2020年9月3日木曜日

日本人の国家意識欠如の歴史

一昨日、「不思議の国の首相選び」と題して、次期首相選びの非民主主義性を主題にして記事を書いた。そして、マスコミも、評論家も、それを話題にしないという情けない現状を指摘した。今日は、何故日本がそのような情けない姿になったのかを考えてみたい。非常に深刻であり、公表を躊躇う気持ちもあるのが正直なところである。

 

日本国民のほとんどすべては、心の中では日本国民であることに誇りと愛着を持っている。しかし、日本国を自分たちが統治するのだという意気込みが全くない。その理由は、主権者であるという実感がないからだろう。主権獲得は、多くの国では長い戦いの後、感激を伴って達成される。日本国民にはその戦いと達成感がなかったのである。

 

戦後1946年日本国憲法は、明治憲法の手続きに従って改定された。1952年には独立を回復して、いつの間にか国民主権(民主主義)の国になった。棚ぼた式に民主主義が転がり込んだが、日本国民はその重要性と貴重さに気づかなかった。そして今も十分気付いていない。何故なら、米国マッカーサーの国民甘やかし政策(補足1)をその後の自民党政府も継承したので、日本国民は未だ外界の厳しさを知らないのである。

 

喩えて言えば、現在は秋であり心地もそれ程悪くない。しかし、冬は近い。食料や燃料の蓄えもない。昆虫から脊椎動物まで、ほとんど全ては、来年の春まで生き残るように本能で対策をしている。日本は、冬になって初めてその厳しさを知り、飢え死ぬのかもしれない。一昔前までは、日本人も冬を知っていたのに。 

 

2)大正デモクラシー

 

日本にも、“民主”の大切さに目覚めた次期があった。大正時代である。その中心にいたのが吉野作造である。吉野は、憲法の天皇主権には抵触しない形で主張したので、「民本主義」と呼ばれた。中央公論に発表された論文の題は、「憲政の本義を説いて、其有終の日を済す(なす)の途(みち)を論ず」である。つまり、大日本帝国憲法の本当の意味を解釈すれば、その有終の美(最終の成果)は、民主政治の実現だというのだろう。

 

この辺りの言語の使い方は、訳の分からない経を読む坊主の姿に似ている。大日本帝国憲法をどう読めば、そのような意味になるのだろう? 確かに大日本帝国憲法第二章(18−32条)には、臣民の権利と義務が書かれ、兵役の義務を記した第20条以外は、現在の憲法に似ている。しかし、第一条「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と、第20条「臣民として兵役の義務を負う」とを合わせば、民主主義を完全否定している筈である。民主主義であれ民本主義であれ、憲法改正以外に実現の方法はない。


そして、同じく東京帝大の美濃部達吉から出されたのが「天皇機関説」である。この説は、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼(ほひつ)を得ながら統治権を行使すると説いたものである。(補足2)

 

しかしである、大日本帝国憲法をどう読んでも、天皇が機関であり、(国)民が本来の主権者であるという解釈はできない。前文に当たる部分は全て天皇が第一人称で(自然)人格的に語る言葉から始まる。

 

民本主義や天皇機関説は、無理やりに憲法を解釈したつもりだろうが、どう読んでも憲法はそのようには読めない。https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p11.html 彼らは、直接憲法改正を言い出さなかったが、彼らの考えを実施するには、憲法改正以外にはない。憲法改正は勅命で議案を提出する形式で可能であり、新憲法もそのようにして改正された。

 

日本の言語環境の悪さは、常々指摘してきたが、その一つの証拠が、民本主義とか天皇機関説だろう。しかも、これらの声をあげるのは、遅すぎた。上杉慎吉とかいう人物が天皇主権説を唱えて、美濃部を抑えに掛かったのである。

 

明治の改革が一通り終わった時点で、天皇主権を謳った憲法条文の廃止などを含む近代立憲主義への憲法改正が行われるべきだった。それは、天皇を国家元首に担ぎ上げた薩長の維新第一世代の人たちなら可能だったと思う。天皇は、江戸時代まで、伊勢神道のトップとして日本の精神的主柱であった。天皇を担ぎ上げた者たちは、天皇をその江戸時代の姿に戻し、現実の政治への利用は終了すべきであった。

 

