2021年2月10日水曜日

何故日本はまともな国家になれなかったのか?

1)日本を骨抜きにした第一の原因は米国の占領統治なのか?

 

日本の右派の共通項は、戦後まともな国家になれない理由を、米国の戦後統治(war guilt information program; WGIPなど)に押し付ける考え方である。それは根本的に間違っている。そう考えるのは、日本は明治時代以降、一度としてまともな国家であったことはないと考えるからである。

 

 

 

もし戦後、米国による占領統治がなかったとしたら、日本は再び天皇を中心にした全体主義国家に再生していただろう。何故なら、米国の統治終了後、日本国独自にあの戦争に関する総括が成されなかったし、そして、東京裁判で殺された人たち全てを、英霊として靖国神社に合祀したからである。それは、戦前戦中の出来事全部の評価を放棄し、全肯定したことを意味する。(補足1)

 

また、日本の近代史の研究家から日本の敗戦までの失敗の原因として屡々指摘されるのが、軍の暴走であり、それを可能にした大日本帝国憲法の欠陥である。軍を直接支配するのは天皇であり、内閣ではないという帝国憲法第11条である。

 

「天皇は陸海軍を統帥する」であるが、これは恐らく天皇の権威を高めることと、軍兵士の戦意を高めるための条文だろう。この規定により、内閣の指示に従う必要がないという気分が軍の中堅幹部(現場の指揮官)に生じたたとしたら、それは少なくとも敗戦の間接的な原因だと言える。

 

しかし、それが直接原因となった訳ではない。日本国が全体として機能を果たす事ができなかった根本原因は、日本の軍隊を含めた汎ゆる組織において、指揮系統に沿った十分な情報交換と意思疎通が行われ無かったことにある。私は、そのように思うので、それについて以下議論する。

 

 

2)日露戦争から満州事変までの戦略について:

 

日露戦争から朝鮮併合までの日本の拡張政策は、米国の支援も有って成功裏に行われた。南満州鉄道に関しては、米国は共同管理を期待したが、日本はそれを拒絶した。そして、独自に満州事変を引き起こし、傀儡政権樹立による満州国支配へと進み、米国を含む国際社会と対立して、太平洋戦争へと進んだ。

 

日本の政府は、日露戦争の総括をしないで勝利に酔う一方、ポーツマス条約に対する国民の不満について十分、分析対処しなかった。セオドア・ルーズベルトとその背後にあったユダヤ系資本とによる、日露戦争における日本支援の戦略について、十分総括していない筈である。

 

何故なら、その後の政権は、簡単に桂ハリマン協定(満鉄共同運営)を破棄しているからである。この歴史の流れは、日本帝国が、戦略の立案から現場での実行に至るまで、一つの機能体の行為として行う体制(国家の体裁;国家の骨組み)を整えていなかったことを証明している。(補足2)

 

ロシアから手に入れた南満州鉄道の運営も簡単ではなかった。それは、現地の人たちにとっては侵略行為であり、それに対して当然強い抵抗がある。更に、満州での利権を狙う西欧諸国の思惑などもあり、それらへの対抗措置をとるには、緻密な集団思考の結果としての戦略が必要だろう。

 

上述のような国体だったので、敵対勢力の全てを撃破する稚拙な方法しかとり得なかった。その結果、日本の戦いはまるで坂道を転げるように、満州事変、日支事変へと拡大され、遂には米国との戦争にまで発展した。敗れるまで、戦線を拡大するしか無かった。能力を顧みないで戦線を拡大して、最後にはバブル崩壊となったのである。

 

3)満州事変について:

 

具体例として、関東軍が独自に立案実行したと思われる対満州作戦を取り上げる。日本政府は、事の経緯を有耶無耶にすることで、事後承認するのが精一杯だったというのが事実である。それは、近代立憲国家という着物を付けたものの、猿真似衣装に過ぎなかったことの証明である。

 

当時の満州は張作霖ら軍閥が支配していた。南満州鉄道の警備が目的だった関東軍は、徐々に反日の動きを強めた張作霖の下、治安の悪化に悩んだ。満鉄沿線以外に侵攻することを許可しなかった本国の意思を無視して、1928年、独自に張作霖の暗殺を実行する。(張作霖爆殺事件;関東軍高級参謀であった河本大作の立案)

その後、1931年、石原莞爾の立案による満州占領作戦が実行された。(満州事変;板垣征四郎らとともに実行)それらは、繰り返すが、日本の大本営の計画したものではなかった。結果が大成功だったため、石原の独走の責任は有耶無耶となった。そして、それが前例となって。その後の軍の暴走に拍車をかけることにつながったようだ。

 

満州での治安悪化などの情報を本国で受け取り、それに対する対策を現場との情報交換の末に立案し、現場が実行するという本来の機能が全く発揮されなかった。(補足3)本来ならその過程で、日本国の実力のほどが自覚され、その後のバブル的な戦略拡大は無かった筈である。

 

この種の体験は、明治以降、多くのケースで存在した筈であるが、それらに学ぶことが出来なかった。つまり、現場が独自に動く現実は、立憲国家の体をなしていなかったことを示す。太平洋戦争も同様に、現場と参謀本部の情報交換は円滑ではなく、兵站の理論もなにも無視して、多くの作戦がなされたと言われている。

