2020年1月2日木曜日

現職総理の靖国参拝より近代史の総括が大事:産経論説委員長の意見に反対する

1)現在の日本国政府は、明治の時代から続いている。そして、戦争を決めたのも、敗戦に終わったのも、その第一の責任は日本国政府にある。

 

産経新聞論説委員長乾正人氏は、「政権長きゆえに尊からず」と題した1月1日のコラムで、昨年までの世界の動きを概観し、広島での「正論」友の会の講演の際に会場から出た意見(下記の①)を引用して、以下のように書いている

 

「憲法改正がいますぐに断行できない政治状況は分かります。習近平を国賓で招くのも経済重視で我慢しましょう。しかし、靖国神社を6年も参拝しないのは許せません。靖国参拝の上、習近平を国賓として迎えれば日中間の歴史問題は一気に片付くでしょう。それができなければ、総理を長くやる意味はない」

 

②私は黙って頷(うなず)くしかなかった。首相を強く支持し続けてきた「岩盤支持層」に失望感が広がっている。

③国のため尊い命を犠牲にした戦死者を篤(あつ)く弔うのは、為政者としての責務である。この当たり前のことが、なぜできないのか。

 

乾正人氏の文章は、現職首相の靖国参拝に反対した、社会党や共産党など野党、朝日新聞、更に、「チャイナスクール」と呼ばれる外務官僚などへの批判へと続く。しかし私は、その意見には全く反対である。

 

私は上記③には全く賛成である。ただ、戦死した兵士達を篤く弔うだけでなく、戦争末期の沖縄戦に巻き込まれて死亡した一般市民、そして、都市部の原子爆弾などでの爆撃で死亡した一般市民たちへの弔いも同様に、或いはそれ以上に、重視されるべきである。

 

これらの弔いのためには、戦争までの近代史の総括と、そこから学んだことなどの公的な発表と出版が無くてはならない。合計300万人の人たちが何故、何のために、無残な死に方をしなければならなかったのか? (補足1)

 

 

2)現在の日本国政府は、明治の時代から続いている。そして、戦争を決めたのも、敗戦に終わったのも、その第一の責任は日本国政府にある。従って、戦争までの経緯とその分析を公にすることがけじめの第一である。

 

日本国政府は、あの日米戦争に対する責任の在処をごまかしてきた。その結果、日本国民の殆どは、1945年の敗戦の詔(或いは人によって、1952年のサンフランシスコ講和条約)から、日本国が始まったかのような錯覚を持っている。

 

それは大きな間違いである。途中に憲法改定を一回しているが、日本国政府は明治以来継続している。どの国でも、前政権の失敗などを明らかにして、次の政権に移るのが筋である。その政府の義務を、日本国政府は太平洋戦争と呼ばれる戦争全体について、一貫してサボっている。

 

1945年8月14日、ポツダム宣言の受諾を連合国側に通知したときの内閣総理大臣は、第42代の鈴木貫太郎であった。その後、1945年9月2日東京湾に浮かんだ米国の軍艦ミズーリ号上で降伏文書(補足2)に署名した時の総理大臣は、第43代東久邇宮だった。

 

更に、1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約署名の時の総理大臣は、第49代の吉田茂だった。以上が、日本国政府が一貫していたことの必要且つ十分な証拠である。因みに、この時に連合国側の多くと国交を回復したが、中国、ソ連、朝鮮、台湾などとの国交は回復していなかった。(補足3)

 

つまり、日本国民への、戦争に至った経緯、その責任の在処、責任者の処罰などの報告が終わっていないどころか、始まっても居ないのである。そして時代は平成から令和に移った。何故、その責任者も祀られている神社に、現職総理が就任毎に参拝すべきなのか、さっぱりわからない。

 

おそらく、それは戦争責任を先送りするためだろう。つまり、戦争責任とは、永久国債の一つなのだろう。

 

