2019年12月12日木曜日

日本の景気低迷と情実人事

1)景気低迷と金融緩和の効果:

日本のGDPはこの30年間殆ど増加していない。数の緑色の線を見てもらえばわかるように、1995年あたりでピークになり、それ以降25年間全く大きくなっていない。

対策として良く取り上げられるのが、政府のマクロ経済政策である。それを果敢に実行したのが、安倍政権下で行われた黒田日銀総裁の“異次元の金融緩和”である。しかし、市中銀行に渡ったお金は、日銀当座預金に積み上がるだけだった。

副作用的に生じた円安効果は日本に幸いだったが、それ以外には、国内での本質的な景気刺激にはならなかった。日銀がお金を出せば本格的な経済成長が可能だという考えは、正しくなかった。(補足1)

経済成長には、市中銀行から民間企業などに金が回り、それが新規産業創業や労働生産性向上のための投資に向かうことが大事であるが、そうは成らなかった。民間企業に金がなかったのではなく、個人同様に日本の将来に不安を感じて、新規投資には慎重だったようだ。

以上から、経済低迷の原因はマクロ政策にあるのではなく、経済主体である会社など法人に、全体としての能力がなかったという見方の方が正しいだろう。(補足2)実際、上図をよく見ると、日本がゼロ成長の25年の間、その他の先進国は一定の成長を続けている。

2)企業の能力:

1960年代からの高度成長が可能だったことなどを考えると、人々は概ね技能にも優れ、真面目に働く優秀な労働者である。しかし何故、優秀な労働者から優秀な会社が出来ないのか?

その答えの一つは、日本文化の下では「組織の階層構造の中に個人(の適性)を置くことが上手く出来ない」のだと思う。共同体において平等に存在する成員を、組織の上下構造の中に配置することは困難だからである。また、出来上がった本来機能体組織であるべき会社が、結果的に共同体的組織の性格を帯びてしまうことになる。

更に、日本人は「自分の適性を限られた時間だけ提供し、会社はそれに対して給与を支払う」という考え方が、今でも出来ないことにある。日本での会社と労働者個人(正規雇用)の伝統的関係は、全てを会社に捧げるという江戸時代の殿様と家来の関係である。(補足3)(補足3)

嘗て、「仕事は人生の全て」という人が多い事を、エコノミックアニマルという言葉で形容し流行ったこともあった。実際にそのような人が多い事実は、「仕事は人生の全てではない」という議論が、ネット上に山ほどあることから判る。

上記日本の組織の欠陥による症状を、至るところに見ることが出来る。例えば、日本の多くの生え抜き社長は、共同体的組織の一部を切り取って、解雇することなど簡単には出来ない。また、何か問題が発覚したとき、それが一人の従業員個人の犯罪によるとしても、共同体の長として役員の中央で揃って頭を下げる。

以上の日本診断が正しいことは、日産の低迷とカルロス・ゴーン氏を迎えてからの復活、そして、それに対する日本の反応を見れば明らかである。ゴーン氏が日産の社長になって行った最も大きな対策は、不採算部門の閉鎖と人員整理だったという。大前研一氏は以下のように書いている。

1990年代に経営破綻の危機に直面した日産が今日のように復活したのは、たしかに“奇跡”である。しかし、ゴーン氏は大規模リストラによるコストカットで日産の“負の遺産”を清算しただけであり、「GT-R」や5代目「フェアレディZ」などの人気車種を生み出して奇跡をもたらしたのは、もともと日産が持っていた技術力である。 https://www.news-postseven.com/archives/20181210_820786.html/2

「負の遺産を清算しただけ」と語るが、その「だけ」が出来ないのが、当時の経営トップを含めて日産という会社だった。つまり、不採算部門の閉鎖と人員整理は、上に記したように共同体的組織として出来上がった会社内では円滑には進まないのである。

しかし、異なる企業文化の中で育った優秀なゴーン氏には、それが当たり前のこととして出来たのだろう。そのゴーン氏のやり方は、日本文化の中では血も涙もなき“覇道の猛牙”の仕業となる。首を切られた労働者は、それは約束が違うと、悔しい思いをしたことだろう。https://www.asahi.com/special/carlosghosn/

