2019年10月19日土曜日

慈悲の文化と恨みの文化

1)人生をマイナスから出発するのが本来の人間である(四苦八苦の人生観)

日本人の文化の根底にあるのは、神道と大乗仏教である(補足1)。神道は、自然の恵に感謝する宗教だが、その裏には自然に対する怖れがある。日本はまた大乗仏教の国である。仏教では、生命あるものは等しく虚しい存在であると考える(色即是空)。つまり、我々全ての生命は、やがて消え去る虚しい存在であり、悲しい存在である。

日本文化は、その「怖れ」と「悲しさ」を原点に持つ。従って、日本人の他人との関係は、比較的消極的で淡薄だが、基本的には優しい。自分も他人もお互いに悲しい存在であり自然に怯える存在であるから、助け合わなければならないのである。それが台風などで被害にあった地域にボランティアに出る人の気持ちだろう。

ボランティアは西欧から学んだことだが、日本のボランティアとは参加する動機が異なると想像する。西欧のボランティアは、恐らく神の教えによって行う“隣人愛的行為”だろう。一方、日本のボランティアは、悲惨な情況を共有する互助の気持ちで参加する。

日本人は、人生において一般に悲観的だと思う。それは人間として生まれた瞬間に、悲しい存在だからであり、自然神を怖れる存在だからである。この「悲しさ」と「怖れ」を同時に持つ文化は、日本以外には存在しないだろう。日本は極めて特殊な国である。

このマイナスからの出発を意識する様になるのは、勿論、幼少期に親族等から受ける影響、つまり教育による。西欧の人たちも、マイナスからの出発だが、それは罪深き存在というヤハウェ神の教えに基づくだろう。従って、宗教の影響が残るとすれば、日本や西欧では、人間は原点からではなくマイナスから出発する。そして、中世の西欧でも、一昔前の日本でも、人々は暗さを濃く持つだろう。

ただ、西欧は人間復興(ルネッサンス)という文化運動を経験している。そして、中世は終わり、近代化の中で「神は死んだ」という人まで現れた。それらが、部分的であっても宗教からの開放だとすれば、西欧の人たちには、恐らくそのプロセスで楽観的で明るくなったと想像する。(補足2)

人生をマイナスではなく、ゼロ或いはプラスから出発する人たちは、東アジアに多い。(補足3)儒教の下にある中国や朝鮮半島の人たちである。彼らは従って、日本人よりも楽観的で明るいだろう。その一方、自分が苦境にある時、その原因を本来悲しく虚しい存在である自分自身に発見することが出来ない。自分が原因でなければ、他人が原因である。それが「恨の文化」の根本的な存在理由だと思う。

日本文化は、敢えて言えば「慈悲の文化」である。これは、西欧に住む人には、手前味噌のように聞こえるだろう。財布を落としたとしても、その財布は警察に届けられて落とし主に返却されるのは、落胆する人を憐れみ慈しむからである。道端に落ちている裸の500円玉を拾うかどうかの議論は、現在では日本以外には無いだろう。議論のサイトを(補足4)に引用する。

2)外交には相手国の文化を深く研究して考慮すべき:

この文化の違いに気づくことが、日本の近隣外交において重要だろう。現在の政治は、大衆の感情で動く。隣国の論理的思考が出来ない一般人は、自分たちが苦境に陥ればその原因を必ず他に求め、その”見定めた他”を攻撃する。それが「ハン(恨)の文化」であり、反日法を制定し、事後法でも気にせず適用する理由である。(補足5)

日本にとって、最重要課題の一つは中国とロシアの評価である。中国にも人生がマイナスから始まるという思想はないだろう。ただ、習近平氏は文化大革命のときに不遇の幼少期を過ごしている。その経験から、「ハエも虎も叩く」のであれば、それは評価できるのかもしれない。

自由主義経済と民主主義の国に変われば、日中友好は必然だと考えるのは早計だろう。それは韓国との現在の関係を考えればわかる。米国が孤立主義の方向を採り、世界のリーダーでなくなった時、中国の敵でなくなるだろう。その後、中国が苦境に陥った時、日中は今の日韓の関係のようになる可能性がある。

西洋はキリスト教の国であり、その条約という外交文化は、つまり、敵との妥協である。日本の国譲りも、徳川封建体制も、妥協の産物である。しかし、儒教の国は、易姓革命の国であり、定めた敵は殲滅する。妥協がないのが恐ろしい。(補足6)

現在、日本政府は中国に接近しつつある。中国の最新鋭の太原は自衛隊と合同訓練を行った。http://j.people.com.cn/n3/2019/1017/c94638-9623864.html その意味をロシアの新聞スプートニクの日本語版は論じている。日本の新聞にはこの件、殆ど議論されていない。https://jp.sputniknews.com/reportage/201910156757331/

ロシアと中国の文化を理解することの意味は大きいので、改めていつか勉強して書いてみたい。(20日早朝、編集;セクション2を補充、補足編集そして補足6を追加)

補足:

1)この大乗仏教の文化圏では、自分が他人を押しのけて利益を得るという、競争社会での成功に対して、低い評価を与える。そして、自分の能力や財力を誇る行為を、卑しい行為と見る。勿論、現実主義として先立つものは金だという考えは誰にでもある。しかし、それだけでは軽薄な人間ということになる。

2)日本文化の中にしっかりと根づいていた宗教も、徐々に希薄になってきている。それは若者たちを西欧人のように、明るく積極的にしているだろう。その傾向は、特に関西地方で歪な形で強まっている。テレビと“よしもと”の漫才の影響は大きい。人の頭を平手打ちする芸の人気も定着している。その様な場面のテレビ放映は、人の尊厳に無関心な若者を大勢生み出している。それがイジメにつながっている可能性が高い。

3)身分差が制度として定着している場合、プラスで出発する人たちも大勢いる。例えば、貴族である。また、優等人種であると信仰する人たちも、プラスで出発するだろう。その場合、敵や劣等人種を殺害するような場合、信じられない程の残虐性を見せるだろう。北の隣国でのチャン・ソンテクの処刑では、全身がバラバラになったと報道されている。それは甲申事変での、金玉均の処刑と似ている。中韓で流布されている旧日本軍の残忍さは、彼らの常識で作られたと考えれば分かりやすい。 https://www.j-cast.com/2013/12/16191859.html?p=all

4)財布を拾ったとすると、現在でも日本では交番に届けられ、無事持ち主に戻る確立が70%位はあるだろう。それは、財布を落としたものは困っているに違いないという気持ちと、得る資格のない利益を得るのは不道徳であるという考えが、身についているからである。 https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4940182.html

5)福沢諭吉の脱亜論に基づいて、この件を考察した文章がある。勿論、福沢諭吉は嫌韓ではなかった。李氏朝鮮を潰さないと朝鮮に未来はないと考える金玉均の留学を受け入れ、親しく付き合った。 https://www.news-postseven.com/archives/20180416_657811.html

6)朝鮮半島では、16世紀に李氏朝鮮の誕生により儒教と朱子学を取り入れ、仏教 は滅んだ。それ以降、歴史は易姓革命的になった。支配者が代われば、過去は全否定される。韓国の歴代大統領の悲惨な最後は、易姓革命的だと考えれば分かりやすい。

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