2014年3月2日日曜日

日本政治&国民の幼児化

 最近のテレビで報道される日本外交についての議論に、日本人の特性がよく表れている。端的に言えば、幼児的であると思う。マッカーサーが日本の民主政治は12歳までしか成長していないと言って日本国内で問題(さわぎ)になったことがある。しかし、これは米国議会において、日本を成熟している筈のドイツと比べて擁護する趣旨でなされた発言だということになっている。(注1)しかし、その後50年程たっているが、あまり成長せずに12歳のままではないかと、最近のテレビを見て思うのである。その原因は、もっと深刻な“日本人の精神年齢=12歳”ではないだろうか。マッカーサーの頭の中にもこのことはきっとあっただろうと思う。
 何故このようなことを言うかというと、最近のテレビで外交を論じた番組で、「韓国の大統領は親日だと思ったが、反日であった」とか、「米国の共和党は親日的だが、民主党は親中国的だ」というタイプの発言が頻繁になされるからである。国際政治において諸国家の指導者は、自分、自分の所属する政党、そして、自国の利益を計算して動いている。もちろん、個人的な好み“親日とか反日”は、その計算のパラメータに若干反映するが、通常は刻々変化する国際環境を主たるパラメータとして計算されると思う。日常の生活において人々は、(過度に感じる)親切な態度には裏があると思うのが常であるのに、その知性を何故外交を論じる際にも用いないのだろうかと思う。(注2)つまり、米国の親日にも当然ながら理由があり、それを国際政治経済の観点から考察しなければならないということである。そして、最近その米国の対日姿勢がゆっくりではあるが、大きく変化しているのではないだろうか。
 戦後、日本に基地を置く根拠として日米安全保障条約が結ばれた。1960年、名称も内容も日本が独立国家であることを認める方向に改訂された。「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」の”相互協力”の部分が、冷戦下において極東の力のバランスを保つため、日本に軍をおく必要のあったアメリカに利益をもたらした。しかし、安保条約改定後50年目に、「日本国の安全保障に対する米国の関与は揺るぎないものである」というオバマ大統領の発言は、極東もほとんど資本主義経済圏になった現在、その利益が縮小している事を示唆している。長年日本の与党にあった自民党は、上記条約の”安全保障条約”の方にすがりつくことにより、一人前の国家になる為に通過すべき憲法改正という道を避けてきた。憲法改正の声を上げれば、かなりの幼児的有権者(注3)とそれを煽動する諸外国の批難を浴び、結果として個々の議員が国会での議席を失うことを恐れてきたのである。彼らの利己的及び無能な態度が、日本国民に、平和も安全も経済的豊かさも、天から降ってくるような錯覚を持つ”政治的幼児性”を根付けさせたのだろう。
 話は変わるが、日本女子がオリンピックのスケート競技で金メダルを取れないだろうと、酒井順子さんという方が(オリンピック前に作成した原稿で)予言した。その理由は、彼女ら一流選手達でさえ、その表情はロシア人の選手や韓国の選手に比べて、幼いというのである。(注4)その原因として、日本人女性はしっかりした大人になることへの躊躇があるというのである。「優しく無邪気に、他者に従う空気をまとわないと、異性からも選ばれ難いからである」と書かれている。しかし、女性だけ大人になりきれないというのは極論のように思う。例えば、女性の会社役員としての進出率は日本と韓国で大差なく、両方とも非常に低いが、筆者の指摘のとおり、韓国の選手は大人っぽく見える。従って、幼児っぽいのは女性だけではない。最近のテレビを見ていると、頻繁に男も女も涙を流す場面が出てくる。まるで、涙を流さないと非人間的だと思われることが、(人気商売で飯を喰っている人間として)恐ろしく感じるのかもしれない。昨日も明治大学の斉藤孝教授と会った人気アナウンサーで大学で教え子だったA氏が、斉藤教授から手紙を読んでもらって、涙を流している場面が映されていた。あの才能豊かでしっかり者のAアナウンサーがである。(注5)
 つまり、冒頭で書いたように、上記政治的幼児性がマッカーサー以後50年経って、いまや全人格的幼児性に転化したのではないだろうか。韓国では、若者が2年間の兵役後見違える様に大人びるとのことである。また、日本にも昔、若者の為に通過儀礼があった。日韓の若者に表れている幼児性の差は、この通過儀礼が日本に無いことが原因かもしれない。
日本は、外部からの予想される侵略と、内部からの国民の幼児化とにより、崩壊に向かっている。

注釈:
1)  ネットからの孫引きですが:http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/14926315.html
2)私は以前、「北朝鮮という存在は、拉致問題を抜きにすれば、結果的に日本の利益になっている」という趣旨の文章を書いたことがある。それは、日本の国家として体を為していないことを、何処の国よりも厳しく教えてくれるからである。
3)米国占領軍が日本に来た時、多数の日本国民は新しい統治者を歓迎した。(橘玲著、(日本人)7章)この反戦、反日本政府の体験と、政府の軍隊が無くてもこの70年間安全であったという幸運が、日本人を政治的に幼稚にしたと思う。
4) 週刊現代、3月8日号80頁
5)テレビに出て飯を喰っている連中は、視聴者の要求を敏感に察知してその役を演じる。現代日本では、この場面ではしっかり者の司会者でも涙が要求されるのである。

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