2019年4月25日木曜日

「日本に本当の国家主権はあるのか?」というチャネル桜の議論について

1)チャネル桜では、「日本に本当の国家主権はあるのか?」という番組を作り、youtubeで公開している。出席者は小堀桂一郎、加瀬英明、古森義久、馬淵睦夫、西岡力、室伏謙一、浜崎洋介の七氏である。1時間目までを聞いた範囲では、問題点を裾野から広く捉えていないと感じた。https://www.youtube.com/watch?v=e6Rivki3O9k

最初の各自の主張を簡単に述べる段階で、概ね以下の結論に達している。憲法9条第二項に「国の交戦権はこれを認めない」とある。また、国際ルールである主権国家体制の下では、戦争は外交の延長上にある。憲法の上記規定とこの国際ルールを並べれば、日本はまともに外交ができない国、つまり明確な国家主権を持たない国であることは明らかである。

一方、戦後から現在まで75年間、その憲法を守ろうとする日本国民の意思がある。つまり、憲法改正案が国会に未だ一度も出されていない。それらには、全ての出席者が同意しているようである。しかし、そこからの議論はあまり建設的ではないと感じた。

日本が国家としての体をなしていないと指摘することの他、その原因をもっぱら第二次大戦後のGHQの日本統治と日本のメディアに求めている。彼らが、日本国を骨抜きにした結果、このような体たらく日本が出来上がったのだというのである。そのような把握の結果として、小堀桂一郎氏らは骨抜きにされる前の日本を復活させることを考え、司会の水島社長も天皇を中心とした国家体制の復活を主張するのである。

過去の政治に何の反省もないのなら兎も角、あの戦争はやってはならない戦争であったことを承知しているのなら、その原因追求が先だと思う。それをしないで、憲法を改正して戦争のできる国にするというのは、少なくとも、日本に住む日本国籍の人たちの総意ではないだろう。上記2名の他も、憲法9条第二項の破棄と天皇元首制の復活という考えには反対意見は出なかった。

恐らく、比較的若い浜崎氏や室伏氏など、2、3名は、天皇元首制に意見があるだろう。もしそうなら、何故小堀氏が天皇制の復活を言った時、それは違うと反論を出さないのか?その通りだとも、それは違うとも言わない。この議論を避ける文化が、日本の最大の問題点だと私は思う。

2)過去の戦争は間違いであった。その間違いには理由がある。その理由を十分考えもしないで、現在の日本に国家主権がないから、過去の体制に戻るべきだというのは自殺行為である。

“明治維新”の当事者である薩長や岩倉具視など下級貴族たち(一世)の成した近代化は評価できるだろう。しかしその後、日本の国家体制に進化がなかったのが、第二次大戦での大敗に結びついたと私は思う。日本という国は、多くの指導者たちの模索と議論で、つまり自分の力で、徐々に変化する能力に欠ける国である。そのことに気づくべきだ。

それは、いまだにチャネル桜のこの三時間番組に、加瀬秀明やら小堀桂一郎といった老齢の方々が、もっとも大きな権威で登場していることと相似的である。これは、米国ウェスティングハウス社を子会社化し、その結果東芝を倒産の危機に追い込んだ中心人物が、高齢であるにも関わらずその後日本郵政の社長に就任し、やはり海外企業の買収を指揮し巨額(4000億円)の損失を出す結果を招いたこととも、相似であると思う。何故、このようなことが日本で起こるのか?https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51771

明治初期の改革には天皇の助けが必要だった。そこで、錦の御旗を偽造し、同盟諸藩の有力大名にまで暴力をチラつかせて、薩長の若手と京都の下級貴族らが結託して権力を掌握した。次に、その天皇から乳離れする段階を、次の世代が達成すべきだったのだが、組織の健全な新陳代謝が行われなかったから出来なかったのだろう。

つまり、日本は、欧米諸国の東アジア進出の時代を、江戸時代の地方に育った優秀な人材を中央に集結することで乗り切ることができた。(補足1)そのために制定したのが大日本帝国憲法であった。しかし、世界が急激に変化するなかで、その憲法を改正してそれに適応することが出来なかった。それが、日本没落の原因だと思う。この番組の出席者は、その事に無頓着に昭和以降の議論をしている。

