2019年9月6日金曜日

銃保持廃止を米国で訴えることと、核兵器全廃を訴えることの類似点

昨日のBBCニュースによると、米カリフォルニア州・サンフランシスコ市管理委員会(市議会)は3日、銃規制に反対の立場をとる全米ライフル協会(NRA)を、正式に「国内テロ組織」に認定する決議案を、満場一致で可決した。 https://www.bbc.com/japanese/49589270

一方、銃乱射事件がつづく米国テキサス州では、8月4日銃規制を緩和することになった。その内容は、「アパート家主は、借り主の銃保持を禁止してはならない」や「学校の駐車場において、銃保持の車を駐車禁止にしてはいけない」などだという。

この二つの州の銃規制に対する考え方の違いを、冷泉彰彦というペンネームの方は以下のように書いている。銃社会の外側の人々は「乱射事件が起きたから銃を規制しよう」と考えるが、銃社会に生きる人々は「乱射事件等から自分の身を守るために銃保持を考える人からその権利を剥奪するのは、基本的権利の侵害にあたる」という発想をする。

そして、「このような銃乱射を防止するために銃規制を徹底するには、“鉄砲狩り”をする事が必要」であり、更に、「仮にこの措置が徹底すれば、銃社会の人々も「銃の束縛」から解放される方向に動き出すだろう」と結論している。

しかし、この人の“鉄砲狩り”が必要だという結論には賛成できない。なぜなら、銃社会の内と外で考え方が異なるという重要な指摘をしながら、十分な議論なしに安易に理想論である銃社会の外からの考え方を無批判に受け入れ、結論を出しているからである。https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2019/09/post-1109.php

一般人から銃を奪い取れば、銃による殺人や強盗などは益々容易になるだろう。何故なら、銃は法を無視する者たちの独占物になり、彼らは反撃される危険性がなくなるからである。不法者に銃を向けられた時に自分の命を助けるためには、銃を持たなかった者はその不法者に屈服しなければならない。私の想像する米国人は、この個の尊厳を汚されることになる力の不均衡を嫌う。(補足1)

1)銃保持と殺人のデータ:

BBCの記事によると、2016年米国において銃で死亡した人数は、11004人だった。そのうちの半数5500人は自殺(米国の自殺の約半数)であり、大衆への乱射(Mass Shooting)での死亡者は71人であった。(補足2) https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41494344

つまり、銃による殺人や自殺の中で、大きく報道されているが実際は小さい部分を成す銃乱射事件を中心に考えて銃規制を論じることは、間違いだと思う。ここで、国別の銃保持率と殺人発生率との関係を見て見る。
(https://www.globalnote.jp/post-1697.html)

上のグラフは各国の銃保持率と保有数である。このうち、米国(銃保持率90%)、スイス(45%)、カナダ(31%)を比較してみる。この三国の殺人発生率は、人口10万人あたり、米国5.32人、スイス0.53人、カナダ1.8人である。スイスでの高い銃保持率と低い殺人発生率は、銃保持が銃による殺人事件の原因であるという考えを否定している。(殺人事件発生率: https://www.globalnote.jp/post-1697.html

カナダの銃保持率と殺人発生率がともに米国の1/3であるということは、二つの国の社会がよく似ていることを考えると、殺人発生が銃保持の動機であり、銃保持が殺人発生の動機ではないだろうと推測される。 (補足3)

銃保持が殺人の動機となるのなら、そして、米国とカナダの人たちの銃と人との関係がよく似ているのなら、銃による殺人殺人発生率と銃の保持率がほぼ比例関係になるはずである。しかし、実際はそうではない。米国とカナダでの銃による殺人発生率は、それぞれ10万人あたり3.4人(米国)0.56人(カナダ)である。(補足4)つまり、米国やカナダでも銃保持が銃による殺人事件の原因ではないと考えられる。

以上の議論はもちろん不完全である。統計データからだけでこの問題を考えるのにも一定の限界がある。

2)銃を保持する権利:

