2019年6月14日金曜日

イラン訪問で馬脚を現した安倍政権:憲法改正は安倍総理には無理である

1)安倍総理のイラン訪問は、今後何か特別のことが発表されなければ、非常に愚かなことだったと思う。トランプ米国大統領と会談の中で、自分ならイランの最高指導者に会えると言ったのだろうが、日本の総理大臣がイランと米国との睨み合いの仲介などという大役ができる筈がない。

昨日のNHK9時のニュースで、イランの専門家の慶応大教授が以下のように言っていた。日本が米国の対イランの姿勢に従わないで石油を買い続けるくらいのことをする覚悟がなければ、本当の意味での仲介などできないだろう。日本の安倍が行って説得しても、イランは一歩も動かなかったという、イラン攻撃のカードを一枚米国にプレゼントするだけである。しかし、そんなことは素人でも分かることである。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190614/k10011951761000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_020

ホルムズ海峡での日本タンカーの攻撃の分析が進んでいる。軽い気持ちでイラン訪問をする、日本の総理大臣に対する警告であったとの結論になりそうである。時事ドットコムニュースでは、イスラエルのイラン専門家メイル・ジャベダンファル氏(イラン出身)が電話取材に答えて、「攻撃はイランによるものだ」と主張したという。https://www.jiji.com/jc/article?k=2019061400158&g=int

また、米国のポンペイオ国務長官は、タンカー攻撃はイランの責任だと発表した。そしてその後米国は、不発に終わった吸着型機雷を除去している、イラン革命防衛隊の姿を撮影した動画を公表した。https://www.jiji.com/jc/article?k=2019061400174&g=int

タンカーが沈没しなかったこと、乗組員全員が無事退去できたことは不幸中の幸いだった。しかしそれは、対日関係をあまり悪化させたくないという攻撃した側の気持ちをあらわれていると考えると、上記イランの専門家や米国務長官の話が正しいように思える。

評論家の宮家邦彦さんは、この時期に首相がイランを訪問するのは、良いことだとしながらも、次のようにその危険性をたとえ話で話している。(9日のニッポン放送)

「イランとアメリカ、そしてサウジアラビアは、硬球を使って甲子園に出場できるようなチームです。しかし日本の野球は、軟球かソフトボールです。うまくやらないと火傷してしまいます。彼らは本気で命を懸けているのですから。」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190609-00010016-nshaberu-int&p=1

2)安倍総理のイラン訪問は、大失敗だったと結論されるだろう。それは国際的に、日本の外交能力の無さを印象つけることになったという意味も含めてである。宮家さんのたとえ話では、所詮軟球か庭球を用いる草野球レベルなのである。

そんな草野球レベルの子供達に、高価で本格的な野球バットやグローブが必要だろうか? つまり、安倍総理がエースピッチャーで君臨している野球チームのレベルでは、そのような一人前の装備品は不要だろうということになる。

何が言いたいのか? 安倍総理は、中途半端な憲法の改正を自分の任期中にやりたいと思っているらしいが、それはやめた方が良いだろう。一人前の軍隊を持つ国として、相応しい実力を日本が備えているか疑問だからである。

悔しいが、モスクワの北野幸伯氏が言うとおり、日本は現状では憲法改正する外交能力がないようである。憲法改正は、日本が真の独立国家であること、独自の外交路線をとることの表明であるから、政治家や外交官の実力もそれに相応しくなくてはならない。

この件については、何度もブログに書いた。素人ゆえ、私自身の意見もかなり変わってきている。直近の意見は、先日チャネル桜で、「日本に本当の国家主権はあるのか?」という番組の感想文として書いた記事をブログに上げた。

そのチャネル桜の討論の出席者は、小堀桂一郎、加瀬英明、古森義久、馬淵睦夫、西岡力、室伏謙一、浜崎洋介の七氏である。https://www.youtube.com/watch?v=e6Rivki3O9k

その記事で以下のように書いた。

日本が国家としての体をなしていないことの原因を、出席者らはもっぱら第二次大戦後のGHQの日本統治と日本のメディアに求めている。彼らが、日本国を骨抜きにした結果、このような体たらく日本が出来上がったのだというのである。そのような把握の結果として、小堀桂一郎氏らは骨抜きにされる前の日本を復活させることを考え、司会の水島社長も天皇を中心とした国家体制の復活を主張するのである。

過去の政治に何の反省も必要ないのなら兎も角、あの戦争はやってはならない戦争であったことは確かである。それを承知しているのなら、その原因追求が先である。それをしないで、憲法を改正して戦争のできる国にするというのは、少なくとも、日本に住む日本国籍の人たちの総意ではないだろう。(一部編集あり) https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/04/blog-post_25.html

この意見が正しいことを、今回の安倍総理のイラン訪問は証明したと思う。この日本の弱点克服についても、何度か書いてきた。そのエッセンスは、上記記事の最後の方にも、以下のように書いている。それを結論にして、今回は記事を閉じる。

選挙区を道州制にして、一票の格差を完全撤廃する。この選挙制度改革は、地方の利権と中央政府の政治との間に距離をとることを主目的とする。更に、中央政府の機能を外交や治安などの限られた分野に限る。道州政府が成長すれば、互いに切磋琢磨することで、日本は活気付くだろうと思う。今回はこの点の指摘だけにする。

最後に一言だけ追加したい。それは、上記問題等いろんな問題を考えた時、何時も「日本には議論の文化がない」という基本的問題にたどり着く。其の議論なき文化の国、閉鎖的な組織の国から、議論のある開かれた組織の国への脱皮が如何にして可能になるかを考えるべきである。

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