3)明治憲法の第3条「天皇は神聖にして侵すべからず」や第11条「天皇は陸海軍を統帥す」などは、それらは明治維新の時に天皇を利用して、国家を統一する必要性から導入されたものだろう。(補足2)昭和天皇は、実際には自ら国家の政治において指揮をとったわけではない。しかし、上記2条文などを保持する限り、天皇の権力の不正な利用を狙う連中が出てくるのは当然だろう。(226事件や軍の暴走など)

軍の暴走は権力の横取りであり、それを防止できなかったのは政府中枢が無能だったからである。その原因究明とそれに基づく政治制度改革などを疎かにして、天皇を国家元首にする憲法改訂は日本の自殺行為だと思う。つまり、憲法改正よりも、拉致問題よりも、何よりも優先すべき問題は、政府に如何にして優秀な人材を集めるかを考え、その改革を急ぎすることである。

その問題のまとまった議論は今後に残すが、何度かこのブログでも書いたことを繰り返す。選挙区を道州制にして、一票の格差を完全撤廃する。この選挙制度改革は、地方の利権と中央政府の政治との間に距離をとることを主目的とする。更に、中央政府の機能を外交や治安などの限られた分野に限る。道州政府が成長すれば、互いに切磋琢磨することで、日本は活気付くだろうと思う。今回はこの点の指摘だけにする。

最後に一言だけ追加したい。それは、上記問題等いろんな問題を考えた時、何時も「日本には議論の文化がない」という基本的問題にたどり着く。其の議論なき文化の国、閉鎖的な組織の国から、議論のある開かれた組織の国への脱皮が如何にして可能になるかを考えるべきである。

日本においては、凡ゆる機関の中枢は閉鎖空間を成している。それら組織の人事は、万世一系の天皇家と同じように、人脈で継承されていく。そこには仕事の評価とその人事への反映などの組織改革のメカニズムは殆ど働かない。それが現代の成長なき日本の姿でもあると思う。これが上に述べた東芝の他、シャープ、日産自動車などの没落の図式と同じだろう。(補足3)

議論のない文化圏では、人を外面(学歴、家柄、人脈)で評価し、内面の能力や仕事上の実績を積極的には評価しない(評価できない)。それが改まらない理由は、内面を評価するには、対話と議論が必要であり、そして、対話と議論は評価する側も評価される危険性があるからである。外面を評価されて中枢に座る連中が、そのシステムになれば危険に晒されるのである。

補足:
1)江戸時代は封建制度という地方分権の政治制度をとっていた。その中で自立心が強かったのが、薩摩や長州という外様大名の国だった。薩長は生き残りの方法として、京都の貴族との連携もしっかりとっていた。薩摩と島津家、長州と三条家などである。この地方分権的幕藩体制を遅れた制度だとして中央集権化したのが明治維新と現在の日本である。21世紀は、逆に地方分権を真面目に考える時であり、その場合は移動範囲が大きく取れる時代なので道州制が適している。道州の優れた人材で中央政府を作るべきだと思う。

2)明治憲法の第3条に「天皇は神聖にして侵すべからず」や第11条「天皇は陸海軍を統帥す」などの条項(絶対君主的規定)は、暴走する軍に利用されたが、それらは明治維新の時に天皇を利用して、国家を統一する必要性から導入されたものである。江戸時代、明らかに日本の統治者は江戸徳川であったので、その幻影を払拭するために、偽造した錦の御旗とともにこのような規定が必要だったのだろう。

3)東芝の没落の大きな原因は、米国ウェスティングハウス社の買収の失敗であった。その時の失敗の責任者である筈の西室泰三氏は、何故か日本郵政の社長となったのか?その西室氏率いる日本郵政がオーストラリアのトール・ホールディングスの買収により、4000億円という巨額損失を計上する結果となった。その責任はうやむやにされたという。

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