2014年8月4日月曜日

悪をまき散らす中国と対峙すべきか? 櫻井よしこさんの外交視点に疑問

 悪をまき散らす中国と対峙すべきか? 櫻井よしこさんの外交視点に疑問 櫻井よしこさんの「悪をまき散らす中国と対峙する決断を」という記事が、週刊ポストに掲載されているらしい。今日の新聞朝刊に載った同誌の広告である。買って読む気がしないので、その表題に表わされている視点にのみコメントする(注1)。

 櫻井さんが決断を勧めているのは、当然ながら日本政府に対してなのだろう。私は、日本は中国に対して損害を被ることがあれば、その個別の件に対して言うべきことをしっかり言うだけで良いし、それしか出来ないと思う。「中国という国に対して、対峙する決断をせよ」など、何を血迷っているのかと言いたい。

 中国政府と対峙する姿勢を日本国政府がとる決断をすれば、反作用として、中国政府は日本政府に対して対峙する姿勢をとる。それは決して、両国の利益にならない。そして、強大な軍事力を持つ中国と対峙する決断をするなんて、まともな軍隊も持たない日本国に出来る相談ではない。憲法を改正して軍隊を持ち、核武装もしっかりしてから言うのなら兎も角、今の日本が櫻井さんのおっしゃる様な決断をすることは、場合によっては自殺せよと言っているに等しい。

 基本的な点で、櫻井さんは勘違いをされているのかもしれない。それは、国家と国家の関係は地球政府が出来るまでは、本質的に”野性の原理”が支配しているということである。つまり、飛び抜けて強大な力をもつ国家があって、それが他の国をどんどん侵略して行っても、罰する権威は存在しない限り、それが後世の歴史に淡々と記述されだけである。大航海時代から西欧の植民地支配に至る歴史を、後世になって裁くことになったのか?そんなことにはならない。

また、”悪”とはなにか解っておられないようだ。野性の原理が支配する空間において、生き残った存在が、滅ぼした存在に対してとった行為を、その空間に秩序と権威が出来た後世に、形容することばが”悪”なのだ。もちろん、権威が生じた以後、そのようなことは禁止される。しかし、時計の針は逆戻りをして、その悪を罰することはない。広島と長崎の原爆を忘れたのか?中国と対峙せよとおっしゃるのなら、米国からその賠償をとる手段を発表してからにしたらどうか。(注2)

 以前に、櫻井よしこさんが、靖国参拝について書いたコラムを批判したことがあった。もう一度、ここでrefer:http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.htmlして、この短い文章を終えたい。

注釈:
1)南沙諸島の一方的な領有宣言、尖閣諸島に対する対日姿勢、南シナ海でベトナムの主張を無視しての石油掘削、PM2.5のバラマキ、最近の食肉問題などを攻撃されているものと思う。全く異なっていた場合、このブログは取り消します。
2)このように書いているが、私は、米国の健全な多くの考え方を学び、日本の政治に活かすべきだと思っている。それは、独立した個人、人権と平等の原則、法と正義による支配などである。現在、日本国にとっての最も大切な同盟関係は、日米の関係であることも疑う余地はない。ただ、米国と日本の関係は、国家と国家の関係であり、基本的には利害が支配する関係であると考える。

0 件のコメント:

コメントを投稿