1)

日本の政府は、差し当たり労働者が必要だからという理由だけで外国人を受け入れるべく、なるべく有権者の反発を招かない文言で法令をつくるつもりだろう。しかし、それが将来的に移民に変身する可能性があるのなら、最初から移民制度として考えるべきである。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181109-00184845-diamond-bus_all&p=1

現状で移民を受け入れれば、日本社会は諸外国以上に不安定になるだろう。日本が、個人主義文化の国でないからである。会社の採用のあり方や就労形態を見ても、諸外国とは全く異なる。会社への就職は、主従の関係樹立であり、労働力を売り買いする契約ではない。そこに単純労働の外国人を実習生や短期雇用の労働者の形で入れれば、大きな不満を生じることになるだろう。その不満を持った多数の外国人が発生すれば、将来国際問題の火種になる可能性すら存在する。

70年以上も前の徴用工問題で、日韓の間に修復不可能な亀裂が生じようとしていることを、どう考えているのか?

一定数以下の少数の外国人なら、ローカルな努力が社会全体の問題になる前に、不満を吸収できるかもしれない。しかし、多数の外国人在留者が一定の社会的勢力にまで成長すると、現在の日本文化と致命的に衝突し、社会全体が不安定となるだろう。その事態になれば、治安の悪化や様々な社会的コストの増加で、日本の政治経済は破壊される可能性すらあると思う。

世界の中の日本を考える際、日本独特の文化をそのままにして、国際化社会に生きることは出来ないだろう。その議論を先ずしてから、外国人労働者の受け入れを考えるべきだと思う。

2)労働力の不足の問題も、総合的視点にたって問題点を整理しなければ、真に国家の利益となる様な解決法は見つからないだろう。経済界の一部から強力な圧力が政権側にあったのだろうが、その企業のエゴイズムに屈する形での法令改正は、国民への背信行為である。

先ず、労働力は何故不足しているのか?という問題を考えるべきである。GDPはこの20年間ほとんど増加していないのに、何故労働力が不足するのか。GDPが一定であり、労働生産性が減少した訳でもないのなら、通常労働力不足は考えられない。(補足2)

突然経済成長が始まった訳ではないのだから、老齢人口の増加と若年労働力の不足が原因だろう。しかし、それは本質的な労働力不足ではない。労働力があるにも関わらず、それを有効利用していないだけである。

もしそうなら、日本独特の中世的な労働文化を廃止して、西欧と同じ様にすれば問題は解決する。それは、会社と従業員の関係を、労働力の需要側と供給側という普通の関係にするだけである。そうすれば、定年制廃止がただちに可能であり、大量の「労働市場に提供される労働力」が発生する。(補足3)

また、その労働文化の改革により、若年労働力の不足も解決する可能性がある。何故なら、高校や大学の卒業生にとって、就職の意味が大きく変化することになるからである。大手企業と封建的な関係を結ぶわけでないのなら、一流大学に入学していなくても、自分の技量と能力を示せば、就職出来るはずである。就職という点だけなら、90%の仕事において大学教育など不要だろう。相応の中等教育と社内研修で済むだろう。(補足4)

大学進学率が日本や韓国で非常に高く、社会が学歴に異様に拘るのは、22-3歳のときの一流企業への就職が人生を決めるからである。人生は80年と長いのに、何故その大学に入る前の5年間ほどの努力、つまり体力と執着力、で全てが決まるのか?

米国では、仕事にアプライする際、履歴書に年齢は書かない。そして、年齢差別は強く禁止されている。雇用関係を、純粋に労働の需要側と供給側の関係と捉えることで、労働力の再配分の能率を上げているのである。まさに、適材適所がネチネチした人間関係に邪魔されることなく達成される社会なのである。 http://www.dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3509534_po_r070601management.pdf?contentNo=1&alternativeNo= 

そのような労働文化であれば、パワハラなど生じる素地はなくなるだろう。そのような上司の下には優秀な労働力は自然と来なくなるからである。無駄な高等教育もなくなり、大学に就業している教員や事務員が多数、企業に流れることになるだろう。

老齢の者も、そのような社会になれば、自分の能力を客観的に把握できるようになり、相応の社会貢献も可能になるだろう。定年後の優れた能力をボランティアとしてのみ用いるのは、もったいないと言える。

そのように考えれば、外国人労働力など、経済成長しない現状では日本に不要だろう。そして、経済成長は労働生産性の向上によりなされるべきである。その正常な経済成長なら、尚更外国人労働者は高度な人材に限る事が可能となる。

補足:

1)この法案を読んだことがなく、報道された記事の概要だけで議論しています。間違い等の指摘があればお願いします。

2)給与は労働生産性と比例関係にある。給与が殆ど一定であるから、労働生産性が減少したわけではない。

3)前日まで年俸1000万円の労働力が、突然ゼロ近辺まで落ちるのが定年制である。それは、労働力の対価として給与があるのではなく、椅子に給与が張り付いていることを示している。日本では、この種の多数の椅子が社会を硬直化させている。それに気づくべきだ。

4)前の記事でも書いたが、佐藤優氏が日本は学歴社会ではなく、入学歴社会だと言っていた。つまり、一流と言われる大学を卒業して一流の学力をつけることが社会で成功する鍵ではなく、一流と言われる大学に入学することが成功の鍵だとうのである。華々しい人生は、一流の高等教育ではなく、私立中高一貫教育を受けた中等教育によりもたらされるのである。

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