2015年11月28日土曜日

”同性婚”の法制化には反対である

同性婚に関する初の意識調査が今日NHKニュースで発表された。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151128/k10010322671000.html

以下に引用部分をイタリックで再録する。

同性愛や性同一性障害などLGBTの人たちをどう思うかを調べた初めての意識調査の結果が28日発表され、同性どうしの結婚に「賛成する」と答えた人が全体の過半数に上る一方、友人が同性愛者だったら「抵抗がある」と答えた人が半数を超え、社会的にはLGBTの存在を認めつつも、身近な存在としては抵抗感を感じているという実態が浮き彫りになった。

この調査は国立社会保障・人口問題研究所などの研究グループがことし3月に行ったもので、すべての都道府県の、20歳から79歳の男女1259人から回答を得た。それによると同性どうしの結婚を法律で認めることをどう思うか尋ねたところ、「賛成」または「やや賛成」と答えた人は過半数の51.1%となった。一方、友人が同性愛者だった場合、「抵抗がある」と答えた人の割合は、男性の同性愛者だった場合が53.2%、女性の同性愛者だった場合も50.4%と、いずれも、半数を超えた。また、職場の同僚が同性愛者だった場合、40代の男性管理職で、「嫌だ」と答えた人が71.5%に上った。調査を行った国立社会保障・人口問題研究所の釜野さおり室長は、「社会的・制度的にはLGBTの存在を認めつつも、身近な存在としては抵抗感を感じているという実態が浮き彫りになった。職場でも、まだ偏見があることも分かり、特に管理職の意識改革が必要だ」と話している。


先ず、同性婚(同性結婚)という言葉は、言語的に矛盾を抱えており使うべきではない。つまり、従来の結婚の定義は「男女が夫婦になること(広辞苑第二版)」であり、従って同性結婚はあり得ない。同性パートナーシップとでも言えば良いと思う。(補足1)

本報告文はあまりにも意味不明な部分が多い。従って、本当に国民が”同性婚”に対してどういう意見をもっているのか解らない。以下に私の意見を書く。

1)先ず、調査に当たった国立社会保障・人口問題研究所の室長が、LGBT (lesbian, gay, bisexual and transgender)を肯定的に捉えて調査に当たっている点が気になる。それは、LGBTの人たちに違和感を感じることを「偏見」という言葉を使って否定的に捉えていること、そして、(LGBTの人たちとの仕事上の付き合いに)否定的な感情を持つ管理職については意識改革が必要だと発言していることでわかる。

その所為かと思うが、アンケートにおける選択肢設定に問題をあると思う。つまり、”同性婚”を法的に認めることに対して:(賛成、やや賛成、抵抗がある)という設定をしているらしいからである。その上で、「賛成」と「やや賛成」の数を合わせて、“同性どうしの結婚に「賛成する」と答えた人が全体の過半数に上る”と結論している。

つまり、このアンケートは合計して「賛成」という結果を得るように、選択肢設定がなされ、その解析もその趣旨で行われていることに注意する必要がある。賛成(抵抗がない)か反対(抵抗がある)のようなアンケートに、なぜ「やや賛成」という灰色の選択肢を設けるのか。

また、1259という回答数にどういう意味があるのか。つまり、何人に回答を求めたのか、そして、回答しなかった人が極少数なら、発表された数字から国民の意見をある程度抽出できるが、それが多数の場合は、このアンケート自体に何の意味もない可能性もある(補足2)。研究所のホームページの更新記録にはこの件についての記載はないので、詳細はわからない。http://www.ipss.go.jp/site-ad/updated/j/whatsnew.html

結論として、”はじめに結論ありき”というアンケートに見える。

2)私のLGBTの人たちに対する法的配慮についての意見を以下に述べる。まず基本的な理解であるが、LGBTというのは性的障害である。そして、それが直接妨げにならない法的権利については、当然認められるべきであり、職場での差別などあってはならない。

同性の二人が人生のパートナーとなる法的契約を新たに作ることには、それほど反対ではない。しかし、仮にそれを認める場合には、LGBTに限らず一般に認めるべきである。それに不都合があるのなら、新たにそのような法律を作る必要がないと思う。(補足3)

同性のパートナーシップを法的に認める場合、従来の結婚により二人が得る権利と同等ではないだろう。その付与される法的権利を規定する際には、今更言うまでもないことだが、次の点を十分考慮すべきである。西洋の真似をすることが正しい、或いは、日本国に適しているとはかぎらないのである。

それは、結婚は次の世代を作り育てること、そして、その世代が前の世代の老後の面倒を見ることで、社会が循環的に維持されていると言うことである。従って、結婚し子を産み育てることがノーマルな人生の形であり、社会がそのようなタイプのパートナーシップを支持するものでなくてはならない。

補足:

1)言葉は大切にすべきである。同性婚という言葉を認めると、結婚にはあたかも同格の同性間と異性間があることになる。結婚は、子供を育て社会を循環的に維持すること、そして同時に社会の秩序を正常に維持することという、二つの点で人間社会における基本的関係である。

2)その後、ヤフーニュースに掲載された記事によると、アンケート回収率は半数以下であった。(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151128-00000531-san-soci)(午後9:45追加)

3)つまり、LGBTでない二人が、偽ってパートナーシップを契約して届ける場合が考えられる。それは社会を不健全にするだろう。勿論、遺伝子チェックなどでLGBTが証明できるのなら、遺産相続などの権利を付与したパートナーシップを法的に規定しても良いと思う。

2015年11月27日金曜日

テレビのワイドショーは社会のゴミ漁りをしている

朝食のときテレビをつけると、各局ワイドショーを放送していた。その中身がすさまじい。 ある局で、米国で一歳のこどもがオーブンで焼かれて死亡したというニュースを紹介していた。徐にチャンネルを変えるとそこは、局部を切られた弁護士に関する裁判のニュースであった。そんなことを詳細に紹介して何になると思いながらテレビを切り、食事を終えてパソコンに向かった。

テレビ局特に民放は、視聴率を上げなければスポンサー契約が上手く行かない。従って各テレビ局は、この経営上の問題と放送法一条「放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする」とのバランスをどう取るかという問題の合計点で、最高点を目指すだろう。

監督官庁である総務省が黙認すれば、一般視聴者の悪趣味に沿う放送が多くなり、上記のような”社会のゴミ”を放送する。視聴率が上がる理由は、画面の中の世界と心地よい居間との落差を実感させ、視聴者に刹那的満足感を与えるからである。比喩的にも、人間は高いところが好きである。より正確に言えば、自分より低いところを見るのが好きなのである(補足1)。

