2020年12月10日木曜日

トランプに勝利の可能性が出てきたのか?:テキサス州司法長官による4州の起訴

思いがけないニュースが飛び込んできた。それはテキサス州の司法長官が、ペンシルバニア州、ウイスコンシン州、ジョージア州、ミシガン州を、「新型コロナ肺炎の流行を理由に州議会の法改訂を経ずに選挙制度を変更したこと」が合衆国憲法に違反するという訴訟である。

 

 

 

合衆国憲法には、疫病を理由に選挙制度を変えても良いという規定はないと、Harano Times で語られている。そして、その選挙制度が理由で当選する人物が変化し得るので、それがテキサス州民の利益を損ね得る。そのことは、原告となる資格をテキサス州に与えると言う論理である。(補足1)

 

このテキサス州の提訴に同意する声明が17の他の州から続々とだされたことを、ダラスの新聞「The Dallas Morning News」だけでなく世界的な米国の経済誌Forbesも報じている。

 

 

後者によれば、

 

Texas Attorney General Ken Paxton filed a lawsuit Tuesday in the Supreme Court against Michigan, Pennsylvania, Georgia and Wisconsin, alleging that the states’ election results should be invalidated because of fraud and irregularities that occurred as a result of the states expanding their voting rules amid the Covid-19 pandemic.

 

上記英語文の要約:テキサス州司法長官のKen Paxtonは火曜日、連邦最高裁に4州を相手にする訴状を提出した。その訴えの主旨は、コロナの流行を理由に投票ルールを拡大したため、インチキなどでそれらの州の選挙結果の有効性が損なわれたことである。

(尚、上記4州の司法長官らから、訴状に関して激しい批判がなされている。しかしそれらは、かなり感情的なものであるので、ここでは省略する。)

 

憲法上は、州を代表する選挙人は州の法令に従って選ぶことになっているのだから、上記訴状の論理が最高裁に通じるだろうか。各州で選ばれた選挙人が同じ一票を持つという点までしか、連邦裁判所は関与しない可能性がたかいと思う。しかも、その選挙制度を州の裁判所で合憲だと判断した場合、それを覆す判断を連邦最高裁がするだろうか?

 

この件、何時も引用する及川さんの動画でも取り上げている。

 

 

そこで紹介されている訴状紹介の本質的な部分は、Harano Timesのものと同様で、テキサス州が提訴する根拠として紹介されているのは、やはり、「合衆国国民の権利の平等に反する」ということである。

 

ここで注意したいのは、新型コロナ肺炎のような特殊な疫病の流行を合衆国憲法制定時に想定していないだろうという点である。合衆国憲法は、選挙人の選任を州の自治権の範囲としているのなら、特殊事情を背景に選挙の方法を改めることを禁止してはいないだろう。

 

一般的に、憲法が想定しない事態に対処する場合、リーダーシップを発揮するのは国家元首の役割だろう。それ故、選挙の例えば数ヶ月前に、この非常事態を理由に選挙制度を変えてはならないという内容の大統領令が、合衆国憲法に違反しない形で出せなかったのだろうか? 選挙が終わった段階では、上記論理で最高裁に提訴するのは、受理を勝ち取るための十分な理由にならない可能性が高いと思う。

 

また、「合衆国の国民は平等の権利を持つ」という規定が合衆国憲法にあるとしても、それはどこまで及ぶ国民の権利なのか? 

 

例えば最終的に下院が大統領を選ぶケースでは、カリフォルニアの人口が非常に多いにも拘らず州として一票として数えられる。従って、大統領を選ぶ権利の国民一人あたりの平等は、憲法の原則にはないだろう。つまり、憲法に書かれている国民間の平等は、国家と社会のシステムに関する部分には及ばないだろう。

 

このテキサス州の訴えに同調する州が17出ているが、その州の数が過半数近くなるのなら別だが、そうでない場合にその訴えを最高裁が受理しないと予想する。それは、前回書いたように、“国を割ることになるかも知れないという政治的な判断”は国家元首がすべきであり、最高裁の仕事ではないと判断される可能性が高いからである。

 

この件、日本の最高裁が自衛隊違憲の判決が出せない理由を考えれば参考になるかもしれない。つまり、行政の最高レベルの判断に最高裁は関与できないという統治行為論(補足3)なる考え方である。憲法は国家元首の下に位置する。国家元首が戒厳令を布告することで、憲法に記載の基本的人権すら一時停止できるからである。従って、国家元首がどちらになるかの遷移状態において、その方向に関して決定的となる判断を最高裁に求めるのは無理がある。

 

追捕:私個人としては、トランプを応援している。ただ、法廷での闘争には限界がある。元海軍と陸軍の中将二人が進めるように、戒厳令を布いて、選挙をやり直すしか、トランプが勝利する筋書きはないだろう。それはこの10日ほど書いてきたことである。

 

(15時30分、編集)

 

補足:

 

1)Hirano Timesが、連邦最高裁が似た判断を嘗て行ったとして言及したのが、ブッシュ・ジュニアとアル・ゴアの選挙戦での訴訟である。フロリダ州の県の間で選挙の制度が違うことが争われ、結局ブッシュが勝ったという。しかし、この場合、どちらが大統領になっても、米国の屋台骨に影響する効果はなかっただろう。この違いについては、下の統治行為論に関する記述を読んでほしい。

 

2)統治行為論は日本独自の理由かもしれないが、最高裁側の「国家元首或いは主権者がするべき判断を押し付けられてはかなわない」という考えは万国共通だろう。

 

 

 

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