2013年10月6日日曜日

知恵の木の実を食べた人類の末路

 科学は最初、ヨーロッパの貴族社会のサロン的な場で産まれた。技術に転嫁されて経済的利益を生じることが、科学界への持続的な研究費の流れのメカニズムを発生した。そして、“科学技術文明”として地球上に君臨することになる。その結果、高度に訓練された知的人々が構成する各学会のものであった科学が、一般社会の所有になった。(注1)その結果、科学と技術の区別も明確でなくなり、元々泥臭い仕事に過ぎない技術開発が、エリートの職業となり、“科学技術”の発展方向を一般社会が決めることになる。例えば、原子核分裂により大きなエネルギーを発生することは、質量とエネルギーが本来等価なものであるというアインシュタインの公式を実証した。科学の範囲では、ここで興味は尽きるのだが、“科学技術”に転化したあとは、原子爆弾や原子力発電の開発という方向の方がより重大な関心となる。細胞生物学(科学の一分野)では、体性幹細胞などの発見が重大事である。人工的に作られた胚性幹細胞(i-PS)は生物学としても大きな成果であるが、本来技術の範疇に入るものであると思う。しかし、その人類の未来に於ける役割は、正か負の両極端に振れるほどのものである。そう言う意味では、オットー・ハーンの核分裂発見と並んだ大きな意味を持つ。
 ここで私が思い出すのが、創世記の知恵の木の実の話である。この話の中の“人”を“人類”に置き換えた場合、知恵の木の実は我々が享受している科学技術文明であると考えることが出来る。その譬え話を延長して、人類の死滅の原因を考えると、幾つかが頭に浮かぶ。地球温暖化、人類に何らかのプロセスで組み込まれて行く不妊、核戦争などである。i-PS細胞研究は、進路を誤ると間接的かもしれないが、人類の死滅につながる位のものであると思う。(注2)
 現代の政治形態の主流は民主政治である。ギリシャの時代のデモクラシーは衆愚政治に堕落して一旦消え去ったが、産業革命後科学技術文明の発展と同期して甦り、近代民主主義と呼ばれている。制限のない民主政治は、再び衆愚政治に堕落し、発展した科学技術文明を持て余して、上記人類破滅のシナリオの一端を担うのではないだろうか。
注釈:
1) このプロセスはスポーツにも当てはまる。昨日の体操の世界選手権で、未だ高校生の白井選手がシライと名付けられた、“後方伸身宙返り4回ひねり”を決め、金メダルを取った。この種の技は、幼少期から高度な訓練をして初めて可能になるもので、それは、体操選手という職業が人生の目標に設定され無ければ、あり得ない。それは、体操界の経済界との強い結びつきを意味する。
2) 最近、不妊治療は顕微授精などの極限的レベルまで進んでいる。ここで、次に登場するのが当然人工胚性幹細胞である。米国などの国では胚性幹細胞の作成を禁止しているが、いずれ忘れ去られるだろう。

1 件のコメント:

  1. [制限のない民主政治は、再び衆愚政治に堕落し、発展した科学技術文明を持て余して、上記人類破滅のシナリオの一端を担うのではないだろうか。]・・・・・言い得ている。
    恐ろしいことに、現在既に、多くの国で、衆愚政治時代に突入している。ちなみに、今の日本では、「民意」が、国益以上に重要視されようとしている。

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