政府官僚機構は賢い庶民を欲せず、一般に愚民化政策をとる。従って、社会が乱れないのなら、大衆一般には多少悪趣味のテレビを見て愚民階級に安住してもらう方が良い。しかし、すべての国民が愚民であれば、自分たちが栄養をとる培地としての国家が崩壊する。それは、細菌と宿主のパラドックスの関係である(補足2)。

もちろん、社会のゴミを放送することには、“このようなゴミが存在するということ”を周知する意味はある。そして、そのようなゴミにならない様に、心を引き締めることにも役立つだろうから、利用の仕方に注意するべきという趣旨でこの文章を書いている。

一方、放送するマスコミ側には、”ゴミ漁り”をする場合にも、一定の配慮が必要である。つまり、ゴミを掻き出す際にあえて悪臭を出すやり方はやめてもらいたい、そして、名古屋のゴミ屋敷の主人ではないが、本当にゴミなのか、かなりの価値がある資源なのかというフィルターを用いてほしいのである。

例えば、あの涙の会見を行った野々村議員のみっともない画面が、議員の公判が始まるというニュースとともに放送されている。しかし彼がしたことは、規模の大小はあるだろうが、おそらく普通に全国の県会議員たちが行っていることだろう。裁判を淡々と行い、処罰を決めれば良いことである。彼にも生きる権利があり、大切な家庭があるだろう。今後の彼の生活にまで干渉するような報道は犯罪的であると思う。

似たような報道が、理研の小保方晴子氏の報道である。彼女の犯罪も悪質ではあるが、当初の報道後は、当事者である大学や裁判になっておれば裁判所が処理をすれば十分である。悪戯に、彼女の今後の人生を弄ぶような報道も犯罪的報道であると思う。

補足:

1) 鳥や狩猟動物は当然高いところを好むだろう。それは獲物を狙うのに適しているからである。しかし、人間は猿の仲間であるから、狩猟動物ではない。それでも、高いところを好むのは、社会的動物だからだろう。つまり、演壇(大衆の)上に立ちたいという欲望である。

2) この関係において、細菌と揶揄された側が、国家の骨格は我々だという可能性が高い。従って、注意して用いるべき比喩である。

2015年11月25日水曜日

安倍内閣の市場経済に対する昨今の大きな干渉は、経済に混乱を招く恐れはないのか?

政府の経済への過大な直接干渉は、良い効果をもたらさない。安倍総理に代わる人材が政界に誰もいないように見える現在、まるで独裁に見える。(擬似的)独裁下では、しばらくは何事もより効率的に進展する(補足1)のだが、混乱を招き結果として大損をする可能性大だと思う。このような干渉(大きな規制)をするとしたら、政権を競う相手があるときにすべきである。

安倍総理は、何が何でもGDP 600兆円にするのだと考えておられるのだろう。最低賃金を1000円/時間と大幅に増加させることは、サービス業や国内用物品の製造業などならそれほど問題は大きくないかもしれないが、輸出関連の事業では競争力をなくす可能性があると思う。全体的には人手不足であるから、賃金が人材の再配分の役割を持っていることを忘れてはならないと思う。

携帯電話に対する家計支出が多すぎると考えても、それはカルテルなど法律違反がなければ直接的干渉はすべきでない。それだけのお金を携帯電話に支払うのは、消費者がそれに見合う価値を認めていることになるということを、謙虚に受け止めるべきである。

内閣がするとしたら、文科省に対して「中学生や高校生がほとんど全員持っていることは健全なのかどうか」などについて検討させ、その角度から対策があるのなら、学校等を指導するように指示すべきである。

年金資金を過度に株に投資して、株価を上げようとするのも問題だと思う。さらに、その投資基準を自己資本利益率に置くことで、企業の剰余金を設備投資や賃金上昇に向けさせる工作も姑息だと思う。剰余金に課税するとの話もチラっと出たらしいが、とんでもない話だと思う。するのなら、銀行金利をマイナスにする方がより公平だが、そのような手段を採るのは非常事態の時だろう。

専門ではないので、あまり言いたくはないが、経済学は科学ではない。実験もほとんどできないし、理論モデルも物理や化学のような分野のような精緻なものではない。単純な思考に基づいて市場経済に干渉するのは、大きな無駄を生むと思う。最近の安倍政権の経済干渉は、毛沢東の大躍進運動を連想させる。

補足:

1)擬似的であれ独裁に至るのは、その内閣に実力があるからだと思う。しかし、昨今の市場介入のような政策は実力に溺れる可能性大に見える。

2015年11月24日火曜日

米国は中国と戦わない(戦えない)ことを日本は知るべき

伊藤貫氏の話を動画サイト(さくらTV)でみた。https://www.youtube.com/watch?v=Kla8vz0fx-U 伊藤氏は、米国コーネル大で国際関係論を修め、ワシントンDCで国際政治、金融アナリストを勤めた方で、米国の詳細を知っておられるように感じた。以下に幾つかの印象に残ったことば「」内に要約して書く。

「米国にとって中国は、東アジアにおける唯一の対等に関係を築くべき相手であり、且つ、戦争できない相手である。その昔、キッシンジャーと周恩来の間で交わされた”日本には核武装をさせない”という約束は、息子ブッシュと江沢民の間でも確認され、それは現在も生きている」とのことである。

更に、伊藤氏が断言できると前置きした後、「南シナ海岩礁上の人工島とその上の軍事基地建設は着々と進み、5-7年後には巡航ミサイルを配備し、米国のイージス艦も近づけなくなるだろう」と言ったことは、是非政府要人にも聞いて欲しいと思う。

「中国が領海内と主張する上記建設現場近くを、星条旗をたてて軍艦を通過させるのは、米国が日本など東アジア諸国に見せるためのもので、実効性はなく、米国自身もそして中国もそれを承知している。」

「その根拠は、米国の政治構造にある。米国の政治資金の50%以上を人口比0.1%の富裕層が出しており、それらはゴールドマンサックスなどの金融資本であり、彼らは中国との取引で大きな収益を得ており、彼らにとって重要なパートナーは日本ではなく中国である。その意向を無視して米国の政治は動かない。(例:ヒラリーの背後には元財務長官でゴールドマンサックス元会長のルービンがいる)」

「中国が太平洋に展開する軍備費支出は既に米国のそれ(太平洋地域への軍事費)を超えており、いずれ太平洋での中国の軍事能力は米国のそれを上回るだろう。」つまり、日本が中国と対等に自国の権利を主張するには、日本が独立路線をとり核武装する以外にないのである。

「安倍総理に最初冷遇したのは、鳩山一郎や石橋湛山のように独立志向をもつ政治家だと思っていたからである。しかし、徐々に政策が吉田茂のような対米従属の方に落ち着いてきたので、米国は“評価”する姿勢を取り出したのである。」

