2021年10月17日日曜日

【複製+追補】櫻井よしこさんの靖国参拝に関するコラムを読んで解った事

2013年8月に書いた上記表題の記事が昨日読まれていた。靖国参拝の議論には、重要な点を追補する必要を感じたので、細かい点の編集を加え追補とともに再録する。

 

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週刊新潮8月15・22日号の連載コラム「日本ルネッサンス」(172頁)に掲載された櫻井よしこさんの文章を読んで、所謂右寄りの人たちが靖国に参拝する理由について、私は重要な誤解をしていることに気づいた。櫻井さんを始め多くの自民党議員たちは、単に戦死した多くの兵士達の慰霊だけではなく、戦争主導者達(所謂A級戦犯を含む)を含め全戦犯の慰霊も、重要な参拝理由であることが解ったのである。つまり、彼らは戦争責任者などいないという考えを持っているのである。

 

櫻井さんは書いている、「独立を回復したとき、全国で戦犯の赦免及び保釈の運動が湧き起こった。赦免を求めて署名した総数は4739万人だった。A級戦犯注1)をはじめとする全ての戦犯の赦免こそ、国民とほぼ全ての政党の切なる願いだった。」更に、「A級戦犯を含めた全ての戦犯は、日本国内外の合意と承認を得て赦されたのであり、合祀の時点ではもはやどの人も戦犯ではなかったのである。」と。


この文章において、櫻井さんは明解に、私にとってはとんでもない主張をされている。櫻井さんは、歴史的データを自分に都合の良い方向に解釈されていると思う:

 

1)4739万人の署名は、全ての戦犯の赦免を要求するものだったのか?

戦犯のほとんどはB・C級戦犯であり、極限情況での捕虜虐待などの犯罪行為を裁かれ投獄中の人たちである。国民のほとんどが、東京にいて戦争を指揮し、既に絞首刑になったA級戦犯たちを念頭において署名しただろうか? しかし、櫻井さんは強引に、「A級戦犯を始め全ての戦犯の赦免こそ、殆ど全ての国民の願いだった」としている。

 

追補1:戦争指導者達を国民が処罰する気持ちがなかったのなら、あの時点でも尚、あの戦争の遂行を支持していたということになる。更に、櫻井さんは上記論理を根拠に、現時点でも首相の靖国参拝を要求しているのだから、現在でも国民はあの戦争を支持する当時の人たちの思いを共有していると考えていることになる。2021/10/17) 

 

 

2)「全ての戦犯が赦免されたのだから、靖国に合祀された段階では戦犯では無かったのである」と勝手に解釈している。赦されたのだからその人達は戦犯ではなかったという、とんでもない理屈である。注2) ボケた頭のせいなら兎も角、全体的に練られた文章の中に、このようなとんでもない理屈を入れるという手口は悪質としか言い様が無い。

 

追補2:赦免とは「罪を許し、刑罰を免除すること」であり、罪がなかったことではない。強盗犯が赦免されても、強盗犯ではなかったことを意味しない。2021/10/17)


また、絞首刑にされたA級戦犯の多くは、終戦時内閣を組織し、原爆や空襲で数十万人の民間人に死者を出しながら、尚、自分達ではポツダム宣言受諾を決められなかった指導者である。注3) 急激に大きくなる黄色人種の国に、脅威を抱く西欧諸国側(西欧のエゴであったとしても)の見地に立つ想像力の欠片もない彼らは、破竹の勢いでアジアに侵攻するか、或は西欧諸国に戦争を挑み国家の存立さえ危うくするかの選択という愚かな賭けをしたのである。

 

国民の平穏な生活を守るというような視点はなく、国民全てを自分達の危険な賭けのチップとしたのである。そのような人たちを英霊として何故拝まなければならないのか? 戦争は、ましてや一億玉砕や神風特攻隊は日本国民全員の本来の意志ではない筈である。そのように国民を煽動した者達の霊を拝む必要はない。

 

それに、神社ではなく何故墓地に戦没者を埋葬し、墓参しないのだ? 靖国神社は、戦死したら神になるというごまかしを用い、兵を消耗品の如く戦場に送り込むために用いられた独裁国家の施設なのである。


注釈:


1)日米開戦には慎重派の閣僚でも、開戦時内閣の構成員だったという理由でA級戦犯となった人もおり、一括りにして論じるのは不適切であると思う。櫻井さんは全ての戦犯を同等に考えておられるから、文字通りで良いが、私は、A級戦犯を以下戦争指導者の意味で用いる。


2)A級戦犯合祀が1979年4月に毎日新聞のスクープ記事となった直後、靖国へ参拝した大平首相は、6月の参議院内閣委員会での質問には、「(A級戦犯についての)審判は歴史が下すであろうとかんがえています」と答えた。その後12月には中国を訪問した際、多いに歓迎された。中国の姿勢が変化したのは、中曽根首相が85年8月15日に10回目の参拝をした後の9月20日である。明らかに政治的な理由がある」と書いておられる。中曽根首相の終戦記念日での参拝に対する批判までに、6年近く経っていることから、中国は政治的に利用していると結論している。明確に先の大戦と関係つけて参拝したのが終戦記念日に参拝した中曽根首相であるのなら、中国の批判は瞬時ということになるが、その点には何もふれていない。


3)ポツダム宣言は前の米国の駐日大使であった、グルーの努力により日本を救う為に出されたということである。厳しい内容の中に、そのような意図が汲み取れない指導者は、一国の指導者たる資格はないと思う。
 

追補3.ここで最初に書いた重要な点にふれる。それは最近何度か書いた講和条約で遵守を約束した点と靖国参拝は調和的でないということである。 国家と国家の基本的な関係は条約という約束により成立する。戦争後のサンフランシスコ講和条約では、日本が東京裁判の結果を受け入れるという条件で講和した。それは、現在の日本国の国際的立場の基本である。

 

 

在米の伊藤貫さんは、「米国国務省の意向は、韓国など日本の近隣国が全て核武装しても、日本だけにはそれを許さないことだ」と直接聞き取っていると言う。その理由は、日本国に対する根深い不信感である。

占領が終るやいなや、A級戦犯赦免の決議をして、全国民があの戦争を正義の戦いだと確認したのなら、米国側は、何のための東京裁判だったのか、何のための講和条約だったのか分からないという気持ちになるのは想像に難くない。

 

勿論、大きく人類の歴史を俯瞰すれば、日本は正義の戦争を戦ったと言えるかもしれない。しかし、その前提では現在の世界は動いていない以上、そしてその世界の中で生きていくつもりである以上、その民族としての思いを、半永久的に表に出さない様に飲み込んで乾いた文字としてのみ残すのが大人の対応だろう。

 

そうしなければ、最重要な同盟国と歴代の自民党政権が言及している国からも裏切られる危険がある。今後数年間、米国は分裂の危機にあり、中国共産党政権も台湾占領か崩壊かの危機的情況にある。その国難にあって、大事なのは、我々日本国民が生き残ることである。戦争で無くなった多くの英霊も、それを最も大事なことだと考え、上記分析を支持して下さることと信じる。

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