2020年6月22日月曜日

「国のために戦う意思」の真実

昨日のテレビ番組「そこまで言って委員会」で、国防の話が出ていた。その中で、有るゲストが国民に「国のために戦う意思」を問う国際的なアンケートの結果を紹介し、国防意識&国家意識の少ない日本人という自分の考えを補強していた。(補足1)

 

そこで、ネット検索でそのようなデータがあるのか探してみたところ、下記アドレスが出てきた。2015年3月24日のヤフーニュースである。

https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20150324-00044155/

 

そこの冒頭に以下の文章が引用されていた。

 

【ジュネーブ共同】各国の世論調査機関が加盟する「WIN―ギャラップ・インターナショナル」(本部スイス・チューリヒ)は18日、「自国のために戦う意思」があるかどうかについて、64カ国・地域で実施した世論調査の結果を発表、日本が11%で最も低かった。

 

オリジナルなサイトも引用されているが、今はアクセス出来ないので、どのような調査なのか十分は分からない。兎に角そこには、日本人は国のために戦う意思の最も薄い人たちだと書かれている。(日本の「ある」は上記本文では11%、表中では10%である。小数点の丸めか何かでミスがあったのだろう。)

 

アンケートの際の質問文は英文では”If there were a war that involved (調査対象国), would you be willing to fight for your country?”となっていたようだ。日本語に訳すと「国が戦争に巻き込まれたら、貴方は国のために戦いますか?」という位の意味か。

 

この記者は、この各国語訳が設問になっていたようだが、設問が提示する「戦争」に対するイメージが漠然としている。「こんな戦争イメージでは、「わからない」と答える人が多いのは当然の事ではないか」と書いている。(補足2)

 

しかし、国のために戦う場合、普通は防衛戦争だと政府は言うだろうし、そのように考えるのが普通だろう。また、あまり詳細に戦争の形を書いても、各国の状況が異なる以上、数値を出して国際比較することなど出来なくなるだろう。

 

第二次世界大戦から75年経過し、戦争を知らない人がほとんどである。戦争で戦うことも殆どなかったこの75年間を経て、「国のために戦う意思」というこの質問の意味を、「国のために兵役につく意思」と読み替えている可能性がたかい。

 

勿論、兵役についている時戦争になれば、自動的に戦うことになる。しかし、兵役に付いたとしても、戦闘行為を経験する可能性は相当低い。その低い確率が故に、多くの国で数十パーセントという大きな戦う意思のある人の割合が出てくるのだろう。

 

つまり、戦闘行為への参加を前提に聞いた場合、数値は相当変化するだろう。誰であれ、戦闘行為になれば死亡確率は50%に近いだろう。その場合、国のために戦う意思があると国民の10%でも答えるとは思えない。つまり、この種のアンケートは、獏とした質問をし、獏とした意思を答える形でしか成立し得ないものである。

 

つまり、この調査は「戦うことの悲惨さ」を想像する国民のパーセンテージを出しただけだろう。それを根拠に、国民の国防意識を云々するのは、知的怠慢のように思える。

 

2)兵役に付く意思について:

 

我流で、質問に対する上記答えの分布の意味するところを、もう少し考えるみることにする。先ず、各国の状況でおおきくことなるのが、徴兵制の有無である。世界地図であらわしたのが、下の図である。

表にリストされた国のうち、韓国は徴兵実施国である。ロシアも一部実施している。(上図;ウィキペディアより)米国や中国は、覇権国及び覇権を目指す国であり、徴兵実施国同様、所謂出世の条件として、兵役の経験が大きい。(補足3)

 

これら上記4カ国で戦う意思が高い理由は、兵役が身近であるからだろう。しかし、「国のために実際に戦闘行為を行う」となった場合、ロシアの59%、中国の71%など、高すぎる。(補足4)一体なにに対して戦うのか?