==以上、伊藤貫氏の話を私が理解した形にまとめて見た。==

2015年11月23日月曜日

日本政府中枢に慰安婦問題で韓国に協力する者が紛れ込んでいる

日韓首脳会談で、パククネ大統領から安部総理に、アジア女性基金のフォローアップとして、政府の金三億円を出してほしいという解決案が出されたという話である。それは、明らかに慰安婦の強制連行を日本国の方針として行ったことの証拠として、今後利用しようとの韓国の思惑であることが明白である。それを幸い、安部総理は拒絶したらしい。新聞はこのような大事な情報を何も報道していない。

この情報はラジオ番組「ザボイスそこまで言うか」で、青山繁晴氏が暴露した情報である。https://www.youtube.com/watch?v=HsXIsBdIJyI この工作には、外務省の一部と官邸高官の一部が絡んでいるということも同時に明らかにされた。

この3億円という額で解決しようという韓国案についてはネットで多く見られる。例えば、以下のサイトにも週間ポストの記事として報じられている。 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151109-00000009-pseven-kr

(以下記事の内容) その記事の中で、このような案を出してきた韓国側の事情について、以下のように書いている。

 慰安婦問題で安倍政権の対応を批判してきた韓国の有力紙・東亜日報の社説(11月3日付)が、韓国側の苦しい事情をはっきり書いている。

〈韓日関係が凍り付き経済にまで寒波が襲った。日本の韓国への直接投資と韓国の対日輸出入、日本人観光客などすべてが急減した。(中略)韓国は慰安婦問題など追及すべきところはすべきだが、過去にのみ縛られると、他の国益を害するという点も直視しなければならない〉

 そんな韓国の事情を見すかすように、官邸の外交筋は、「安倍総理はささやかな手土産で窮地に陥っていた朴大統領を救ってあげたということだ」といってのけた
(記事の引用終わり)

上記週刊誌の記事にもはっきりと、官邸の外交筋が関係していることと書かれている。

青山氏は上記ラジオ放送で、安部総理は(日韓基本条約で解決済みであるから)はっきり拒絶したと話している。もし、そのような合意をすれば、慰安婦を強制連行し性奴隷にしたという韓国の筋書きを日本政府はみとめたころになることを、官邸外交筋が知らない筈がない。つまり、日本国政府の中枢にまで、韓国のスパイが潜り込んでいることになる。

もう一つ気になるのは、上記週間ポストの記事で「このような案を出してきた韓国側の事情について、以下のように書いている」と東亜日報の記事を引用していることである。週間ポストにも、記事を書く人はそれなりに知識がある筈である。しかし、上記3億円日本政府支出案を、韓国の事情で要求のレベルを引き下げたという感覚で捉え、韓国の罠という把握が全くない。エロ記事も書くが、政治の裏も書くというプライドがあるのなら、もっと記者のレベルを上げて欲しいものだ。

イスラム国を目指す若者達

ヤフーニュースによると、インドネシアの若者約700名がこれまでにイスラム国を目指したという。イスラムのテロリズムは中東だけのものではなく、全世界的な問題であることがわかる。また、その動機であるが、これまで経済的な貧困や不平等が根幹にあるという説明がなされていたが、どうもそうではないらしい。

東大准教授の池内恵氏によると、イスラム国に向かう若者は貧困層ではなく、どちらかというと高学歴でそれほど貧困でない層が主であるとのことであり、氏は動機を”自由からの逃走”というエリックフロムの著書の題名を用いて説明している。その若者の行動は、日本のオーム真理教へ高学歴の学生が多く入信したのと似ているというのである。 http://www.yomiuri.co.jp/feature/yokoku/20150203-OYT8T50221.html?page_no=1

その状況を私流に以下解釈する。 この世界は文明が高度に発達した社会であり、そこへの参加には長い期間の教育を受ける必要がある(補足1)。方向においては自由な社会ではあるが、原点にとどまっている自由はない。つまり、ヒトの動物としてのオリジナルな生態(原点)と比較して、人為的(或いは文化的)な状態があらゆる方向に設定されている。

若者には全ての方向への自由はあるが、それは上記原点からは遠く離れたところで与えられる。そして、文明社会には期待される道があり、それに沿って自分に予定されている時間は着実に進む。その結果、時間という川に流される寄る辺なき木の葉の様な感覚に支配されるのではないだろうか。木の葉は、あたかも自由がある様にあちこちへ向かうが、それは本当の自由ではない。

すぐ近くに明確で自分の命をも超える価値を教えてくれる存在があれば、それに身を寄せるのは、人格神を知らない我々にも分からないではない。一定の知性を持ち、自分の寄る辺ない存在を知る若者ほど、暗示か悟りかは立場によって解釈は違うだろうが、確実さと安心とが得られるのだろう。そして、部外者には自由な状態ではない様に見えるが、自分の家に帰った様な心理状態となるのだろう。

ジハード(聖戦)は、そのような若者たちの住処なのだと思う。恐ろしいことである。 補足: 1)成人の定義として、「独立して生計を立てることが可能になる年齢である」というのに反対の人はいないだろう。昔、成人の儀式としての元服は、かぞえで12-16歳の間に行われていた。しかし、現在の感覚では一応大学卒の22歳くらいが成人年齢と考えられる。時代とともに成人年齢が高くなるのは、社会への参加に対する準備期間が長くなっているからである。尚、選挙権が18歳から与えられるようになったが、それは安部政権が無知な若者を必要としているからである。

2015年11月22日日曜日

欧米の支配層と人権および環境団体

1)グリーンピースという国際環境NGO団体を名乗る団体がある。反捕鯨活動で良く知られているが、最近は沖縄に潜入し、辺野古で基地移設反対活動に参加しているという。時にはテロまがいのことをやる。クジラの命と人の命、辺野古のサンゴと日本国民の安全との優先関係すら頭の中にないのだから、一見幼稚な団体のようにも見える。しかし、本当に幼稚なのだろうか?

