2015年8月31日月曜日

政治屋達の天国日本

1)豊田市と名古屋市のゴミ屋敷がテレビに話題になって久しい。そして、豊田のゴミ屋敷は先週25日(2015/8)に火事の火元となった。ここの住人は過去何度もぼや騒ぎをおこしており、この火事は普通の人には可能性の中にカウントされていた筈である。

ゴミ屋敷を放置することは行政の怠慢である。特に生ゴミを含むゴミを敷地内に乱雑に放置する豊田市のゴミ屋敷は、悪臭の問題、美観の問題などで周辺住民に多大の迷惑をかけている。苦情は市役所に何度も出されているだろうから、それに市長や市議会は対応する義務があった。

強制代執行を早期に実施して、ゴミ屋敷の住民に責任を取らすだけのことである。そこで反抗的な態度をとれば、刑罰の対象とすればよい。周辺の住民が協力してゴミ整理を行なう必要等はない。ご苦労様としか言いようがない。

何故、そのようなことが出来ないのかについては、近所迷惑はお互い様という古来の日本文化の美風もあるが、もう一つは行政の怠慢である。このケースは明らかに日本文化で説明のつく範囲を越えており、行政の怠慢が第一の原因だろう。

政治環境は国際的にも国内的にも急激に変化している現代、首長はトップにたって、地方自治体の将来を担わなければならない。それは柔軟性と創造性に富み、実行力を供えた人だけになしうる仕事である。

勿論、阻害要因として国政がある。それは地方の権限で、事業も予算も決められない情況になっていることである。地方創生を霞ヶ関で行なう様では、地方の発展などあり得ない。

以上、ゴミ屋敷の火事から大きく話は移ってしまったが、健全な地方政府の育成には、中央政府の小型化、道州制などの地方分権の大幅な取り入れなどが必要であると思う。

このままでは地方政府は単なる増殖する金食い虫の巣になるだけである。それは27日に書いた、愛知県の天下りのところで書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42367524.html

2)上記、豊田のゴミ屋敷火事についての記事の続編として、地方自治体の首長のあるべき姿について政治屋になったつもりで考えてみる。

政治屋にとって、次回選挙に勝つ事が現在のあるべき姿の全てを決める。豊田市の市長もこの点では合格だろう。実際、地方自治体の首長の多くは、法的な手段をとると冷酷な印象を有権者に与えるので、次の選挙のことを考えて何もしない場合が多い。直接迷惑を被る人でも大声をあげるひとは日本には殆どいないので、無視しても反撃はないのだ。一般に、何も言わない多数は無視し、明確に反対の立場をとる少数を無くすことが、政治屋としては賢明である。

例えば、何か改革を行なおうとすると必ずそれによって利権を失う勢力の強い反対にあう。従って、何も改革などしない方がよいと政治屋は考える。

社会の動きにその地方行政が遅れてしまい、不満が高まった場合には、選挙に落ちれば良いのだ。その方針をとる方が、結局在任期間が長くなり、名誉も利益も多くなる。何故なら、日本には何もしない罪は存在しないし、在任期間の長さに応じて褒賞など社会の評価もあたえられるのだから。

大阪府の太田房江元知事が手本だ。東大卒、元中央官僚の知性がありながら、何の改革もせずに知事を二期つとめ、退職金もたっぷり貰った。橋下徹が現れたのは単に一時の不運である。その証拠にその後自民党から国会議員にもしてもらった。

それに比べて橋下は政治屋反面教師だ。府民のことを考えて、改革を行なっても、”しんどい”だけなのに。この国は本当の危機がくるまで変わりはしないのだ。

財政改革のありがたみを感じる知性などない大衆は頼りにもならないけど、怨みに思う少数は恐ろしい。 結論? 金があれば、中国人同様、カナダかオーストラリアに逃げる方がよい。

3)週刊東洋経済の8月29日号に、「日本が世界地図から消滅しないための戦略」と言う本の著者、月尾嘉男東大名誉教授、へのインタビュー記事が掲載されている。古代都市国家のカルタゴやベネチア共和国は、長期にわたって安泰で、繁栄を謳歌していたのに、地球上から消えたしまった国である。現在の日本がこれらの国に似ているというのである。

カルタゴが亡んだ原因として、1)防衛を自国の力でおこなわなかったこと、2)経済大国であったが、文化大国ではなかったこと、3)ローマの政治家(大カト)が「カルタゴ滅びるべし」と、ローマ市民間に反カルタゴの空気を醸成したこと、だそうである。

日本がカルタゴの様にならない為には、独自に防衛力を持ち、一人前の政治文化を育て、隣国に「日本滅びるべし」と言わしめないことが肝心である。防衛を自国で行なう第一歩を踏み出そうとする動きを封じるべく、政治屋としての見本とも言える野党の党首達が揃って協力する光景に、日本国民は嫌悪感を感じないのだろうか。

典型的な政治屋として、小沢一郎氏が安保法制反対の輪の中心にいる。これが元自由民主党幹事長の姿なのだ。政治屋天国日本を象徴する光景ではないだろうか。

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