2014年11月24日月曜日

核拡散防止条約と核保持国の義務について

 核兵器には、通常兵器と比較して圧倒的な威力がある。それゆえ、核保持国と非核保持国との間で、正常な外交関係を維持することは、核保持国の極めてストイックで紳士的な態度が前提でなければ難しい。何故なら、過去の歴史において、平和は戦力の均衡の結果として保たれたのにも拘らず、核拡散防止条約(NPT)は、最初から戦力の均衡を放棄する条約だからである。

 現在、日米安全保障条約が存在するものの、大陸と日本との戦力の均衡が保たれているとは言い難い。米国に核兵器があるものの、日本には核兵器は無い。そして、日本の防衛を目的に、米国が核兵器を威嚇の目的に限られるとしても、中国に対して用いるとは考えられないからである。戦力の不均衡は外交の歪みに通じる。

    NPT体制の維持を加盟国が目指すなら、核兵器保持国は条約に書かれた核兵器の削減を目標設定して着実に目指す義務を果たさねばならない。更に、その条約の目的から考えて、核保持国は他国の脅威となるような外交姿勢を取らない義務がある筈である。その意味でも、日本国はNPTに関する国際的議論を継続的に国連において行なう様、要求すべきである。

 また、NPT体制は、戦後20年たってから出来たものであり、それまでの歴史を踏まえたものである筈である。従って、戦争時とその記憶が鮮明に残るしばらくの間は、感情がもつれる歴史解釈が外交問題として存在しても、戦後20年経った時点でNPTが締結されたのだから、それを乗り越えて過去から視点を未来に向けるのでなければ、その様な国家の命運を核保持国に委託するような条約に署名できる筈がないと考える。(補足1)

   現在、隣国である二つの国は歴史問題と称して、日本国総理大臣が靖国神社に参拝することを過大に問題視している。また、韓国は従軍慰安婦という戦争時にあった制度(補足2)を、日本国政府が奴隷狩りのようにして女性を集めたという虚偽の証言を加えて、過大に核保持国である米国と中国を含め、全世界に宣伝している(補足3)。これらの外交上の諸問題は、日本に核兵器はおろか交戦権のある軍隊も持たないため、中国や韓国に非常に軽くあしらわれた結果、戦後65年以上経った今でも存在し続けるのだろう。核保持国は中立的立場をとって世界の平和に貢献する義務を有すると主張すべきである。

 NPTは、外交の原点にある重要な条約である。インド、パキスタン、イスラエルなどが、核兵器を保持すると思われているが、核拡散防止条約(NPT)に署名していない。これらの国は、NPTの不平等性は独立国として甘受できないことを態度で示している。勿論、条約に署名するかしないかを決める権利が個々の国にある。しかし、1)全ての国が加盟することと、2)核保持国が一定の計画で核兵器を廃絶すること、の二つの条件が揃わなければ、この条約には存在の正当性がないと思う。この問題の解決は核兵器保持国にしか出来ない。その意味でも、国連で常任理事国にたいして、世界から核兵器を減らしていくという義務を果たす様要求すべきである。

 北朝鮮も国家としての存立を賭けて核兵器を開発保持している。上記の国を含めて、これらの国が異常なのではない。核兵器を持っている隣国が歴史問題という難癖をつけて、両国間の緊張を高めることで自国の利益に結びつけようとしているにも拘らず、また、独裁国家の隣国が我国の国民を拉致するという国家的犯罪行為を行い、更に、核兵器を開発して威嚇に用いている現状を見ながら、NPTを日常の問題として議論しない日本国の方が異常なのである(補足4)。北朝鮮の核兵器は、核保有国が責任をもって排除するべきであると強く主張すべきである。

 蛇足だが、一言追加:日本の外交が、何故これだけだらしないのかという問題だが、それは政治家が無能だからである。そのような政治家が国会に出てくることの最大の原因は、日本国民が市民として自覚(補足5)がないことだと思う。つまり、自分が政治的主体であるという意識が極めて低いのが日本という島国の住人である。選挙権を行使するには、国政に対して問題意識を持ち、選挙民としての義務を意識して投票しなければならない。所属団体からの推薦に素直に従って投票したり、或いは格好良いという個人的感覚で、元俳優或いはスポーツ選手に投票したりしないでもらいたい。
 市民という意識が国民に無ければ、民主主義は成立しない。市民と言う意識を保って、機会を見つけて政治的意見を述べる義務が、国民にあると思う。政治家がだらしないのは、国民の責任であると心の底から全ての日本人が思う様になれば、政治家の質は格段に向上するだろう。

補足又は引用)
1)更に、日中、日韓の夫々両国間では、平和条約(又は、基本条約)締結後は、歴史上の出来事は歴史家にまかせることにして、政治的な問題としない義務を双方が負う筈である。過去から目を未来に向ける姿勢を両国が確認するのが、平和条約締結の意味である筈である。
2)この問題は、日韓基本条約で基本的に解決済みであると考える。尚、戦争時の悲惨な隣国での出来事に対する日本国の責任を表明した、村山談話は日韓関係及び日中関係が未来指向で進む様に、確認の意味で出されたものであり、戦後50年を機に出されたこの談話で全て終了させるのが、まともな国家間の関係だろう。
3)後者の問題は、確かに凄惨であったが、それは紙切れ一枚で命をとり上げられた一般召集兵や、ロシアに抑留されて極寒の地で栄養失調と過酷な労働により殺された兵士、原子爆弾や都市部空襲で無差別に殺された非戦闘民などと、一緒にあの時代の“戦時の尺度”で議論しなければならない。
4)その前に、当然のことであるが、憲法9条を改訂しないで自衛隊という戦力を持つという矛盾の解消が先である。
5)市民としての意識は、市民権(citizenship)を持っているという意識である。それは、政治の主体であるという意識である。カレル・ヴァン・ウォルフレン著、「人間を幸福にしない日本というシステム」参照

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