国際人権救援機構(Amnesty International)という国際連合と協議できるNGOがある。この団体は、1977年にノーベル平和賞を受賞した権威ある団体である。有意義な活動も多いので、時として応援したいような気にもなるのは、国際政治活動において力があるからである。これには元総理の佐藤栄作氏が参加したというから驚きである。https://ja.wikipedia.org/wiki/アムネスティ・インターナショナル

長期政権の間、この方が日本国のために自分の命をかける程のことは、ほとんど何もしなかったのも納得できる。何故なら、国家を背負う人間にとって、国際運動団体は要注視目標だからである。米国との核兵器持ち込みの密約をしながら非核三原則を国是とするような発言を何のためらいも見せずに行ったことも、納得が行く。

武藤正敏前駐韓大使が最近書いた本に「日韓対立の真相」という本がある。その中に、世界人権団体が慰安婦問題に深く関わっているという記述がある。そして、「今我々の価値観に照らして、慰安婦の存在が道義的に許されるのか」「許されないのなら、過去の行為であっても(人道に対する罪を日本が犯したと)認めるべきではないか」という言葉が彼らから帰ってくる、と書かれている(補足1)。

実際、2003年にアムネスティ・インターナショナルは、元日本軍慰安婦の人々の行動にたいする連帯を表明している。 http://web.archive.org/web/20031005173947/http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2003/0308080.htm それを紹介する文章の中に、“アイリーン・カーン事務総長は、従軍慰安婦の人びとが拷問と性奴隷 制の被害者となったとし、これは民間人に対する広範かつ組織的な人権侵害であり 「人道に対する罪」を構成するとし、時効等の法的な制限要素が当てはまらない、 と断じた。”と書かれている。

つまり、両団体とも極めて政治的な活動を、国際非政府機関という面を被って行っている。そして、「NGOだから公平に客観的に判断しているという予断」を世界の人々に与えることを隠れ蓑として利用し、国際世論を融資元の利益にそって醸成しようとしている。それは、現在の日本国に敵対するように見える。

2)グリーンピースは本部をオランダのアムステルダムにおき、アムネスティ・インターナショナルは英国ロンドンに、それぞれ本部を置いている。環境テロとも言われる活動をするグリーンピースと権威ある人権団体のアムネスティ・インターナショナルとを一緒に議論するのは、粗雑という批判を受けるだろう。敢えてそのような「(取られる)足をあげる」様な真似をする理由は、組織の基本遺伝子が似ていると思うからである。

活動資金の出所だが、グリーンピースの場合、元会長が、「ロックフェラー財団など50の基金が、原子力発電に賛同する一方で“環境保護に関心あり”というポーズのためにグリーンピース本部に資金援助している」と団体の資金源について内部告発を行ったという。https://ja.wikipedia.org/wiki/グリーンピース_(NGO)   (補足2)

アムネスティについては、「資金の調達のために、アーティストたちにボランティアで描いてもらったアートカードや便箋などのグッズや活動の内容を紹介する書籍、ビデオなどの販売を行っている」というものの、例えばアムネスティ・日本の財務報告によれば、事業収益は2300万円ほどで、収入の15%に満たない。その他寄付金の出所は、一般民にはわからない。会計検査を受けていても、それでは政治的背景は明らかにならない。(補足3)

3)これらの環境や人権を重視する意見は、先進国の一般市民には分かりやすいし、支持されやすい。西欧の民主主義を標榜する先進国は、民主主義国家としての長い歴史の中で、民主主義に欠ける戦略的部分を獲得する為に、多くのシンクタンクを作った。資本家などの社会の支配層はそれらへの出資を行う一方、それらから得た情報を元にして、自分たちが支配する政府への圧力団体の活動方針を企画しているだろう。

知的な層が厚くなったそれら先進国では、一般大衆に与えるのはパンとサーカスだけでは不足である。つまり、それだけでは反対勢力の誕生を許してしまう可能性が高いので、それを防ぐために人権と環境とを駆使する団体を、それらの中程度知的な人々の不満を投げ入れるバスケットとして用意したのではないだろうか。

日本国などの歴史の浅い民主主義国は、そのような重厚な多層的政治構造を持たない。その為、上記団体などの世論操作により、簡単に国論が分散させられてしまうだろう。それを如実に示しているのが、沖縄でのグリーンピースらの活動である。日本では相当知的な人でも、陰謀論を本能的に嫌う人たちがいる。宮家氏などの旧外交官は、その一角であると思う。彼らはテレビで活動しているが、その本当の目的はわからない。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42023202.html

補足:
1) 武藤氏は、この世界の人権団体が何かについて明記していない。さらに、引用箇所の()内の言葉をわざと抜いている。この様に明言を避けるのは、日本の外交官の特徴なのだろうか。
2) グリーンピース日本の財務報告では、収入源は主に寄付金であり、その約4割は本部からの支援金である。 http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/annual_report_2013.pdf
3)以下のサイトに財務報告がある。 http://www.amnesty.or.jp/about_us/ai_japan_outline/accounts_statement2015.pdf

2015年11月19日木曜日

ユネスコは反他国教育や反他国文化教育を阻止すべく活動すべき

1) ユネスコは、国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)である。ユネスコ憲章前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。」と書かれている。http://www.mext.go.jp/unesco/009/001.htm

ユネスコがこの宣言の下に活動をするのなら、多くの国で行われている他国を根拠なく賤しめる様な教育や広報活動の実態を調査し、その様な行いを止める様勧告すべきである。

最近、イスラム教信者による、自爆テロが頻発している。人が自発的に自分の命を賭して、他国を攻撃し他国民の大勢の命を奪おうとするのは、異常である。人は利害や思想では自分の命を捨てることは出来ない。そこには目標とする国やその宗教を含めた文化に対する強い憎しみがある筈である。

ユネスコは、他国やその文化に対する憎しみを自国民に育てる様な行為をなくす為、実際の力となる様具体的な活動をすべきである。その様な活動をこれまでどれだけ、どのように行ってきたのか総括し公表すべきである。世界遺産など、ミシェランガイド記載やギネス世界記録指定と変わらない様な活動のみをするのなら、国連下部機関としての存在意義はないと思う。 

日本国は、ユネスコへの活動へ、多額の拠出金という最も具体的な形で行ってきたのであるから、その様にユネスコに要求すべきである。

2) なぜ、このような当たり前のことを書くのか?  それは、反他国の教育や活動を、歴史を穿り返して行っている国が隣にあるからである(補足1)。そして、その韓国の出身者がユネスコの上位機関である国際連合の事務総長であり、国連がその傘下を含めてまともに機能していないと思うからである。

また、そのユネスコが行っている世界記憶遺産への南京事件の資料登録(補足2)が、そして、次回の登録候補として、従軍慰安婦資料が検討される可能性が高いからである。これらのことは、あまりにも上記憲章前文の精神に反していると思う。

3) ユネスコは、宗教の違いを“諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因”にしない様活動すべきである。そのためには、宗教の自由は個人の自由であり、国家がある宗教を強制したり推奨したりするのは好ましくないことを、加盟国に確認すべきであると思う。イスラム国が反十字軍をテロ活動の口実にするのは、歴史を遡って宗教の対立を探し出し、その種子を復活させ木に育てようとする行為である。

私は人格神を持つ宗教の信者ではないのでよく分からないが、ユネスコはこのようなイスラム国の行為が論理的に間違っていることを証明する活動の中心になるべきであると思う。

