2019年10月2日水曜日

朝鮮併合の失敗について

1)日本帝国による朝鮮支配については、初代朝鮮総督の伊藤博文は反対であった。何故なら、独自の文化を持つ民族を束ねて統治することの困難さを知っていたからであった。しかし、そう考えるのは知的な少数派でしかなかった。その伊藤博文を暗殺し、安重根は韓国の英雄となった。

日本の支配層は、倒幕を行なった薩長土肥と言われる外様諸藩の下級武士とそれに協力した下級貴族たちであった。日清戦争に勝利し、朝鮮から満州に支配を広げる時、それまで蔑まれていた外様の下級武士たちは、江戸時代の精神のままに、外地の住民たちを睥睨し支配したのだろう。

朝鮮併合の失敗の原因としては、日本人支配層、特に軍人などに驕りがあったのも一因だろう。薩長の下級武士にも優秀なものは大勢いたはずであり、彼らは伊藤だけでなく支配される側の気持ちと力を理解した筈である。しかし、四民平等の立憲主義の国では、時間が経てば多勢に無勢であり、愚者の驕りの前に賢者の知恵は雲散霧消する。

以前に紹介した加耶大学客員教授、崔基鎬氏の著書「歴史再検証 日韓併合」によれば、日本帝国の朝鮮支配が始まる前には、李氏朝鮮末期の停滞と貧困の中で人口が減少する程だった。それは呉善花さんの「韓国併合への道」の中の記述でも同様である。

しかし、その国は中華文明を日本よりも早くから吸収していた国である。その国の歴史は、文明国としてのプライドを持ちつつ、モンゴル、明とその後の清、ロシアなどの強国の影響下で、半独立国としての体裁を整えるだけで精一杯だった。丁度、戦後の日本と似た情況だろう。

その中で、高麗や新羅などの文化(補足1)は古く深かったが、複雑に屈折していた。そこから500年間、窓から明(中国)の方を眺める他は、殆ど孤立出来る情況になり、それが暗黒の時代に導いたと思う。李氏朝鮮である。李氏朝鮮は、明の冊封体制の中に存在するとの約束で、高麗を裏切った李成桂により建国された。最初から、独立の気概を捨てたのが(そしてそれが可能だったことが)、内向きで暗い国となった原因だろう。

視線を外に向けて、独立と繁栄を模索する国は、国の内部の団結と連携に知恵と力を尽くすが、宗主国の下で内向きの視線しか持たない国は、ただ統治の視点から国民を見る。反抗を抑えるために知的水準の高まりを警戒し、第4代の賢帝が作り上げたハングルも、10代皇帝の時に公的使用を禁止する。全体として、現在の日本の情況も似ている。(補足2)

このような屈折した歴史の克服は、朝鮮自身でなされなければならない。ところが、その克服すべき暗黒時代の肩代わりを日本帝国が自分の意思からすることになったのである。つまり、それが後の時代になって見た場合の、朝鮮併合の評価である。極めて愚かな選択だった。それは、日本にも朝鮮にもプラスになっていないかもしれない。

そして現代の韓国は、李氏朝鮮という自国の歴史の客観評価という厳しい仕事をしないで、日本帝国という他者の否定という安易な道を取ることになったのである。それは欺瞞であるが、その誘惑に負けるのはわからないでもない。しかし、自分の智慧となり力となるのは、ごまかしではなく真実に基づく自己評価である。

例えば、韓国が5つの国慶日の中に50年ほどの日本帝国の影響下からの脱出に関するものを3つ入れ、李氏朝鮮時代500年余の出来事から、ハングルの日のみを入れるのは、決して客観的な韓国の歴史を表現していないだろう。(補足3)

因みに、中国は広い国土と大きな人口を抱えた国であり、周辺への野心を具体化するには、自国の統一と強力な兵器の両面で準備が出来ていなかった。そこで、将来の統一への予約席に周辺国を朝貢国として入れた。朝貢は差し当たりの安全と緩やかな影響力行使のため、周辺国を家畜的国家(現状優遇で将来の搾取対象)の情況に置いた。因みに現在の中国は、準備が完了したと考えて行動を開始した情況にあると思う。

2)日本は歴史的に単純な国だった。つまり、一つの王朝(天皇制)が1400年間続いたのである。屈折した心を読むほどの修練はなされていなかった。大陸の国のような厳しい環境に居なかった為、必死に独立を維持するという経験に乏しかったことが、その原因だろう。

国境を挟んでの価値観や言葉の用い方の変化などを理解していなかった。それは宗教とも関係する。日本の宗教は、戦いの宗教ではなく、個人の死や運命と対峙するための宗教である。仏教は自然の中での自分を見つめる宗教であり、神道は自分に生を与えてくれた自然を崇める宗教である。(補足4)

大陸では、善悪や真偽の価値が、敵味方の境目で逆転する。それは戦うための宗教の教えとともに習得されていた。(補足5)聖書にあるように、異教徒の殲滅は善である。その宗教の人にとっては、偽証が禁止されるのは味方の中だけであり、敵を相手には禁止されない。これらのことを、頭ではなく血肉の段階から習得している。それは孔子、孟子、荀子、孫子、朱子(朱熹)らを詰め込んだ者たちも同じだろう。(補足6)

