2014年10月26日日曜日

歴史の中には加害者も被害者もないーあるのは勝者と敗者である。

 ジャレド・ダイヤモンドの銃・病原菌・鉄を読んだ。そして、新しく得た考え方の一つが上記表題である。(注1)スペインによるインカ帝国の殲滅も、アメリカによる北米インディアンの殲滅も、オーストラリアによるアボリジニの殲滅も、中国による(秦の始皇帝以前に)中国語を話さない民族の征服も(注2)、壮絶な殺戮行為の繰り返しだったろう。日本も広く分布していたアイヌ民族などを大和朝廷が征服していった(蝦夷征伐)歴史を持つ。これらの大量虐殺を含む民族の戦いは先史時代から極最近まで存在し(3)、それは未来に続く可能性もあると思われる。

 我々現存民族は全て、他民族を虐殺して生き残った者の子孫である。それらの歴史的出来事を現在時制的視点で評価することは出来ない。ただ、我々は自分の命を有り難いと思うのなら、生き残る努力をして勝利した先祖に感謝しなければならない。そして、将来の子孫の為に我々自身も生き残らなければならない。

 韓国大統領の”被害者と加害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない”という、日本を非難する姿勢は、上記視点からは全く間違っている。中国も、過去の歴史問題を平和条約締結後に現在の政治に反映させることは、国際的慣行に反している。被害者と加害者の関係は、あったとしても講和条約を締結して戦後処理をするまでの話である。つまり、直近の過去をお互いに乗り越えたからこそ平和条約を結んだ筈である。過去と未来を混同して二国間の歴史を被害者と加害者の関係で論じた場合、世界中の外交は破綻する。そのような愚かさを知らない人や国は、可能ならば相手にすべきでない。

注釈:
1)表題の言葉はその本には直接書かれていない。書かれた歴史の“科学的記述”を読んで得た結果である。
2)秦王朝の時代に歴史書を焼き尽くそうとしたが、残存する周王朝時代の歴史書にそのような記述がある。また、中国南東部にまだらに存在するミャオ・ヤオ語ファミリーやタイ・カダイ語ファミリーを話す人の存在がそれを裏付けている。
3)1928年、アリススプリングという所での31人のアボリジニの虐殺以来、大量虐殺はない。(下巻15章)ただし、これは戦争以外の場面での話である。戦争を入れれば、現在も中東などで虐殺行為は頻発している。戦争を国際法的には外交の一形態だというのは、相互に了解して居る場合だけの話である。

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