大正デモクラシーでもう一つ主張されたのが、藩閥政治の廃止である。つまり、“明治維新”と呼ばれるクーデターを為した薩長土肥の者たちが、政治権力を独占した結果、政治家の質が著しく低下していたことの指摘と非難である。この二つとも、“明治維新”の負の遺産である。その負の遺産に依然として苦しんでいるのが、現在の日本だろう。

 

3)家畜的立憲君主国家

 

大正デモクラシーが目指したのは、憲法には触らないという中途半端な姿勢で、民主化を実現することであった。プロイセン型の君主制国家から、近代的立憲君主国家への脱皮に失敗したのは当然だろう。その結果、欧米の主権国家制度やそこでの戦争文化も吸収することなく、国家にとって命がけの戦争を昭和になって初めてしまった。明治から約75年後、国が実質的に滅んだ。

 

敗戦により、主権国家のエッセンスを取り除いた家畜的立憲君主国家を米国から与えられた。しかし、講和条約後も国家主権の意味を十分理解出来なかったのだろう。(補足3)そこから75年後の今、日本国は再度国家の命運が掛かる危機に面している。国民は、日本が戦争により失った国家としての権威と権力を再興する責任が、自分たちにあることに気付かない。それは、近代史の再考とその教育が国民に対してなされていないからだ。近代史は、日本ではほとんどタブーであった。(補足4)

 

新憲法第一章は天皇であり、第一条には天皇の役割が書かれている。主権在民は、天皇の役割の記述文の中に添えられている。吉野作造や美濃部達吉のような憲法の読み方があるのなら、新憲法においても国家元首は天皇である。それを否定するのなら、昭和天皇は少なくとも敗戦後に退位すべきだった。それに代わる形で、国民主権を謳う新憲法制定を行うべきだった。

 

その後のマッカーサーによる占領政治については、補足に多少追加するに留める。(補足5)米国は融和的な占領政治を演出した。こどもは、「give me chocolate」と言えば、チョコなどをもらえるという噂は、米国が意図的に流したプロパガンダだろう。米国の態度は宮沢賢治の「注文の多い料理店」のものである。この小説と違うところは、完全に料理して食べることに成功した点である。

 

日本の敗戦によって、いつの間にか日本国民は主権者となった。この天皇から国民への主権者の移動に際して、誰一人として犠牲者はいない。しかし、この移動のための犠牲者として、あの戦争での死者300万人余があると考えられないこともない。もし、そのように国民が実感したのなら、日本国はもっとしっかりとした国になっていただろう。

 

転がり込んだ国民主権故、その使い方を全く知らない。そして、それまで主権を担っていた(昭和天皇;補足6)が、骨身に染みるほど知っていた筈のこと「本来の姿の国家が、国民の安全と生存に不可欠であるということ」を、新しい主権者である国民は理解していない。

 

4)江戸末期以降の近代史のレビューの必要性

 

戦後75年間、片務的日米安保条約の下で、国民一般が兵役を負うこと無く、侵略も虐殺も受けずに、何となく無事生活が維持できた。国家など税金ドロボーのように感じる人も多いだろう。この家畜的平和が、主権国家の平和であるかの如く国民を騙し続けたのは、無能で売国奴的な自民党政治家たちである。この主権者たる国民がその義務と責任を感じない国家は、中国首相の李鵬が1993年に予言したように、崩壊するだろう。(補足7)

 

本節の主題に戻る。日本の再生は、近代史のレビューが不可欠である。日本の敗因は、日本国の組織が明治のクーデター或いは革命時の臨時的体制(つまり錦の御旗の偽造と天皇の政治利用)を、そのまま70年以上放置したことである。当時世界有数の軍隊だった日本帝国陸軍と同海軍は、天皇直属の軍であり、大正デモクラシーは特権的な陸軍や海軍の地位を下げるという理由もあり、潰された。

 

天皇には、実質的な意味で戦争責任はなかったとしても、大日本帝国憲法の規定により形の上では戦争責任を負う。近代国家への脱皮には、この天皇の政治への関与を除外することが必要だと多くの人が気づいている。それが形を替えて出ているのが、女系天皇容認論だろう。(補足8)それらを唱える人達は、大正デモクラシーが天皇という思考の柵に阻まれて、本来の目的を論理的に述べることすら出来なかったことに学ぶべきである。日本を救うつもりなら、政治家は先ず自分の命を捨てる覚悟を持つべきだ。

