昨日の辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票についての意見を書く。沖縄県民の感情に配慮すれば、非常に書きにくい内容である。沖縄県民の考えと本土人の考えに或る種のズレがあることは事実だろう。しかし、沖縄県民の考えをどの様に国政に反映するかは、本土の人間も十分に考えるべきことだと思う。ただ、今回のケースを特に法的側面から批判することは、日本を取り巻く現在の非常時に近い世界情勢から考えて、差し当たり必要だと考える。
1)辺野古の米軍新基地建設に必要な埋め立ての賛否を問う県民投票が24日行われた。この投票は、埋め立てに「反対」、「賛成」、そして「どちらでもない」の3択方式により行われた。沖縄タイムズの記事によると、開票結果は以下の通りである。埋め立てに「反対」は43万4273票に上り、投票総数の71・7%を占めた。「賛成」は11万4933票で、「どちらでもない」は5万2682票だった。投票資格者総数は115万3591人で、投票総数は60万5385人。投票率は52・48%だった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190225-00388970-okinawat-oki
この住民投票には不自然さがある。重要なのは、住民投票に法的根拠がないこと、つまり結果に法的拘束力がないことである。それと関連するが、投票の選択項目の建て方が、何を問うているのか分かりにくい。住民投票を考えた人の目的と、質問の建て方との間に微妙なねじれがあることなどである。
質問がこの記事の通りなら、「埋め立てが反対かどうか」を問うている。埋め立てが米軍基地移設に必要なら、何故「米軍基地移設に反対かどうか」を問わないのか。国家が米軍基地の辺野古移設が安全保障上必須であると結論して進めているのなら、地方自治体にはそれに反対する根拠はない。住民には反対の意見を本来の方法で表現してもらいたい。
つまり、国政選挙での意思表示などは勿論だが、住民には他にも多くの方法で自分たちの考えを訴える方法があると思う。例えば東京の国会議事堂前でデモをするとか、全国の住民に討論を持ちかけるとか、を考えるべきである。また、当然のことだが、この問題は全国民が自分の問題として考える義務がある。
県民投票の質問形式に戻る。「普天間にある基地の移設に反対かどうか」を聞けば、移設には賛成の意見が増加するだろう。今回の「埋め立て賛成」の票よりも賛成派が増加することを危惧したのだろうが、辺野古埋め立て反対派には、サンゴ礁を保護すべきという立場から反対する人も含まれる。一般に趣旨が明確ではなく、立場によって複数の意味が生じるような質問は避けるべきである。また質問の選択肢を、投票者の回答をある方向に誘導するように建ててはならない。今回の住民投票はその禁忌を犯していると思う。
2)国民投票には、法的な裏付けがなければならない。そして、質問形式(選択肢)は、明確に単一の意味しかもってはならない。また、国民は投票にあたって、汎ゆる側面から今後の自分への影響を考えて、厳粛に投票に参加しなければならないと思う。(補足1)
住民投票も同様である。今回の住民投票が県の公金を用いてなされたからには、法的意味付けがなければならない。沖縄県民条例に基づいてなされたというが、その投票結果に法的拘束力がないのなら、その条例自体に違法の可能性がある。
つまり、法的拘束力のない住民投票は、県の公金を用いた「国政に反対するデモ」ということになる。今回の沖縄のケースは、国家の安全保障に直接関係があるので、住民投票と国政の関係が議論しやすい。今までに行われた他のケース(補足2)も突き詰めれば同じ疑問を生じるのだが、この類の住民投票の合法性の問題は、「地方自治体がその予算を用いて、国家からの独立を問う住民投票を行うことが許されるのか?」という問題に帰する。(補足3)
当然、許される筈がない。その様に考えれば、日本国政府は本来、この住民投票の違法性を裁判で問う必要がある。何故、新潟のケースでそれを行わなかったのか?政治家と官僚の力量に疑問を持つ。
14:10 編集あり(補足1を追加;従来の補足の番号付け変更)
追補(2月27日20時):
沖縄県は、「普天間にある基地の移設に反対かどうか」を聞けば違法になるから、県知事の権限内にある、ある「海の一部を埋め立てること」に反対かどうかを問う選択肢にしたのだろう。
しかし、埋め立ては既に国行政の一環として実施しているのだから、その選択肢の建て方は論理的におかしい。意味のある選択肢としては、「国による埋め立てを中止すべきかどうか」が考えられるが、それも国政への干渉となり違法となるのでできなかったのだろう。何という姑息な知事だろうか。どこかの国のスパイのように見える。
補足:
補足:
1)英国は国民投票でEUからの脱退を決定した。しかし、その経済への影響などが明らかになってくるにつれて、国民は戸惑っているように見える。もし、今再度国民投票をすれば、脱退反対が多数を占める可能性が高いという観測も多い。それが間接民主主義の国で、国民投票を行うことの危険性を示している。国民一人一人が十分な知識を持っていない時、そして、その無知の状態からの脱却をする努力が十分成されていないと考えられる時、直接投票で国政上の判断を問うのは、間接民主主義で選ばれた大統領や国会議員たちのサボタージュに等しい。
尚、国民投票をやり直すことは、民主主義の自殺行為である。唯一ありえる方法としては、前回の国民投票に何らかの欠陥を見つけて、最高裁判所が論理的に国民投票の無効を宣言することが出来れば、再投票は可能だろう。(14:08追加)
2)新潟県巻町(現新潟市)で平成8年に原発建設の賛否を問うた住民投票が行われた。このケースも国政に関して賛否を問う住民は皆同じ問題を持つ。https://www.sankei.com/politics/news/181026/plt1810260036-n2.html
3)この件、クリミヤでの住民投票を思い出す。あの住民投票ではロシアが恐らく背後に存在しただろう。今回の住民投票の背後に中国が存在していないと言えるのだろうか?
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