 

4)現在の右翼のプロパガンダ

 

現在、右翼的思想をもった人たちのほぼ全員が、上記のような近代の歴史を総括すること無しに、戦前の日本帝国を擁護する傾向にある。それは現在においても尚、主権国家の機能と組織に関して、十分な理解がないからである。防衛力の整備に関しても、「平和を目指す民主国家でありながら、国民の命を軽視するのか」という類の左翼の攻撃に対して、右派の政府はまともに反論できない。

 

マッカーサーの占領政策に洗脳されているとしたら、左翼も右翼も同様だということである。日本が国家としてあの戦争を総括できないのは、組織的且つ多角的な議論を、フラットな人間関係のなかで行うという欧米が理想とする型の国家運営が出来ないからである。個人には、高度に戦略的に練られた占領軍の洗脳政策の分析が出来るほどの能力は無い。

 

個人のレベルの能力では、右派には戦前の日本に帰る方針しか出せないし、左翼には日本国家を滅ぼす方向しか浮かばない。(右の売国、左の亡国?)そのような彼らの間では議論などできない。出来るのは、口論であり喧嘩である。その根本は、西欧から輸入した民主的な主権国家体制を消化不良のまま真似をし続け、何時になっても日本の文化の中に同化できないのである。その思想的背景まで輸入できていないのである。

 

そして右派は、「日本は悪くなかった、米国のフーバー元大統領はそう書き残している」と主張したり、「教育勅語には良いことが書いてある」とか、「靖国神社へ参拝を首相がするのは当然である」と主張し、総理が参拝できないのは外国の干渉だとして、それら外国を非難するのである。

 

日本は戦いに敗れたのである。その現実が全てであって、それを国家間の善悪論争に持ち込むのは根本的な間違いである。国際法は一応存在したが、国家間の関係は本来野生の関係だからである。善悪は、権力と権威が明確に存在する国家内部でのみ有効な概念である。(補足4)それを知らない者には、国際政治を語る資格がない。

 

5)靖国参拝について:

 

靖国問題については、過去に何度も議論している。その詳細は、以下の5年前の記事をご覧いただきたい。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515250.html

 

右派は、国家の為に命を捧げた英霊の墓所である靖国神社に、国家のトップが参拝しないのは異常であると宣伝している。確かに、国家のために命を捧げたのは事実である。その英霊の勇気と覚悟に対して、大日本帝国は十分な配慮を行ったのか? その総括無しに、英霊への参拝を主張するのは、誤魔化しである。

 

もし、その陸軍の英霊の死が、インパールでの犬死だったのなら、その悔しさを国民全員が自分の父や兄の犬死として反芻すべきである。「マリアナでの七面鳥撃ち」と揶揄されるような無様な海戦で、命をおとした海軍兵士達の無念を、国民全員が同様に自分の無念として反芻すべきである。これらは百田尚樹氏の小説「永遠の0」にも、詳しく書かれている。

 

その無念さや悔しさを胸に、それら英霊の墓所に参拝すべきである。その悔しさを、日本の政治のあり方を考えるエネルギーに転換しなければ、靖国に参拝する意味がない。

 

しかし日本人は、あの戦争の復習を全くやらず、英霊を祀り上げて、自分たち民族の失敗を隠している。その失敗とは、敵の諜報活動に日本の弱点を把握利用され、勇敢だった日本の兵士の命を無駄にしてしまったことである。日本の政府は、一つの機能体として働かず、例えば石原莞爾や山本五十六のような個人が、思い付きで日本国を悲惨な結末に導いたのである。

(以上は、素人であるこのブログの支配人の考えであり、学会の定説とは無関係です。)

 

(2/11/7:00 全体を編集、補足3は完全に変更し、最終稿とする。)

 

補足:

 

1)過去の失敗を反芻することなく、敵側(フランクリン・ルーズベルトの米国)の悪としてしか語れないのが現状である。戦後の日本は、明治維新以来継続的に、薩長や土佐の支配下にあった。同じ陣容で同じ遺伝子が発動すれば、同じ国体が再生する筈である。

 

2)米国は南北戦争でアジアへの進出が遅れた。フィリピンを植民地化(1902年)した後、満州利権の獲得を狙っていた。そこで、日本には統治が難しい朝鮮半島の併合を認めた。共通の敵となるロシアとの戦争において日本を応援し、南満州鉄道の利権をハリマンが共有すること等に始まる満州権益の確保で、その帳尻を合わせる積もりだった。

 

3)内閣で問題を把握し、満州での対処を話し合えば、必ず批判を強める外国相手の外交も考慮の範囲に入り、議論の裾野が広がる。現場の専門家だけの議論ではなく、裾野を広げて、諸外国との関係を含め日本国全体の問題として議論し方針を出さなければ、普通の国家とは言えない。

 

4)同一の神を頂く集団には、神の権威による善悪が存在する。その善悪と、国内の権力と権威が求める善悪との調整は、欧米諸国にとって難問である。それは通常、二枚舌によって調整される。


 

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