 

伊勢神道のトップである天皇家の伝統には、介入すべきではない。それよりも、もう明治以来150年たったのだから、天皇の統治力に頼らない日本を作るべきである。精神的支柱としての天皇を、江戸時代までの元々の形で残す。そして、国家元首としての首相を選ぶ制度を国家行政の柱とするのである。憲法の第一条には、この首相公選制の定義を書くべきである。

 

(終わりに) この文章は、民主主義が政治形態として先進的であり可能であるという前提で書いています。勿論、大衆に政治を議論する知性など無いという考え方もあります。「大衆の反逆」というオルテガの本には、それに関して悲観論がかかれていたと思います。(今回チェックはしていませんが。)天皇機関説に反対した穂積八束の論文『民法出デテ忠孝亡ブ』や、上杉慎吉を論じた本(アマゾンで販売)を入手し、読む予定をしています。何か新しいことが浮かべば、再度文章をアップします。

(21:00編集;9月4日午前6時30分、加筆編集;9月7日早朝、天皇機関説の紹介の次の文章を行替えし、「しかしである、」を挿入。)

 

補足:

 

1)占領軍は日本国民特に子供には優しかった。そして、日本国(民)は「Welcome」という幕を掲げて歓迎した。それを象徴する様に我々の記憶に残るのが、「Give me chocolate」という英語である。米兵にそう言えば、チョコレートがもらえるという噂が広がったのである。これらは全てマッカーサーのプロパガンダだろう。その貴重な写真を紹介しているのが、以下のサイトである。https://ima.goo.ne.jp/column/article/2642.html

 

2)天皇機関説とは、「天皇というのは国家の一組織であり、そこに昭和時代なら裕仁という方が所属されている」という説である。天皇現人神説の否定である。天皇機関説に対して、穂積八束・上杉慎吉らが主張したのが天皇主権説である。美濃部達吉の天皇機関説は明らかに無理な憲法解釈である。つまり、革命なくしてはこの憲法第一条:「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」を替えることは出来ないということである。

 

3)マッカーサーは帰任後の国会証言で、日本の民主主義は未だ12才レベルであると証言した。主権国家体制の中での国家主権のあり方など、17世紀から欧米で形成された国際政治文化を日本は十分知らなかったことを意味しているのだろう。(戦争は外交の一つという欧米の思想があれば、あのような深刻な戦争にはならなかった。)

 

4)昭和から平成・令和の自民党政治は、明治の藩閥政治の延長上にある。近代史の再考(レビュー)がなされないのは、天皇やその重臣たちを戦争責任の考察対象としてしまうこと、維新の志士たちの天皇の政治利用も明らかにし、明治維新に関する「正史」を曇らせてしまう可能性など、薩長出身の政治家には心地悪いからだろう。(原田伊織著「明治維新という過ち」など参照)

 

5)占領軍によるWGIP(戦争罪悪感植え付け計画)は、日本のアジア侵攻と東南アジア等からの宗主国追い出しを、日本政府による悪行と教え、日本国民を洗脳した。また、マッカーサーは対米開戦に反対していた者たちを含め、占領終了後の日本の指導者になるべき者たちを、東京裁判と公職追放により追放した。更に、WGIPによる洗脳、天皇を温存することによる国民一般の懐柔などにより、日本国民は国家を担うことや其の意味がわからないままに、主権者となった。その結果、日本人は歴史のレビューの動機も失った。

 

6)1946年1月1日、昭和天皇は人間宣言された。(ウイキペディア参照)

 

7)「30年後、日本は崩壊し、40年後には、日本は消えている。」は李鵬が1993年、訪問したオーストラリア首相に言った言葉である。2023年、本当に日本は崩壊しそうである。そして、40年後、日本は東海省と日本自治区に分断するのが、中国首脳は今でも考えているだろう。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/12/ii.html

 

8)自民党の憲法草案でも、多くの右派の方々は、天皇を国家元首とすべきと考えている。今だに、明治以降の日本の失敗が分かっていないようだ。かれらの地位のある方々、政治評論の名士たちの頭の中身が私にはわからない。

0 件のコメント:

コメントを投稿