繰り返しになるが:
ユネスコは世界から戦争の悲劇を無くする為に、根拠なく他国への憎悪を自国民に醸成するような教育などの活動、特に国家が前面に出て行うこれらの行為を、阻止すべく活動すべきである。それはユネスコの設立の趣旨の筈である。

補足:

1) 韓国は、日本に親しみを持ったとみなされた人を貶すため、親日人名事典を作成している。 そしてそれを、公立学校などに配布している。このような行為をユネスコは黙認するのか?http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20151109026/1.htm

2) 人類の歴史として共有できるような資料ならともかく、議論が定まっていないデータと資料を登録するのは、反日本の行為と言わざるを得ない。そのような登録が、憲章前文に宣言されているユネスコ設立の趣旨に合致しているのか、意見を求めるべきである。 http://toyokeizai.net/articles/-/88488

2015年11月16日月曜日

グローバル化経済と命の値段の低下

1)経済のグローバル化は、通信や輸送のコスト低減、冷戦終結などを背景に、米国を中心に進められたと思う。つまり、民主主義と自由主義の世界輸出である。一方昨年、経済統合という形でヨーロッパをまとめることは困難であり、生じた富の地域差をより深い政治的交渉で解決しなければならないことが、ギリシャ危機ではっきりと意識されるようになった。ギリシャ危機は、強大な政治的リーダーシップを育てることなしに経済のグローバル化を進めることは、世界に政治的混乱を招くことを教えてくれたのである。新冷戦構造が顕在化しつつある現在、米国は世界の政治をリードする意思が弱くなりつつある様に見える。米国は自国の都合だけで、経済のグローバル化を進めた責任を放棄してはならないと思う。

2)経済のグローバル化は、当然のことながらグローバル企業を生み出し、資本による世界の支配を進めた。経済評論家の三橋貴明氏が韓国経済について動画で紹介しているように、あの看板企業のサムソンは資本的にはほとんど外国に支配されている。https://www.youtube.com/watch?v=BX2vC35PCFQ しかし、それは韓国企業に限ったことではない。例えば、日産自動車が外国企業と言った方良いことはよく知られている。更に、トヨタ自動車の株の30%、日立製作所では45%が外国保有である。これらのグローバル企業が特別なわけではない。実際、日本全国の上場株式の30%以上が外国保有なのである。

資本は自由に国際的に移動することにより、仕事も先進国から賃金の安い発展途上国に流れる。結果として先進国において、失業率の上昇やデフレ経済を生んだ。ピケティの本がベストセラーになったことで有名になった、資本による収益率が成長率を上回るという関係により、資本を支配するものが富裕層となり一般労働者の相対的貧困化が起こることになった。

例えば、一人当たりのGDPを比較すると、金融関係で稼いでいるルクセンブルクと産油国のカタールが一位を争っていること(補足2)は、現代世界の歪な経済構造を象徴しているように思う。そして、経済の歪な構造により世界の内部には政治的応力が生じており、そのズレは地震のように悲劇を起こす。あのフランスのテロも、このような経済的不均衡が背景にあるのではないだろうか。

3)命の値段というのはいささか不穏当な表現である。しかし、経済的視点から見れば、人の命にも値段をつけることができる。例えば、命の値段を一生に賃金として受け取る金額や保険等での死亡時受取金額とでも定義することが可能である。そして、傾向としての話だが、それらの金額が高い国あるいは社会ほど、やはり安全や環境などを大切にするのではないだろうか。

命の値段の安いところでは、労働賃金は安く、従って失業率は高い傾向にある。社会は環境や安全に対して配慮する余裕を失い、荒廃が進む。人々が宗教に頼る傾向を強めるのは、宗教は現世の不安や不満を投げ込む異次元空間への窓口のように働く。日本でも人々が神社の賽銭箱に投げ込んでいるのはコインではあるが、不安と不満をそれに載せているのではないだろうか。投げ込む筈だった不満や不安がその手を離れなかったら、自分自身がその中に身を投じることになる。

グローバル化された現代、資本や商品が自由に国境をまたぐ。そして、人にとっても国境という敷居が低くなる。それだけなら未だ良いが、不安や不満、更にはテロにとっても国境という敷居は低くなり、その上に本来あるはずの扉も高度なIC技術により透明化されてしまっているのではないだろうか。我国は2020年のオリンピックを無事開催し、その祭りが終わった後の虚無感に浸る余裕を、国民は持つことができるだろうか。

補足:
1)現在、冷戦は終わっていないという見方があり、新冷戦構造という言葉が生まれている。しかし、2,3年前までは冷戦は過去のものと考えられていた。
2)名目つまり米ドル換算ではルクセンブルクが、購買力平価ではカタールが一位というような状況にある。

2015年11月13日金曜日

南京事件について

1)昨日のプライムニュースでは、専門家3人が出席して南京虐殺について議論していた。その3名は、新しい歴史教科書をつくる会で教育学者の藤岡信勝氏、元日本大学教授で歴史学者の秦郁彦氏、そして明治大学文学部教授で歴史学者の山田朗氏である。

まず南京市とその当時の人口などについてを含め紹介された事件の概略を書く。 南京事件は南京陥落後、日本軍が捕虜とした兵士や軍服を脱ぎ捨てて大衆の中に紛れ込んだ中国軍兵士と思われる人たちを、多数殺した事件である。その中に非戦闘員が多数いたが精査せずに殺したこと、捕虜を殺したこと、更に軍服を脱いだ無抵抗な人間を殺したことが国際条約に反する犯罪行為にあたるとされている(補足1)。日本軍関係者は戦後に南京軍事法廷(国民党政府が開いた)と東京裁判により処刑された。

日本軍により殺された人の数は、南京軍事法廷での判決文では30万人とされ、極東軍事裁判では20万人とされた。秦氏と山田氏は、「兵士や非戦闘員合わせて4万人程度の虐殺があったと思う」と述べ、藤岡氏は0に近いと述べた。藤岡氏は多くの人が殺されたのは事実だろうが、それらは戦闘行為としての殺戮であり、国際条約に違反するものではないとしている。つまり、捕虜は無抵抗であるべきであり、兵士は軍服を脱ぐことが禁止されている。従って、違反者は殺されても仕方がないのだというのが、藤岡氏の論理である。

戦時に民間人や捕虜が殺されることは多くあっただろうから、南京事件が歴史に残る事件として、更に戦後永きにわたって国際紛争の種となるには、極端に多数の民間人や捕虜が殺されるか、多数が極端に残虐な方法で殺されるかが必要条件となる。そこで強調されるのが、30万人という人数や百人斬り(追記1)と言われる殺戮方法である。後者については新聞で大きくとりあげられ賞賛されたというが、その中にどれだけ民間人を含むかなど詳細は分からない。

