2020年12月27日日曜日

金融独裁や共産党独裁からの人間の解放について

1)人間関係の金銭関係への変質

 

米国を始め多くの国では、社会は金融資本が支配する構造に変質している。ミクロに見れば、人の間の親和力に基づく関係が希薄になり、対人関係で残るのは、売買関係と仕事上の関係のみとなりつつある。資本主義の進展が、ローカルな共同体を破壊し、対人関係を金銭関係に切り替えたのである。

 

この社会の変化をもう少し微細に整理してみる。人材教育、その配置と移動は、資本主義の原則に支配される。その発展に伴い、①2060代の人の行動半径が、地域コミュニティから全国規模に、更に地球規模へと拡大した。それは、家族や親族との関係、地域コミュニティとの関係などを物理的に希薄化した。

 

同時に、②隣近所での力の貸し借りや、家族の養育や介護、料理や洗濯までもが金銭関係、つまり、金銭的契約行為となり、GDPの成長の中身となった。その結果、上記人間関係を、希薄化及び金銭関係に変質させる。

 

人間関係の分断は、当然、社会における様々な係争を増加させる。米国では、日本では裁判にならない類のことまで、多額の費用を費やして裁判し、GDPを増やしている。(補足1)増加した銃器等による殺人も米国のGDP増加に貢献している。多分、米国の軍産共同体の国外での20世紀以降の行為は、この国内の個人や法人間の係争関係をモデル化し、国家間に適用した結果だろう。(補足2)

 

契約社会と言えば知的に聞こえるが、商品に対する詳細な説明書き、それに対応した詳細な法令、より安全な通信や暗号システム導入など、人間社会は普通の人間にとって住みにくくなる一方である。

 

衣食住以外のGDP算定項目が増える一方なのは、果たして人類に好ましい社会のあり方なのか? 法と契約を意識した人間関係は、人類にとって幸福な関係なのか?その疑問が本稿を書く動機である。

 

2)善悪の消滅と不正の蔓延

 

中世の独裁政治は、論理無視で人を弾圧した。宗教は、その政治の権威付けに利用された。中世の人間復興は、硬直化した宗教からの解放だったと教えられたように記憶するが、その背後に独裁政治が有ったと思う。

 

宗教により決められた善悪は、人々を縛るが論理とは関係が薄い。近代とは、個人が論理的に動くことにより、独裁から解放された時代だとすれば、その論理は宗教的規範にも向けられる。その結果、善悪という行動規範は、論理の産物である合法・非合法に置換されたと思う。そして善悪の感覚は、人々の心の中でも薄くなったと思う。

 

近代の科学&技術の発展は、その近代合理思想によってもたらされた。その合理主義が基礎に置くのは、善悪ではなく事実と論理である。善悪は人間のこころの中にあるが、事実はある場所に観測結果として存在し、論理は個人の頭の中にある。

 

人々が論理を用いて、公空間に於いて対面するのは法や契約書であり、“善悪”に基づく判断は、人間関係が法的関係(契約の関係)や損得の関係に置き換わることで、価値を失ったのである。本来宗教を基礎に出来た“善悪”は、2021世紀に宗教とともに幻となって消失することになる。(勿論、違法=悪という関係で悪は残るが、悪の宗教的感覚は希薄化する)

 

上記①により、視野と行動半径が地球規模となれば、ローカルに存在する事実は人々から遠ざかることになる。事実或いは真実を重視する姿勢は、損得感覚と相性が悪い。そして20~21世紀には事実の現場が遠くなり、欺瞞や詐欺が横行する時代となった。善悪という抗菌剤を失った社会に詐欺や欺瞞という細菌が蔓延りだしたのである。

 

 

 

3)共同体、宗教、言語は、同一起源である

 

宗教と言語は、共同体社会とともに発生した。その主目的は“善悪”の創造による地域共同体の団結と外敵からの防御である。これは先人の著作にあるかもしれないが、私のオリジナルな仮説である。(補足3)そして、多くのトラブルを乗り越えて生き残った民族は、地政学的な因子を除けば、高いレベルの言語と宗教を持ったからだろう。

 

宗教は極めて優れた指導者の言葉を最高の知恵として信じることで、思考のエネルギーを少なくできる。それが記述する行動基準は、善悪という座標軸とともに人々に示される。宗教(つまり、その偉人の知恵)が優れていれば、行動の効率が格段に上がり、他民族や他グループとの生存競争に有利である。

 

行動の前後に多くの言葉を用いる必要がなく、多くのルールや多段階の論理で考察する必要がない。人は単に善をなし、悪を懲罰するだけで良い。善悪は共同体のメンバーに記憶され、文化の中に明確に存在する。(補足4)

 

キリスト教文化でも、およそ1000頁ほどの文章を読むだけで良い。例えば、米国政府が今回出した予算書は5500ページあるというから、この宗教的生活の高い効率が理解できるだろう。(トランプが拒否権を行使した予算書:https://www.youtube.com/watch?v=RD8emQ8GqAA

 

資本主義が進み社会が法と論理の支配になれば、合法は宗教の善と対立するケースも発生する。宗教の善悪は、人と間の濃い関係の中でこそ力となり、重要である。従って、人と人の関係が、金銭と契約の関係に置き換わったとき、上に述べた様に、善悪は地位を失い事実と論理が社会の基本的価値となる。(しかし、事実は社会の複雑化と強大化で、だれでも確認可能でなくなる。)

 

 

4)新しいタイプの束縛と新バージョンの人間解放

 

I ) 新バージョンの人間解放の必要性

 

