2021年9月12日日曜日

自民党総裁選挙の論点:総理大臣の靖国神社公的参拝の問題

今朝のテレビ報道番組のザ・プライム(午前7308:55)のゲストは、総裁候補の1人である高市早苗氏であった。彼女が、これまで私人として靖国に参拝してきたとの発言を立候補宣言の記者会見で行なった点を重視した中国の新聞は、高市氏に政治狂人というラベルを付けて批判したことが紹介された。

 

高市氏はその件は政治問題化すべきではないと中国の報道に反発する一方、米国も反対であることに関して、同盟国である米国がそのように主張することはちょっとわからないと言っていた。この高市氏の発言は、第二次大戦で米国と戦ったことを、政治の側面から(高市氏が)十分消化していないことを示している。(補足1)

先の戦争で日本は米国に負けて、サンフランシスコ講和条約を締結した。その条約は、連合国側のこの戦争に対する解釈、そしてその反映である極東軍事裁判を、日本国が受け入れることを含んでいる。サンフランシスコ平和条約の第11条の翻訳文を補足2に示す。

 

この条項には、日本国は極東軍事裁判所並びに、その他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾することが明記されている。ここで重要な点は、仮に赦免があっても、或は、刑の執行が終わっても、連合国側の決定である戦争犯罪の事実や誰がその戦争犯罪人であったかということが、消滅するわけではないことである。

 

靖国神社においてこれらA級戦犯とされた人物の霊を神として祀ることは、一宗教法人の行為と見る限り、信仰の自由の範囲内のことであり批判すべきでは無いかもしれない。しかし、そこへの総理大臣の公式参拝は、日本国がサンフランシスコ平和条約の11条に違反したと見做されても仕方ないだろう。

 

つまり、外交問題化しても当然であり、その責任はその時の日本政府が負うことになる。米国が、総理大臣による靖国参拝に反対する理由は、これで明らかだと思う。(補足1)

 

講和条約は、未来志向の条約だが、それは過去の歴史認識を双方で一致させた上でのことである。その厳粛な意味に関して、日本政府要人も日本人一般も、あまりにも鈍感である。そのことは、今年85日の記事でも、領土問題を考えることと同時に言及した。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12690527068.html

 

私は、日本の明治以降の近代史を全面否定する者ではない。祖先の努力に対して尊敬し感謝する1人である。そして、昭和の戦争での大敗の後遺症の結果、日本国は未だ1人歩きできない人のような情況にあることを非常に残念に思う。

 

高市氏に総理大臣になってもらって、一日も早くその情況から日本を救ってもらいたい。そのために敢えて、靖国問題を適正に理解してもらいたいと、ここに書き記すのである。

 

2)野田佳彦氏の衆議院での質問と政府の答弁:

 

平成18年の国会において、この問題に対する質問が野田佳彦氏によりなされた。その一部を下に書き下す。

> http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164308.htm

 

 国内法に基づいて刑を言い渡されていないものは、国内において犯罪者ではないのは明らかである。政府が、「A級戦犯」は国内において戦争犯罪人ではないことを明確にした意義は大きい。
 しかしながら、政府見解には未だあいまいな部分が残されている。もし政府が、一方で、「A級戦犯」は国内の法律で裁かれたものでないとして「国内的には戦争犯罪人ではない」としながら、もう一方では、日本はサンフランシスコ平和条約で「諸判決・裁判の効果」でなく「裁判」を受諾したのであり、国と国との関係において、同裁判の「内容」について異議を述べる立場にはないとするのならば、これによって他国からの非難に合理性を与えていることとなる。

 

 刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。したがって、極東国際軍事裁判所が「A級戦犯」を戦争犯罪人として裁いたとしても、その関係諸国は、昭和三十一年以前に処刑された、あるいは獄中死したものも含めた「A級戦犯」の罪はすでに償われていると認めているのであって、「A級戦犯」を現在においても、あたかも犯罪人のごとくに扱うことは、国際的合意に反すると同時に「A級戦犯」として刑に服した人々の人権侵害となる。