前者の数であるが、それはかなり誇大化された数字だろう。ただ、中国側が誇大に話を作ったとしても、それに対してこちらも矮小化で対立するのでは、問題が解決せず長引くだけである。出来るだけ真実に迫ろうとする、秦氏と山田氏の歴史家としての態度を支持する。以下にその点についてのみ、更に放送内容にそってレビューする。

2)南京市主要部は城壁に囲まれ、その一部に安全区(下図の難民区)が設けられており、そこに西欧人約15名(例えば、ドイツ人ラーベなど)が監視役として滞在していた。南京市の当時の人口は100万人程度であり、多くの市民は日本軍の入城前に逃げたが、それでもかなり残っていた。逃げ遅れた人たちは安全区に逃げ込み、その人数は20万人だったと言われる。

http://www.history.gr.jp/nanking/nanking.htmlより転載

南京市内の人数は、最大限度の殺戮者数を議論する上で重要である。(補足2) 藤岡氏の「南京市に入城時には、誰も(安全区以外)いなかった」との発言に対して、「侵入軍から身を隠すのは当然であり、安全区以外の城内(上図の実線内)や城外にはかなりの人が残っていたと考えるのは不思議ではない」という、秦氏と山田氏の反論があった。

以前から我々一般人は屡々、「当時の南京の人口は20万人であり、30万人の殺害は物理的に困難である」、そして「南京事件後しばらくして、南京の人口はそれより増えていたので、大虐殺などあるはずがない」という藤岡氏らやそれを聞いた人たちの受け売り発言を聞いていた。3名の議論を聞いて、その発言には一般人を欺く意図があったと思わざるを得ない。

つまり、南京市から安全区に避難した人の数が20万人なのである。そして、その他に、南京に入城した日本兵は城外や城内(安全区以外)にほとんど人を見なかったという言葉をそのまま信じて、それ以外の人口を0と勘定し、その合計20万人を南京市の人口としたのである。更に、「当時」という言葉を敢えて定義せず、平穏な時代の人口が100万人以上であるということを知らない一般人に、南京市の人口が20万人だと思わせることにより、「物理的に30万人殺すことは出来ない」と主張したのである。

南京城内は放火されておらず、ひっそりと隠れておればわからないだろう。また、城外は放火されていたというが、隠れるところはあっただろう。そのように考えれば、本当の人口は30万人超えても不思議はない。実際、山田氏は南京城区に60万人いたのではないかと推定している。

私は、藤岡氏らの南京事件全体に対する言葉を、この段階で信用できなくなった。そして、「南京事件後、南京の人口はそれより増えていたので、大虐殺などあるはずがない」という彼らの言葉は非常に悪質であると思った。なぜなら、市民が避難した所から帰れば当然そのくらいの人口になる。従って、南京虐殺など無かったという人たちの発言の根拠は非常に脆いので、「物理的にありえない」という強い表現を用いたのだろう。

中国軍の兵士(補足3)が便衣兵として、安全区の避難民の中に紛れ込んでいたので、それらしき者を探して殺しても、戦闘行為と見なせるという藤岡氏の意見も詭弁に聞こえた。捕虜になる覚悟で名乗り出た場合、助かるのではなく殺されたわけだから、生き残る道は非戦闘員の中に紛れ込むしかない。

もし、捕虜をかなり荒っぽい形でも裁判にかけてから、疑わしい者を死刑にしていたのなら、そして一部を無罪として命の保障をしていたのなら、捕虜になるという逃げ道があったと言えるだろう。そして、軍服を脱いで非戦闘員の中に紛れ込んだ者たちを便衣兵とみなすことも論理的には可能だろう。しかし、当時の日本兵はそのようにはしなかったのである。

結論として、最初の方で秦氏と山田氏が推定した、「兵士や非戦闘員合わせて4万人程度の虐殺があったと思う」が妥当な数字だと思う。この数字は、事件の翌年4月に発行された中国の共産党機関紙に掲載された、南京で42000人が殺害されたという記事の数字にほぼ一致している。 当時の軍の指揮にあたった松井石根大将は東京裁判で死刑となったが、執行の前に残した松井大将の言葉は非常に印象深い。それを読んで、数字はいろいろ議論はあるだろうが南京虐殺が実際にあったと納得した。その遺言には、日露戦争当時と比較して軍の規律が取れていなかったこと、兵士の暴走を止めることが出来なかったこと、そして自分の死により当時の兵士たちが反省してほしいと書かれている。(https://ja.wikipedia.org/wiki/松井石根 を参照)

南京事件の根本的とも思える原因として、次の2点を秦氏が番組の始めの方で指摘した。
① 大本営は上海陥落後に軍を止めて、講和に持ち込む方針だったが、現場がそれを無視して南京の方に向かった。そのため、食料などの補給は計画されておらず、現地調達することになった。
② 日露戦争までは国際法遵守して、近代国家としての体裁を保っていたが、その後軍規も徐々にいい加減になり、上層部の意向を無視して独走する傾向(下克上)があった。

放送では幕府山での虐殺など個々のケースについて議論があったが、それらは省略する。以上、昨夜のBSフジプライムニュースを見た後、私が理解した南京事件である。

補足:
1)1899年にオランダのハーグで締結されたハーグ陸戦条約に規定されている。この条約では、その内容を各国が国内法として法制化することになっている。日本も1912年に公布されている。(ウィキペディアによる)
2)この問題の論争において、大虐殺を否定する側の最も有力とこれまで私が感じてきた根拠は、「当時南京の人口は20万人であった。30万人殺すのは物理的に不可能である」という論理である。この点については以下に述べる様に、大虐殺を否定する側が極めて悪質な言論的トリックを用いていたと思う。
3)当時南京守備のために残った中国軍兵士は5-10万人と言われている。かなりの人数(5万人程度)が安全区に逃げ込んだと思われる。

=== 11/13投稿、11/14午前8時全面修正 === 追記:
1)100人斬りについては、虚構であるとの訴えが遺族によりなされ、裁判で虚構であるとの判断がなされた。溝口郁夫著、「南京100人斬り競争の虚構の照明」及び:https://www.youtube.com/watch?v=7N_v3sz6mgI など参照。(2015/12/2追記)

2015年11月12日木曜日

慰安婦問題は解決済みではなかったのか?