会社を組み上げる際から、日本企業と西欧企業とでは、人事様式はことなる。非効率な組織から脱却するために、会社組織は西欧的に機能体組織として組み上げるべきでは無いだろうか。そのようにすれば、労働の流動性は格段によくなるだろう。そして、多様な人生も、そして、そこからの多様な発想も生まれると思う。

そのようなことは直ぐには出来なくても、少なくともその考え方の違いは、把握すべきである。

3)その他雑感:

大学の劣化について:

日本の人的関係に依存した人事は、教育界にも見られる。日本の大学の低迷の大きな原因は、教員人事にあるだろう。以下は、私の知るある有名大学の或る学科の話である。設立された時の教授(第一世代)は、東京帝国大学から溢れ出た若い学者で構成された。彼らは、その後各分野で出身大学の教授を超える程の学者となった。

しかし、第二世代から第三世代になるに従って、教授選考は、同じ講座の助教授の昇任人事が多くなり、教授の質は劣化していった。この情実人事は、日本の至るところの大学で行われ、日本の大学全体の質の低下の原因となった。大学という学問の世界でも、この“ていたらく”である。

また、大学の独立行政法人化は文科省の天下り先を増やすことを目的に行っただけであり、小泉内閣の大失敗というか悪事である。大学や研究機関を独法化しても、霞が関の安物官僚の下に置くのは、百害あって一利なしである。

政治の劣化:

政治屋の人事も、特に安倍内閣の場合、自分の勢力拡大のための手段に過ぎない。パソコンもろくに使えない者や歯舞や色丹という漢字も読めない者も、待てば大臣に成れるというひどい情況である。それでも国民は怒らない。日本は本質的に怒りを忘れた、性善説の国なのだ。

因みに、外務官僚のスクール制も、鈴木宗男議員が質問したように、大問題である。外務省に入省後1-2年で中国などに将来の幹部候補生として留学した場合、殆どが中国贔屓になるのは、その弊害のひとつだが、その裏にXXXトラップが無かったと誰が断言できるだろうか?(補足4)このトラップは最強のコネ形成法である。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166193.htm

(これは専門家の記事ではありませんので、コメント、悪口、何度も遠慮なく書き込んで下さい)

補足:

1)第二次安倍内閣の経済財政諮問会議での意見を取り上げて、日銀の黒田総裁が物価目標2%を掲げ、マネタリーベースの拡大に努めた結果、円安になり貿易収支が改善した。景気拡大は、民間預金などのマネーストックの拡大と、その潤沢化した資金を新規事業や設備投資などに使い、事業の拡大や改廃、生産性向上などを実現することで可能となる。そのために市中銀行等が、企業の健全性や将来性を見抜き、そこに積極的に融資することが、景気浮揚には大切な要素である。そのような経営コンサルティングを含めて、融資を引き込む営業活動において銀行の実力が無かったのだろう。証券販売や国債金利に頼る経営は、無能と言わざるを得ない。

2)1995年までの成長は、日本にあった基礎的能力と外的要因、つまりグローバル化経済、がうまく噛み合った結果だと思う。

3)日本と西欧の人間関係の違いは、個の独立の程度と関係がある。西欧では、唯一神の存在下、人々は独立している。従って、自由主義の下では、人間の協力関係の範囲は、契約として明示される場合が多いと思う。しかし、日本の宗教は神道であり、全ての個は自然の中に溶け込んで一体として存在する。従って、人の間の協力関係は、西欧的な「一定時間この技術に関する部分だけ」という類のは無理であり、全面的に成らざるを得ない。

4)元経済産業省の官僚だった岸博幸氏が、中国を訪問した際にXXXトラップを中国側が用意していたという話を、岸氏自身がテレビで語っていた。=>「中国にピンク&マネートラップされた多くの米国政治家たちと中国の長期戦略」: https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515026.html

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