2022年1月9日日曜日

専門家の責任とは?岸田首相は、核戦略の議論は死んでもしないのか

専門家と素人の区別とは何だろうか?普通、自分のアイデンティティの中心にその分野があると意識するとき、その分野の専門家を名乗る。人間の能力にはそれほどの差がないのが普通であるから、一般に専門家のその分野での情報の量と基礎知識は、素人のそれらよりはかなり上である。

 

素人が時として勝るとすれば、それは発想の豊かさと、それと重なる部分もあるが、専門に囚われないことである。専門に囚われないとは、悪く言えば、つまりそこで少し過ちを犯しても、大したことではないと考えられる気楽さである。その一方で、専門家なら、ここぞと言うときには実力を見せる義務がある。人間が、それぞれ専門を持ち、協力して社会を作り生きていくのだから、当然である。

 

例えば、筆者の場合、物理化学の研究者であった。従って、ブログを書いている立場上、その近接分野で疑問が出されたのなら、なにか書く責任を感じる。その様な訳で、月面着陸の捏造説が話題に出たとき、自分の考えを複数の記事として書いた。そのひとつが、「日常生活と表面張力について:掃除や砂場遊びなど」という題のもの。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516473.html

 

もし、そこで書いた論理に間違いがあると誰かが科学的に正しく指摘したなら、私はブログを止める。専門とは、たとえ退職したあとでも、そのように考えるべき立場である。一方、「素人ですが、自分の考えを書きます」という但し書きは、間違っていてもそのような責任を負う立場ではないという意味である。

 

2)岸田首相の非核三原則堅持の発言

 

今日のテレビ番組「THE PRIME」を途中から観た。その番組のレギュラーコメンテーターである橋下元大阪市長が、「もし19458月の段階で日本が核兵器を持っていたなら、広島と長崎に原爆を落とされずに済んだだろう」という言葉と共に、岸田首相に投げかけた質問が、「日本政府は、核戦略の変更について議論しないのですか」というものだった。

 

岸田首相の言葉は、「外交には色んな手段があり、核廃絶の理想を重視して、非核三原則を堅持する」、したがって、「今の処、議論する予定はありません」という主旨の答えだった。

 

北朝鮮が実戦小型核を持ち、先日「超音速ミサイルの実験に成功した」と発表した。また、中国は何千発という核ミサイルの照準が日本に合わされていると言われている。上記橋下徹氏の質問は、それら日本を取り巻く軍事情勢と台湾有事を危惧する政治情勢を背景にして首相に投げられた。

 

下線部は、「核兵器を保持することが、戦争を防ぐためにもっとも有効な戦略である」という考えを想起させるための発言である。橋下氏の質問は、その考えを首相に想起させた上で、「今が核戦略の変更を話し合うべき時期ではないでしょうか」というものである。そして「この”直球的”質問から逃げないでください」という言外の意味も含ませている。

 

日本の首相は、「逃げてはプロ政治家の名折れですぞ」と宣言されたのちの“直球的”質問にも「審判が“ボール”という筈だから、バットは振りません」と宣言するのである。つまり、議論する必要も予定もないと言うのである。

 

日本の首相は、言うまでもなく、国政の専門家である。この国際政治のプロ日本筆頭が、この直球ど真ん中を見逃すのは、許せない。日本人がそれを許すのなら、3度目の核爆発による被害者もおそらく日本人だろう。上記譬え話において、審判とは何を意味するか、金を払って観戦のために球場に入った客とは誰なのかは、言うまでもないだろう。

 

(10日16時、言語の修正あり)

 

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