(昨夜、2015/11/11、別サイトに投稿した文章を再録します。)

BSプライムニュースで慰安婦問題を議論している。パククネ大統領が慰安婦問題を解決するというのなら、解決するつもりだろうと、武藤元大使が言っている。しかし、頼りない方に見える。なぜなら、次の大統領(今の国連事務総長かも)が「問題が残っている」といえば、ゾンビの如く蘇るだろう。過去(金大中時代)に一度完全解決した(これも基本条約で一度解決した後の二度目の解決)が、問題が再び蘇ったことを経験しているのに、こんなことを言っている。馬鹿みたいな話だ。

「韓国の多くの友人をなくすかもしれないが、本を書いた」? 国の金で大使として勤務中にできた友人だろう。 そんな関係を本当の友人関係と考えるのはおかしいのではないかと言いたい。当事者として問題を残したのであるから、本で信じるところを国益を考えて書くのは当然のことであり、私的な友人関係と混同してもらってはこまる。

風呂から上がって来た。未だ似たような議論をやっている。日本人と韓国人は本来仲が良いとか、くだらんことを言っている。外交と個人的な好き嫌いとを混同するようではだめだと思う。

新藤義孝元大臣も、解決のためには何が必要かという問いに対して:率直と仁愛? 相手を思いやる? 心に響く? そんなこと言っておられる。日本を客観的に見てもらう? 個人としては韓国の方とは良い関係が築ける?真面目に視聴しているのに、そんな表舞台だけで外交すべきという様な台詞を吐いてほしくない。(韓国向けにはそういうべきだろうが。。。)

女性の人権問題は大事だが、過去の出来事は過去の時代背景を前提にしなければ、話にならない。当時戦争で生きるか死ぬかの戦いをやっていたことすら(わざと)忘れて日本を批判している者たちと、まともな議論などできるわけが無い。また、外交は国益が第一であり、外交は戦いであり、戦いも外交であると思う。

素人が失礼なことを言っているのかもしれないが。。。

2015年11月11日水曜日

潘基文の国連を警戒すべき

日本は今後も国連の動きには注意が必要である。

ヤフーニュースによると、児童ポルノの調査に来た国連のマウド・ド・ブーア=ブキッキオ氏が、日本の女学生の13%が援助交際しているとの調査結果を記者会見で喋った。日本に住む我々にとって考えられない数字であり、もしその数字を国連が世界にばらまけば、日本国にとって著しい不名誉となる。

その数値に疑問を持った外務省が、国連に対し発言の撤回とその根拠を提示するよう求めた。11月2日その調査員は、援助交際の規模に関する「公式統計は受け取っていない」という説明を発表したという。一体何があったのだろうか? http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151111-34784309-bbc-int そして、今日の菅官房長官の会見では、国連調査員はその抗議を受け入れたようである。 http://news.yahoo.co.jp/pickup/6180522

国連の潘基文事務総長はここ数年、本来加盟国を平等に扱うべき立場にあるにも拘らず、不合理な反日キャンペーンを続けている。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html 次期韓国大統領の椅子を目指して、反日姿勢を韓国民に誇示するのが目的だという説もネットでは囁かれている。実際この9月、中国共産党の対日戦勝70周年記念式典の軍事パレードに参列するという国連事務総長にあるまじき行動をとった。日本の遺憾である旨の表明を、習近平の言葉と同じような言葉で跳ね除けた。今回国連人権理事会から調査員を派遣して、日本を貶すための材料を探すように指示した件にも、潘基文が絡んでいる可能性があると思う。

韓国は、遅くとも来年新学期までソウル市内のすべての中高校の図書館に『親日人名辞典』が普及されるという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151109-00022443-hankyoreh-kr この国は、本当に救い難い国だと思う。池上彰氏がテレビで言っていたが、「反日が唯一の国家団結の旗頭」というのは本当の様だ。数ヶ月前にも、「日本併合時代に良いこともあった」と発言した老人が、若者に殴り殺された事件があった。http://www.j-cast.com/2013/09/13183859.html(この事件についての韓国の人たちのコメントを見て欲しい)

国連事務総長になるような人間でも、反日で凝り固まっている。日本が相手となるだけで、まともな判断ができないような精神状態になるのかもしれない。韓国とはなるべく距離を置いた方が良いと思う。オバマさんでもヒラリーさんでも、この隣国の様子を知れば、日本が手を焼いていることがわかってくれるだろう。

(以下補足:)例えば、従軍慰安婦の件でも、韓国が日本を侮辱することが米国の国益になるのなら、米国は分かったふりをして、背後で韓国をけしかけるかもしれない。外交というのはそのようなものかもしれない。つまり:南京大虐殺の件は、米国が東京裁判の際に(ほとんど捏造的に)持ち出した;米国は原爆や都市空爆で無差別殺人を犯したという罪悪を、日本の非人道的行為をでっち上げることで相対化したいという欲求がある;クワラスワミ報告にも米国が絡んでいる可能性がある。

2015年11月9日月曜日

日本の宗教について(そこまで言って委員会後に頭を整理)

昨日のそこまで言って委員会(11/8/2015)で、宗教について話し合っていた。それに刺激されて、日本の宗教を考える。世界の宗教地図では日本は仏教圏内に含まれている。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/edu/kyouzai/handbook/pdf/p111.pdf しかし、これで日本の宗教を語るのは単純すぎる。

1)私は日本人の宗教の土台には神道があり、その上に大乗仏教が載っていると理解している。神道は大自然(=神)の恵みとして生を受けたことに対する感謝と、その生を授けた神を怖れる宗教である。日本人の父なる神は大自然と一体であり、霊を帯びた山や川というより、山や川などを支配している霊であると思う。キリスト教との違いは、聖書(経典)がないことや、山や川に存在する霊を臨在的に感じることである。聖典がないのは、人知を超える存在であるからである。

聖書の神は、人を特別に創造したことでも解るように人を愛する神である。そして、戒めを破れば恐ろしい父なる神である。一方、神道の神は、神であるが故に公明正大であるだろうと予想されるが、その保証はない。なぜなら、何をしてはいけないという教えがないから、突然訳もわからない災害に見舞われる(神罰を受ける)こともある。日本人が無宗教だと答えるのは、神道の神から人へ差し伸べられた救いの手が感じられないからだと思う。つまり、神道の神は父なる神として子を恐れさせるが、教育はしてくれない。

その不安で寄る辺ない日本人に対して、仏教は本来の形から大きく変化して対応したと思う。日本の仏教、例えば、浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏への信仰を告白すれば、死後は極楽に往生できると説く。阿弥陀仏は母のように、日本の人の心を安心感で満たしてくれるかのようである。極楽を天国、阿弥陀を神に置き換え、そして、「南無阿弥陀仏」を信仰の告白に置き換えられるのであれば、一神教に近いように感じる。しかし、善と悪の区分を超えたところに真実があるとの教えは(補足1)、仏教の中心的教義である「色即是空」の別表現であると思う。

以上から、日本人が怖れるのは神(神道の神=大自然の神)であり、日本人に暖かく接してくれるのは阿弥陀仏などの仏である。その両方があることで、生と死の不安に怯える人は、かろうじて自分の現在位置を確認できるのである。