 

この質問に於いて野田佳彦氏は根本的間違いを犯している。それは、上記質問において「刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である」と記している部分である。

 

刑罰が終了した時点で消滅するのは、あくまでも刑罰であり、罪ではない。もし罰とともに罪が消滅するのなら、前科の意味がない。それは社会とそのルールの本質を理解していないことになる。

 

つまり、野田佳彦氏が質問書において記したように、「A級戦犯」は国内(法)的には戦争犯罪人ではないという政府の判断(平成171025日の答弁書内閣衆質16321号)があるものの、サンフランシスコ講和条約(第11条)で東京裁判を受け入れている以上、総理大臣の靖国参拝に対する他国の非難には、一定の合理性があるのである。

 

この質疑応答で付加的に明らかになった重要なことは、国内であの戦争の指導者たちの責任について、公的な議論が殆どないことである。つまり、下手な戦争で日本人300万人余の生命が失われたこと(補足3)の責任を誰もとらないという無責任国家の現状から、一歩も日本政府は脱していないのである。

 

この質問に対する政府答弁は、型通りのものであり、何の参考にもならない。答弁書の最後の方に、以下のように書かれている:内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は、戦没者一般を追悼するために行うものであり、同神社に合祀されている個々の戦没者に対して行うものではない。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b164308.htm

 

内閣総理大臣の公式参拝が、所謂A級戦犯の霊に対し尊崇の念を示すことではないと、客観的に言える根拠が何処にあるのか政府に答えてもらいたい。そんなものは何もない。この中途半端な姿勢が、対米国を含めて、国際的批判がなくならない原因である。

 

米国から信用されない限り、日本がまともな独立国として、独自外交する能力が得られないのである。日米安保条約が改訂された後の1972年、ニクソン訪中時に、周恩来とキッシンジャー補佐官の間でかわされた言葉の意味をもっと深く考えるべきである。(補足4)

(編集17:10)
 

 

補足:

 

1)高市氏が、同盟国の米国が反対するのが解らないと言うのは、氏がこの問題(総理の靖国神社参拝問題)を、中国や韓国への侵略の歴史との関係でのみ捉えているからである。つまり、この問題がサンフランシスコ講和条約の解釈、つまり先の戦争全体に対する連合国側の解釈、に触れるからだという視点が欠けているのである。二回目の(補足1)の引用符のところにまで読まれた方は、理解されると思う。

 

2)サンフランシスコ平和条約の第11条:

日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基づく場合の外、行使することが出来ない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基づく場合の外、行使することができない。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/B-S38-P2-795_1.pdf

 

3)先の日米戦争の原因として、日本の下手な政治と外交があった。米国におんぶに抱っこで漸く勝った日露戦争の現実を、十分日本国民は理解しなかったのである。つまり、米国は中国大陸進出を、日本を利用して行おうと考え、日露戦争の戦費調達から、タイミングを計って講和を勧めることまで考え手配したのである。それにも拘らず、日本はその後米国に満州進出させるという約束(桂ハリマン協定)を守らなかったのである。この辺りの歴史の背後には更に、米国在住のユダヤ資本の米国政治への影響や、どちらともなく出来た満州をユダヤ人の住処とする案(日本側からは所謂フグ計画として存在した)などがあると思う。

 

4)キッシンジャーは周恩来に、このまま日本が経済発展し、軍事大国になったら厄介なことになると言い、日本の軍国主義を封鎖するちょうど「瓶の蓋」に当たると言って、日米安全保障条約に対して中国の理解を求めたのである。このことは、日米の間に基本的な信頼感すら存在しないことを示している。これはどこかで述べたことだが、在米の評論家伊藤貫氏の言葉「何処が核武装しても、米国国務省は日本だけには核武装させないだろう」がそれを示している。

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