2014年9月23日火曜日

日本の戦後政治に左派はなく、反日政党が左派の仮面をかぶっていた。

 右派は国家主義、自由主義経済などに立場の重心を置き、左派は社会主義、人民重視、労働者の権利に立場の重心を置く。この伝統的な議会構成で政治を語ることが、西欧先進国で冷戦時代まで有効であった。しかし、日本では、そうではなかったと思う。

 日本では左派と言われていた政党は、実は反日政党だった(注1)。日本共産党はコミンテルン(ソ連が中心の国際共産党の組織)の日本支部であったし、元社会党委員長の勝間田清一氏はKGB(ソ連の機密情報組織)の工作員であった(注2)。左派は、学生達には知的な印象を与え、一流大学は、当時の自民党政権の愚かな指導者の下で、優秀なる反日分子を育てる役割を担った。

 彼らが、日本の中央地方の行政組織や政界、そして、マスコミ関係に進出した結果が、今日の日本の姿を作った。その最も解り易い例が、日本のマスコミを代表していた朝日新聞が、反日捏造報道を繰り返し、それを読む事が知的なこととされていたことである。

 つまり、日本は左派、右派の他に、反日、民族主義の4つのベクトルで、政治の空間が作られていた。敗戦国となったこと、その結果日本独特の住民構成が出来たこと、などが相互に関連した独特の政治環境も原因になり、反日は左派の面をかぶり、民族主義は右派に合流して右派の面をかぶった。そして、日本にまともな革新政党(左派)も保守政党(右派)も出来なかったのではないかと思う。

 下は、サウンドオブサイレンスの歌詞の一部である。日本を唱っているような内容なので、直接関係ないが、引用。 Ten thousand people, maybe more
  
People talking without speaking 
People hearing without listening
 
People writing songs that voices never share
 And no one dare Disturb the sound of silence.
 “Fools” said I, “You do not know
 Silencelike a cancer grows” (映画“卒業”の中での音楽、サイモンとガーファンクルのSound of Silenceの歌詞)

注釈:
(1)共産主義国家は、実際にはスターリンや毛沢東が皇帝である中世的帝国だった。国外の帝国の手先であった日本共産党は、従って反日政党であったと言える。(11:40追加) (2)1982年のソ連から米国に亡命したレフチェンコは、勝間田氏はKGBの工作員であったと米国議会で証言した。そして、1986年勲一等旭日大授章を受けた。1989年死去。
 

2 件のコメント:

  1. [ 左派は学生達には知的な印象を与え、当時の自民党政権の愚かな指導者の下で、一流大学は優秀なる反日分子を育てる役割を担った。
     彼らが、日本の中央地方の行政組織や政界に進出した結果、そして、マスコミ関係に進んだ結果が、今日の日本の姿である。]

     見事な分析です。一流大学の端くれに存在した身として実感。!!

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  2. 久しぶりです。あまり誉めずに、欠点を是非指摘してください。

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