繰り返しになるが、日本人に於いては、棲息する範囲と思考の範囲が一致する。一方、世界の他の国々では、生息する範囲の10倍程度の範囲を思考の範囲とすると思う。つまり、世界の普通の国では、敵があってこそ味方があるという思考法をとる。敵の範囲を含めれば、10倍程度の範囲に目を光らす必要がある。日本人のように、敵は異常発生した(宇宙の彼方から現れる)害を及ぼす存在という考え方をしない筈。

更に、日本人は敵であっても味方と同じ言葉(通訳を通しての場合もある)を同じ意味で使うと常に考える。それが、出雲の国譲りから江戸城の無血開城を可能にした。大陸なら、無血開城を含む約束は虚しく反故にされ、徳川家は皆殺しになっただろう。

そんな日本人だからこそ、思わぬ力を得て、大陸侵略を開始したとき、異国の人たちも同じ(翻訳を入れれば)言葉を、同じ用い方で話すと考えた。自分達は威勢よく異国民を蔑視しながら、併合した後は自国民となる筈の異国民の為、彼の地のインフラ投資から始めたのである。それが後々、自分たちに向けられる刃の製造に利用されることなど考えもしなかった。

しかし、異国の人にとっては、自分達のインフラの整備は、太らせて食べるための投資の筈だと考えるだろう。それは世界の思考法からすれば至極当たり前であり、あとで日本人にしか通じない言葉で言い訳(日本人には本当のこと)を聞くのは、あまりにも虚しいし、異国の人にとっては空々しいだろう。言葉は所詮、同じ民族でしか通じない。(補足7)

因みに、グローバリストの中心にある人たちは、そもそも人類を一つにまとめて人類皆兄弟の情況を作ろうとしている風に見せながら、心の奥には但しそれの中心に座るのは自分たちだという奢りがある。つまり、グローバリズムは自分たちの為の世界を地球規模でつくるための思想である。この時、それまでの投資は異国の人たち(つまり人類)の為ではなく、単に肥らせて利用するためだろう。それは、朝鮮半島から満州に進んだ日本人の姿に似ているようであるが、心は全くことなるだろう。(補足8)

世界最低の高度に沈む(海面下数百メートル)彼の国で、上記運動の中心に居ると思われる民族は、殆ど独立国を形成出来なかった。アッシリアやローマなど、常に外国の支配の下におかれた。ジム・ロジャーズが朝鮮の応援をするのも、反日思想の他に民族の運命と云う点で共通性を感じるからだろう。(翌日早朝に編集あり)

補足:

1)日本の文化は渡来のものを元に作られた。それらは恐らく全て(地理的には)韓半島経由で日本に送られた。仏教も儒教もである。高麗には仏教が残っていたが、李氏朝鮮が儒教や朱子学を持ち込み、半島での仏教は滅んだ。それ以降、朱子学の空理空論で両班層は時間を空費したと、崔基鑛氏は「日韓併合」で書いている。

2)宗主国である米国の下で平和を享受している日本は、李氏朝鮮にそっくりである。政府は東側の窓は見るが、視点は殆ど内部に向かっている。国民には外(外国)をなるべく見せないようにし、地上波テレビはもっぱらエロ・グロ・ナンセンスを放送している。今でも、米国のバイデン やハンターなど知る由もない。政府は両班的な政治屋貴族が支配し、都会の知的な人たちに発言の場を与えない様に、田舎の1票を都会の2票から3票の価値にしている。

3)韓国の祝日の内、国慶日と呼ばれる日が5つある。上記、三一節、制憲節、光復節、ハングルの日ともう一つ開天節である。 開天節とは13世紀に作られた檀君神話という朝鮮建国神話に由来する建国の日である。三一節(反日運動)、光復節(日本の敗戦)は、各人の心の中に“抗日の歴史”をより強く意識する為の祝日である。憲法の日の制憲節も、日本からの独立を記念する日と言えなくもない。そのような“骨組みから反日”の韓国が、骨組みを組み替えるほどの改革などできるだろうか?

4)諸外国に囲まれた日本という視点の重要性を知った新政府が、天皇家がその昔敵と対峙するために作った一神教である伊勢神道を、急いで国の宗教とした。それを更に国民国家として生き残る上で必須である近代軍の創成のために変形したのが、靖国神道である。

5)宗教には2種類ある。個人が、自分を含む自然の中で、自分の生の原因を考え、その輪廻転生或いは永続を祈願するための宗教と、集団が敵と戦う為、その時の自分の死を集団の中での永遠の生に転化する為の宗教である。古代神道や仏教は前者に、キリスト教やイスラム教は後者に分類されるだろう。

6)中国の思想や宗教が、補足4の後者に分類されると考える。このあたりは全くの素人ですので、コメントくだされば幸いです。

7)国連で小泉進次郎がセクシーに環境問題をやらないと、隣の女性を見ながら言った。しかし、セクシーの意味は、民族により全く異なるだろう。そのような言葉を国連で使うのは、従って、余程の曲者か素人のすることである。同様に「愛(Love)」、「徳(virtue)」、「罪(sin, guilt, offense, crime)」などを含め、あらゆる価値に関する言葉は、異国民に対して使う場合、十分吟味しなければならないと思う。

8)第二次大戦後、かなりの日本兵はインドネシアなどに残って、独立のために戦った。インドのインパールでは、援蒋ルート壊滅という日本の目的の他、インドの独立を支援する意味もあった。

以上、間違っていると思われる部分は、遠慮なく指摘してください。

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