米国憲法修正第2条においては、「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない」と書かれている。

米国で銃保持が権利として認められるのは、この条文があるからだろう。ただ、民兵という考え方が現代でも重視されているとは思えない。従って、NRAやGOA (米国銃所有者協会)は、高い犯罪率の社会で自分自身を暴漢などから守る為、社会に一旦預けた武装する権利の一部返還を主張しているのだと思う。

つまり、個人の生命と財産の安全を国家は保障するという条件で、個人は武器を放棄したのだから、国家がそれらの保障が十分できなければ、被害を受ける可能性のある者は、一旦返上した武器をもう一度持つ権利があると考える。

サンフランシスコが、NRAを国内テロ組織に指定したことだが、その正当性を主張するには、銃保持を禁止したときに殺人事件など凶悪犯が減少することを、明確に示さなければならない。銃保持を禁止したときに銃による凶悪犯が減少するのは当たり前である。しかし、その代わりに刃物による殺人が同数以上起これば、銃保持禁止は無意味あるいは逆効果となる。

また、NRAの活動(特にロビー活動)と米国で銃による殺人件数が多いこととの因果関係は明白ではない。NRAが銃規制に反対しているのは事実である。しかし、それは単に民意の反映と考えた方が良いだろう。その一つの根拠は、上記BBCの記事(再度下に引用)によると、拳銃保持禁止に反対する世論データと、NRAのロビー活動予算にかなり良い相関関係があることである。https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41494344

皮肉な見方かもしれないが、サンフランシスコの決定はNRAに共和党の支持者が多いことと、おそらく強い関係があるのだろう。カリフォルニア州は民主党の大票田である。

3)核兵器保持の動機:

上に、銃を保持する権利の主張が、「不法者に銃を向けられた時に自分の命を助けるためには、銃を持たなかった者はその不法者に屈服しなければならない」という個人の尊厳が基礎にあるだろうと書いた。その考えの延長として、国家(あるいは民族)が独立して外交を行うには、大国による核兵器の脅迫があってはならない。

国連の常任理事国以外の各国が主張する核兵器保持の主張も理解できる。つまり、国家に核抑止力がなければ、独自外交は現状不可能である。従って、核兵器禁止条約を結ぶことが日本の国益にならないことは明らかである。

核兵器禁止条約の国際的キャンペーンを行っているICAN (International Campaign to Abolish Nuclear weapons)という団体に、ノーベル財団がノーベル平和賞を授与したが、その団体の主張は単に国連常任理事国のエゴイズムの代弁に過ぎない。また、その条約の寄託者たる国連事務総長も同様である。(補足5)https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12503812085.html

核兵器廃絶など出来るわけがないのは、米国で銃狩りができないのと同様である。銃は殺人だけでなく、強盗や脅迫の際にも用いられるだろう。同様に、核兵器は国際的脅迫に現在用いられている。(Th.ルーズベルトのBig Stick Policyは、現在でも国際政治の常態である。https://en.wikipedia.org/wiki/Big_Stick_ideology)

現在、核保持国に日本の警察官レベルの倫理を期待できない以上、核兵器禁止条約だけでなく核不拡散条約にすら、本来参加すべきではない。何故なら、核保有国の一角に「将来人口を減少させる必要が生じたとき、核兵器は有用である」と公然と発言する将軍が居るのが、国際政治の現実だからである。

その発言の主は、その後出世したことでもわかるように、核保持国の高官たちが、心の中で密かにそのような考えを持つのは明らかだろう。 https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12510499285.html (このブログ記事の注釈に、上記発言の主について書かれている)

補足:

1)個人の尊厳や国家あるいは民族の尊厳を重視することは、民主主義および近代国際社会の基礎である。後者を毀損するのが、国連とその常任理事国である。
2)残りの5300人には殺人事件や警察による迎撃的な射殺などが含まれていると考えられるが、詳細は書かれていない。
3)日本の殺人発生率(10万人あたり)は、0.24人である。
4)銃による殺人発生率は、BBCの記事から引用した。https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-41494344

5)国連はUnited Nationsの日本語訳であるが、明らかに誤訳である。本当は第二次世界大戦の反枢軸国連合である。http://honkawa2.sakura.ne.jp/9365.html

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