 

他の4カ国では、志願兵制度であり、その中で日本とドイツの低い「国のために戦う意思」は、敗戦の際の残酷な戦死の話を多く聞いていることも関係するだろう。「国のために戦う意思」を問われた瞬間に、より多くの%で、実際の戦闘行為を前提に考えたひとが多いのだろう。

 

何れにしても、「国のために戦う意思」とは、「自分のために兵役に就く際の政治的理由付け」に近いと思う。国家の支配者として自分自身を意識することは、国のトップには簡単だろう。しかし、一般国民が、国家の維持防衛には国民の「国を守るために戦う覚悟」が不可欠であると、現実的に意識することは困難である。

 

国政とは所詮、国民の獏とした意見や雰囲気を総和して、それを背景に知的なリーダーがスタッフとともに国を率いることだと思う。日本国民に国を守る気概が少ないのは、日本政府がその醸成を行ってこなかったということに過ぎない。

 

3)日本政府が何故国民に国家意識を醸成出来なかったのか

 

国家の支配者として自分を意識することは、国のトップには自然である。しかし、国家の維持発展に不可欠な、一般国民に「国を守るために戦う覚悟」を持足せることは、困難である。それは、国家の役割とこれまでの歴史をしっかり持つことが不可欠だからである。そこで最も簡単で短絡的且つ国際政治的に有害な方法は、敵対国を創り上げて、その邪悪さの教育を行うことである。

 

日本はその憎まれ役として、周りの国の国家意識喚起の役割を担わされてきた。現在の日本国は、それに対する反論及び対策を、東アジア全体の大きな歴史を背景にして戦略的に行ったとは言いがたい。その東アジアの歴史を裾野にした大きな構図での近隣国への反論は、近隣国への対策であると同時に、日本国民への国家意識醸成に不可欠である。

 

それをやらなかったのは、明治政府の延長上にある現政府が近代史の掘り起こしを嫌うからだろう。その結果、基礎知識のない国民は、事実と現実に基づいた思考が出来ず、右と左に分裂してしまったのである。その分裂は、米国による日本骨抜き政策の一環であったが、培地は江戸末期に始まった新政府建設の時代に作られた。その培地とは、時々「明治維新という過ち」と称される部分である。

 

その培地を掘り起こされたくないために、大日本帝国憲法の欠陥、日本国の敗戦の経緯の分析などの近代史の総括、それに基づく憲法改正論議などを避けてきた。原田伊織氏の記述とおりなら、日本政府の原罪は幕末に作られた。それは孝明天皇に焦点をあわせて、江戸末期を知ることだけでも半分は理解でき、残りの半分を探る動機となるだろうと思う。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/11/blog-post.html

(他の方による孝明天皇を祀った玉鉾神社の紹介例:

https://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/e/2a55fb92361ca224818b75e6293bfd01

 

(セクション3は、17時50分に追加:18時15分少編集あり)

 

補足:

 

1)例によって、訳の分からない質問をパネラーにして、その後噛み合わない議論をする番組での一場面である。「独自防衛すべきか?」という問には、その前提状況や条件が明確になっていないと議論できない。「米国に日米安全保障条約を破棄された場合なのかどうか?」が、最も明らかにすべき大事な前提である。もし、破棄されていないのなら、ワザワザ日本から日米安保を破棄して、独自防衛するのは全く愚かである。何かの議論の時に、司会者が「これは政治討論ではなく、政治ショウですので、そんなに厳密に考えないで下さい」というのを聞いた。あくまで噛み合わない議論を見せるのが、この番組のフザけたところである。

 

2)それに続いて、このYahooニュースの記事の筆者は、「分からないと答えた日本人は、有事の際に「戦争」の「中身」を見てから判断することになるでしょう」と書き、更に深刻なのは「北朝鮮と対峙している韓国で、国民の半分が国のために戦う意思がないと答えていることだ」とも書いている。

 

3)米国に独特の状況だが、大学授業料が非常に高く、親の支援も普通無いので、学資を得る手段としても兵役は重要らしい。(https://iwj.co.jp/wj/open/archives/11590) 

 

4)アンケートを取った時の国の外交的、経済的状況なども夫々の国で異なる。中国やロシアなどでは、その調査員への「答え」が現在の国家に漏れる可能性なども考えて、高い数字が出た可能性がある。

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