2019年3月24日日曜日

日本文化の創造性について:原点からの思考の重要性

欠点の指摘には二種類ある。改良出来る欠点についての指摘と、どうすることも出来ない欠点の指摘である。前者を歓迎し、後者を無視するのが賢者の知恵である。日本人でありながら、いつも日本の劣った点を記事にしているのは、日本が心配だからである。

日本人の多くはテレビの軽薄な番組のせいで、日本の創造性について過信している可能性があるので、少し反対の見方を書いてみる。その類のテレビ番組とは、日本の道具や伝統技術を外国人に紹介する番組等である。(最初、youは何しに日本へ?が高い人気を獲得して、類似の番組が多くなった。(補足1))

日本文化の創造性における弱点は、受け入れた文明の利器や制度の原点に戻って、その動機を含む歴史を確認しないことだと思う。原点に戻らない文明は、猿真似である。日本には猿真似の類が山程ある。それは、外国を少しでも見た経験があり、相応の感覚を持った人には分かるだろう。

例えば、学校などの時間を知らせる鐘の音は、ほとんど澪標の鐘のメロディーである。電子化された装置では、どんなメロディーでも発生可能である。何故、どこもかしこも同じ鐘の音を用いるのか? https://www.youtube.com/watch?v=cBVUj4CTdnk

この鐘は、子どもたちが不良少年にならないように、せめて午後10時には家に帰るようにと、その時刻を知らせるために設置された。大阪の婦人会が寄付を集めて大阪市庁舎に最初設置されたという。私もこの鐘の音の由来を知らなかった。https://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000023621.html

このことに疑問をもったのは、ある米国の大学で開かれたセミナーに一人で参加した時である。その大学の時計台から流れる鐘の音が、いろいろ変化することに気付いた。ある時、その中に聞き慣れた日本のメロディーがあったからである。

この時、もう一つ面白い経験をした。帰りが早朝出発の飛行機となり、シャトルバスでは間に合わないので、タクシーの手配をホテルにしてもらった。

無事タクシーが到着した次の朝、車が日本のようにセダン型でなく、ハッチバック型だったことに先ず驚いた。更に、一直線で空港に行ってくれるものだと思っていたら、途中で客を拾ったので、またびっくり。最終的に4人程の相乗りとなり、空港についた。

そのタクシーにはメーターがない。お前は15ドル、お前は10ドルと、運転手に言われるままに料金を支払った。田舎町の飛行場から早朝発の飛行機に乗る目的だったので、何の不満も無かった。結局、安く飛行場まで運んでもらった。日本にこのような柔軟な発想があるだろうか?

交通の件で、もう一つその時から四半世紀前の経験を書く。(自分の大きな欠点として、心理的スケールが小さいことがある。その結果、外国に出るのを嫌う傾向があるので、乏しい経験から拾うことになる。)それはポスドクで滞在した国の市内バスでの経験である。

ある路線から別の路線に乗り換える時、Transfer pleaseと言って、乗り換えチケットをもらう。そうすると、一回の市バス運賃で、別の路線も利用して目的地に行けるのである。この制度は今生きているかどうかはしらない。

路線図は、最も適当と思われるところに最初設計するが、個人の目的とは必ずしも一致しない。つまり、同じ交通機関を使い、同程度の距離を移動するにも係わらず、料金の上で個人の間に大きな差別が生じることになる。その差別が、この乗換チケットで解消されるのである。日本国内での同様の差別に日本人は気づくだろうか?

2)個人の間で様々な不平等が生じていても、我慢すれば良いという日本人の習性は、集団で何かを成し遂げるときには大きな力となるだろう。しかし、高度に発展した文明の世界で、更にそれを変更修正して新しい時代の変化に順応し或いは主導するには、全ての個人(政治的経済的実権者)が原点からの思考を身につける必要があると思う。

みおつくしの鐘には、最初明確な目的があった。単に時間を知らせる目的で鐘を設置する時、メロディー可変型にするか固定型にするか、後者なら何をメロディーとするか、などは原点に戻って考えるべきである。その原点をたどること無く、日本の多くの小学校の朝の鐘の音に、同じメロディーの鐘の音を用いているのである。

これと同様のことは、これまで取り入れた西欧文明全てについて言えるだろう。そもそも、憲法とは何か、議会とは何か、民主主義とはなにか、それらはどのような経緯で採用され、何を目的にどのように運用されているか? 今でも遅くないから、それらも原点に戻って考えるべきである。 この原点に戻る習慣が日本にないのは、日本では明確な目的を以て専門家を育て、上手く使うという文化に欠けるからである。(補足2)これはアジア全体について言える可能性が高い。つまり、明治の時代から西欧文化を猿真似しているのである。そして、現代の非常に危険な傾向として、大衆の支配下に入った世界の政治は素人化していることである。

米国のトランプ、フランスのマクロン、イタリアのマッタレッラなど、更に、韓国や日本のトップも同様である。今朝のヤフーニュースでは、イタリアが一帯一路で中国の借金外交を受け入れるというニュースが流れている。専門家のプーチンや習近平には(何を専門とするかは夫々が考えてほしい)、素人集団のG7は敵わない可能性が高い。

補足:

1)この「youは何しに日本へ」に続くのは、「来たのですか?」である。https://www.tv-tokyo.co.jp/youhananishini/ 日本が世界から興味を持たれているという、視聴者大衆の優越意識をくすぐる目的の愚かな番組である。

2)広範な現代文明では、専門家をそだて専門家を上手く利用しなければ、国家の運営はできない。憲法には憲法の、歴史には歴史の、糖尿病には糖尿病の専門家が必要である。これらの間に無数の専門家が存在する。それらを育て、使い、適当な待遇を与えるシステムを作るのが、国家の大事な仕事である。
昨日のテレビ番組で、iPS細胞でノーベル賞を受賞者した山中教授が出演され(辛坊治郎司会の番組)、日本の大学教員の50%以上が非定期雇用の身分であり、研究補助員の80%以上が同様であると紹介されていた。専門家を軽視する日本の文化を象徴している。

その一方、先日東京都23区内にある、留学生を集めるビジネスに組み込まれた三流大学から数百名の外国人留学生が失踪しているとのニュースがある。そこにも多額の私学助成金が国庫より支払われている。https://www.businessinsider.jp/post-187740
この政治の貧困が現在の日本の姿である。日本が明治以降取り入れた政治システムの原点は一体何なのか?目的は何なのか?そんなこと考えもしない国会議員は全議員の95%以上だろう。本当に情けない。日本も韓国(昨日の記事)も似たり寄ったりであり、目くそ鼻くそを笑うの愚を冒している人が、独創性のない日本の評論家には多い。(因みに、日本の主な大学には、政治学科は有っても政治学部はない。)

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