国家と国家の関係の本質は、何度も書いてきたが、野生の関係である。つまり、強い国が弱い国を食い物にする。そして、国民一人一人の命運は、国家の命運にほとんど完全に依存する。それは、大海を航行する船とその乗客の関係に準える。

 

その野生を生き抜くには、国家が強くなくてはならない。更に、その国の政治を担う人間が聡明且つ勇敢でなくてはならない。この基本的関係を、日本国民の殆どが忘れている。そして国民をそのように目隠しするのは、上記戦争責任を曖昧にして(或いは戦争責任を曖昧にするために)、靖国参拝が大事であると主張する馬鹿者どもと、現政府担当者である。

 

過去に、この問題に関して文章を、「国家と国家の関係の本質は、野生の関係である」という理解を基礎として書いてきた。それらの重大な補足をすれば、「日米戦争の直接的動機は、Fルーズベルトが戦争をしたかったからである」。そして、そのようにルーズベルトが考えたのは、1929年の恐慌からの脱出を図った、ニューディール政策が上手く行かなかったからである。(https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/07/blog-post_20.html

&フーバー大統領の回顧録)

 

それを実行に移す対象国として、ドイツの次に日本が浮かんだのは、ルーズベルトの後ろに居たユダヤ人資本家達の日本に対する敵意だろう。その原因の一つは、日本が日露戦争を日本側の勝利に導いた米国を裏切って、満州権益を独り占めしようとしたことだろう。

 

個人間でも国家間でも、喧嘩や戦争の相手となる理由はそれほど単純ではないと思う。本当の理由、背景にある理由、表面上の理由(つまり言葉にしたときの理由)は多くの場合異なるだろう。豊かな国、急激に発展する国には、通常その背後に何らかの憎まれる原因が存在する。しかし、十分に戦力があるか、口実が見つからない国は、他からの攻撃の対象にはならない。

 

上記下線部の対偶をとれば、「他から攻撃の対象にされるのは、その口実を持つか、不十分な戦力しかない国である」となる。それが国際政治の基本であり、その基本を日本政府&国民は持っていない。その原因は、国民が近い過去に多くの犠牲を伴って手にした筈の教訓から、完全に目を塞がれているからである。その目隠しが、「何より先ず現職総理は靖国参拝すべき」という右翼という人たちの思想である。(補足4)

 

 

補足:

 

1)日本人は、過去の総括とは、大勢揃って頭を下げることだと思っている人が多いかもしれない。相手が罪を認めたのだからと、その件の損害賠償を要求すれば、「謝ったのだから此方は許すのが筋だろう」と反撃される可能性すらある。その、謝罪と賠償を完全に分離するのは、身内の思想である。それを日本国民全体に適用し、更に、国際関係にまでその考え方が常識だと思いこむのが、日本文化の危うさである。

 

2)ミズーリ号上で署名されたのは降伏文書だったのか、休戦協定の文書だったのかという議論があるが、そんなことは一般国民には重要ではない。それと絡んで、無条件降伏だったのか条件付き降伏だったのかという議論も虚しい。何故なら、GHQの支配下に入ったのは事実であり、天皇斬首も可能だったこと、更に、マッカーサー解任のときに20万人が沿道から見送った事実などから、無条件降伏だったことは明らかである。

 

3)1956年10月19日に日ソ間の国交回復がなされ、1965年6月22日に日韓基本条約が締結されたが、北朝鮮との間での終戦処理は終わっていない。中国との関係は少し複雑である。1949年に中華人民共和国の建国宣言がなされているので、日華平和条約(1952年8月5日発効)で戦後処理が終息したとは看做されないだろう。また、1978年に発効した日中平和有効条約により、日本と台湾に逃げた国民党政府との関係が無くなった。従って、台湾との戦後処理は未だ終わっていない。

 

4)佐藤健志著「右の売国、左の亡国」など参照。右翼の方々の太平洋戦争の原因に関する議論も、米国や国際共産主義運動の所為にするだけで、日本にとって無益且つ有害である。

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