宗教及び善悪により過度に縛られた人を、古代ギリシャのようなもっと自由な世界に解放しようと言うのがルネサンス(人間解放)なら、その原動力になったのは、経済の発展、特に資本主義経済の発展だろう。(ルネサンスは数世紀後の市民革命につながる。)

 

 

 

その後、経済システムが資本主義、金融資本主義、ネオリベラリズム(新自由主義経済)と変質発展したことと同期して、コミュニティや家族における基本的人間関係まで希薄化が進み、社会における人間性軽視が進行する。コミュニティや家族などの基本的人間関係は、善悪の関係(宗教的関係)だからである。

 

つまり、人間は経済発展により、法と論理の社会に生きることになり、暗い束縛された地下室から解放されたと思った。しかし外の広い空間で、精神的な豊かさを育む善悪の関係を失うことになったと考えるべきだろう。

 

近年のグローバリズムで地球規模となった経済の世界では、人はその経済システムの要求に従って、全国から主として大都市に集められ、団地に住み働くことになる。更に、経済システムは法と論理により、必要に応じて個人の職種変更や配置転換などに命じることになる。

 

希薄化された人間関係の中で、新しいタイプの束縛、資本主義の進んだ国家などでの、人間関係の希薄化と法と契約による束縛が現れることになった。その束縛は事実を隠して、善悪を無視した形で、巨大資本の利益最大化を目指す中で、形成された。

 

II米国における新束縛からの解放の試み

 

経済主体の地位は、個人から法人に、そして現代では更に、法人から巨大資本へと移った。それが世界の主人公となり、世界の政治を支配している。民主主義というのは、個人を最高の権力源とする制度であり、従って巨大資本の国米国では、幻影でしかない。

 

中国では、民主主義の歴史を持たないので、直線的に新貴族(米国ではエスタブリッシュメント)と国民(人によっては家畜あるいは奴隷と形容するだろう)の身分制度を採用することになった。何方にしても、両国は本質的に同じである。米国は衣が体を現していないだけである。(補足5)

 

また、中国の農村部の安価な労働力を利用して、グローバリズムと称する経済システムで資本の成長を目指した米国新貴族の政治に対決して、その経済構造を修正し、両身分での貧富の差の縮小を目指したのが米国トランプ政権だろう。

 

トランプの政治を、新しい人間復興運動と見る事ができる。ただ、トランプ初期の「グローバリズムが人間的でないから、ナショナリズムに戻る」という考えは、時計の針を逆回転させるような企みであり上手くいかない。トランプが、「国民重視」の政治経済の復活に向うのなら、各国はそれを支持すべきである。(補足6)

 

嘘とプロパガンダを武器にして、ネオリベラリズム的に資本の増大と軍事力の増強、それらを用いて世界支配を目指す、米国内外の善悪を意識しない勢力(米国のDeep Stateと中国のCCP政権)の世界支配を阻止すべきである。トランプは、今回敗北するだろうが、その後米国民が立ち上がることに期待したい。

 

勿論、その結果日本は本当の意味での独立を求められるので、日本国民はしっかりと、国家と個人の関係を習得すべきである。

(編集:16:45;18:00,18:50今ひとつ整理し切れていませんが、今後少しつづ編集します。)

 

補足:

 

1)先日のテレビ番組での話。ハワイでイカガワシイ映画を撮影していた人が逮捕され、懲役300年位になるとどこかから聞かされた。危機感の末に非常に優秀な弁護士に弁護を依頼した結果、罰金刑で済んだという。その弁護士費用は、数億円に上りこれ迄の映画で稼いだ金の大半を失ったという。米国では裁判も弁護士次第だという話である。GDP成長率やランキングを作っても、中身を精査しないと、何の役にもたたない。

 

2)後述するが、9.11のテロとアラブへの米国の介入は、おそらく米国により計画されたことだろう。つまり、基軸通貨としての地位を失う可能性が高い米ドルを護るために、アラブでの存在感を増す必要があった。米国は世界のGDPの中での米国の比率が下がるに従って、米ドルの地位が下がり、ユーロなど他国通貨がその代わりをすることが考えられる。特に近代産業の血液とも言える石油取引を、米ドルに限るという大目的と、これらアラブの内戦との関連が疑われる。因みに、ビンラディンはサウジアラビアの人間であり、事件後米国からソット出国させたという。

 

3)言語の進化論として、2019618から3回に分けて書いた。その後、書き足すつもりだったが、そのままになっている。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12482800585.html

 

4)宗教は極めて知的な人が導き出した知恵の結晶だとしても、所詮一人の人の思想である。しかし、無限の人によるオープンな議論により、連続的に修正を加え導き出した知恵は、一人の神がかりの思想を質的に超えるし、時代の変化に即応できる。西欧の近代とは、将にこのオープンな社会での無限の人による対等な議論を動員するという、「科学の方法論」により導かれた。

 

5)現在、このようなネオリベラリズムと言われる政治経済体制から離れて、独自の方式を採っていると思われるのが北欧諸国である。それについては、伊藤貫氏の講演を用いてレビューした。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12549364718.html

 

6)12月に米国上下両院が提出した予算案は、5500頁以上あり、その内容は米国民の生活を豊かにするという視点のものはごく一部で、その他は利権集団が税金を蚕が桑の葉を食い荒らすような構成になっていたようだ。(及川幸久氏のyoutube動画)トランプ大統領は即座に拒否権を行使したのだが、それと同時にオバマ時代のツイートをリツイートしたという。その文章が面白い。「私達が他の惑星で生命体を見つけないことを私は願っている。何故なら、米国政府は間違いなく彼らにお金を送るだろうからである。」 各国への軍事支援金などは、両院議員たち新貴族の既得権益と絡んでいると言っている。

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