2015年8月29日土曜日

赤川次郎さんと中日新聞の反安倍キャンペーン

今日の中日新聞19面に、木村留美の署名入りで”赤川次郎さん政治に怒る”というタイトルの記事が掲載されている。副題は、”言葉 ばかにするな”、である。

冒頭の取材概略の中で、赤川さんの言葉として「政治家にとって言葉は命。命懸けの真剣勝負であるべきなのに、、、。現政権はことばを軽んじ議論を否定する政治を行なっている」と現政権を批判している。

赤川さんは、文芸誌スバル8月号掲載の対談で安倍総理の政策を批判して、「日本語がおかしいと思いませんか。積極的平和主義って何ですか。ことばをそこまでバカにしていいのかと腹がたちますね」と発言した。

その意味についてこの取材で、赤川さんは「積極的平和主義という言葉には、“戦争”を“平和”と言い換える怖さがある。平和というのは戦争のない状態ではない。言論の自由があり、自由に行動ができて、海外と外交で問題を解決できることが平和で、戦争をしていないから平和でない。平和という言葉を良く考えないといけない」と語ったことになっている。

上記「」内の言葉は、安倍総理の言葉以上に解り難い。平和という言葉を広辞苑(第二版)で調べると、(1)平らかに和らぐこと。穏やかでかわりのないこと;(2)戦争がなくて世が安穏であること、とある。政治を語っているのだから、広辞苑の定義では、「平和とは戦争の無いおだやかな状態」である。言葉を大事にするのなら、勝手に言論の自由、行動の自由、海外との外交云々と、”平和”の意味を無遠慮に拡大するのはおかしい。これだけで、この記事は政治的プロパガンダであることが証明されたことになる。

また、「積極的平和主義という言葉には、戦争を平和と言い換える怖さがある」という言葉も殆ど日本語になっていない。政治的プロパガンダであるという読みを利用して敢えて解釈すれば、“日本国は過去に戦争を起こしたのだから、積極的になれば戦争するに違いない”という反日思想に辿り着く。

この記事は、解り難い日本語の連続である。副題、言葉 ばかにするな、の意味が解らない。言葉が、ばかにするなと喚いたということなのか? 記者なら、もっと論理的な文章を書いて欲しいものだ。次の「政治家にとって言葉は命」というのも解らない。政治家にとって命は、国民の命と財産だろう。言葉はそのためにもちいるものだ。「言葉は命」という半分宗教的な言葉を用いて、読者を催眠術にかけたいのだろう。

作家も記者も、「言葉が命」ではなかったでしょうか?
言葉を曲げてまで、このようなプロパガンダをしなければならないのかと、呆れてしまう。

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