2)生命が怖れるのは死である。死が「行く末」であり、それへの不安から、人は「来し方」を探すことになる。仏教ではこの形ある世界は本質ではないと説く。つまり、来し方が本質的でないのなら、行く末も本質的でない。従って、行く末を恐る必要がないと説く。神道には教義はないが、私が神道の信者ならば、偉大な自然から生まれ自然の中に育まれているのが自分であると感じる(だろう)。そして、肉体が自然に融合するように帰るのも当然のこととなる。何れも、死の恐怖から解放される方法を教えていると思う。因みに、神道とこの自然に帰る死は、深沢七郎作の「楢山節考」に極端な形としてではあるが、見事に描かれている。

色即是空を四苦(生病老死)克服の為に知るべき真理として、信徒に修得させることは難しい。親鸞でも、当時の日本仏教の中心であった比叡山で厳しい修行を行っても、真理つまり悟りを得ることは困難であった(補足2)。従って、経文の意味を信徒一般は知り得ないし、知ろうともしない。

仏教が日本に入ってきて変形されても、その理解は依然困難であり、死の恐怖からの克服も一般人には困難である。そして日本人が仏教に接する態度は、棒読みで経文を唱えるのみである。日本人のほとんどは、神道と仏教を謂わば両輪とする(あるいは両親とする)宗教の信徒であるが、仏教の経典にはわからない文字が書かれているだけであり、神道の神も何も教えてくれない。従って、宗教を前面に出して、自己を主張することはない。人と人が協力して生きる以外に方法はないという意味で、宗教は共同社会の絆としての働きが主であったと思う。日本人の多くが、誤って「自分は無宗教だ」と答えてしまうのも、神を全面にだして他国と対立することがないのも、この極めて薄い宗教的”空気”による。

因みに、国家神道は明治政府が政治的に作り上げた宗教である。神道は、仏教やエホバ神信仰と同様、二度ほど変形されていると思う。最初は、権力を掌握した多数派渡来人が、より古い渡来人により信仰されていた神道を、種族の長を聖書の中の創造神の子孫のような存在に仕立てて(古事記)変形した神道(伊勢神宮)である。二度目は、徳川家康など歴史的な人物を祀る神道(東照宮;八幡宮など)であり、その延長上に国家神道がある。国家神道では、国家の戦闘で死亡した人を神として祀るもので、明治維新以後にできた最後の神道の形であるが、政治家や元軍人以外の日本人の心の中には定着していない(補足3)。

「千の風になって」という歌が有名であるが、これが米国で作られたのだが、おそらく作った方は神道のような自然崇拝(アニミズム的宗教)に近い信仰の方ではないだろうか。自然崇拝は世界中で普遍的な宗教だと思う(補足4)。

補足:

1)言うまでもないが、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」である。

2)オリジナルな釈尊の教えである、「生病老死が苦(思い通りにはならない)であるとし、色即是空(形あるものは空い存在であり、本質的ではない)であるから、その苦も本質的でない」という教えは、哲学的ではあるが、その説教で救われる人はいないと思う。従って、偶像崇拝的なものや、新興宗教が多数勃興した。法然と親鸞が創始者である浄土真宗もその一つであり、「弥陀の本願を信じて”南無阿弥陀仏”と唱えるだけで、死後極楽往生できる」と極めて簡単な教えとして広めた。

3)変形された神道は、人格神的要素が取り入れられており、やはり本当の意味では神道ではない。

4)広辞苑第二班によると、「宗教とは神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され、禁忌された神聖なものに関する信仰・行事またはそれらの連関的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。」とある。人間は自然の中から生まれたという意識は万人に共通だと思うので、超越的絶対者はこの自然と一体であると考えるのが当に自然である。そして、世界中で自然崇拝が基礎にあり、その説明者によりいろんな宗教が作られたのではないだろうか。

2015年11月7日土曜日

日本政府も、慰安婦問題等の研究機関を設立すべきである

日本政府 も、慰安婦問題や南京大虐殺などを研究対象にした、日本の昭和史の研究機関を設立すべきであると思う。

ニュース(Record China 11/6):2015年11月4日、韓国・国民日報によると、韓国政府が、日本軍慰安婦に関する資料を収集・研究・保存・展示する「歴史館および研究所」の設立に向けて動いていることが分かった。証拠の収集管理に政府が直接当たることになり、実現すれば、日韓の協議にも影響が出るとみられている。http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html

この韓国の動きに対して、日本側も何らかの対策をとるべきである。桜井よしこさんや西尾幹二さんらがマスコミなどで主張されているように、制度としての強制連行などがなく(補足1)、そのような犯罪行為を黙認して利用していたようなことがないのなら、韓国の“虚構の慰安婦”を暴くキャンペーンを国際的に行うべきである(補足2)。実際、この慰安婦の件を米国も調査したが、日本国内の売春の延長であったという結論に至ったようである。

私は予ねてから提案しているが、日本政府は国立の研究機関を設立し、慰安婦の件だけでなく、中国や韓国により歴史問題として取り上げられている旧日本軍のアジアでの民間人を巻き込んだ行為を研究し、その成果を公開公報すべきだと思う。また、公報のための常設の施設を、ニューヨークなど世界に数カ所作れば良い。

その研究機関では、①事実の発掘を含めて研究すること、②すでにある秦郁彦氏らの研究成果をまとめた本の要約や各国語への翻訳などを通して、広く且つ容易にアクセス出来るようにすることなどや、③公報活動の計画と実行などを行うのが良い。

上記①と②については、韓国が作るという国立機関に相互協力を呼びかけると良い。兎に角、真実などこの世になく(補足3)、当事者の力関係で決まり歴史に定着するということを肝に命じて、上記を実行してほしい。

つまり、韓国はその機関を巧妙な捏造のための機関に用いる可能性が高いのである。従って、日本もリアルタイムで対応できるような組織を持たなければ、対応できない可能性がある。

更に、これまでに近代史の学会が明らかにしている事実について、政府の見解とともに日本国民に公表すべきである。日本国民全員が自信をもって、「日本国はヒトラーに並ぶような非人道的なことを行っていない」と言えるようにすることも、日本政府の大事な仕事である。

慰安婦の存在は事実であり、旧日本軍はそれを利用していたのも事実である。他国も同じことをやっていたという言い訳は、日本のケースの議論の上では無力である。この事実の重みを先ず十分知るべきである。また、下手な過去の自民党政府の対応により、日本は被告席に座っていると国際的に見なされている可能性が高いことを重く自覚すべきである(補足4)。

その場合、日本側にできるのは釈放の交渉か、裁判での弁護に喩えられる行為である。何もしなければ、現代の感覚で日本人の歴史的犯罪として歴史に刻まれ、韓国の思う壺となるのだ。

補足:

1)個人的な犯罪は、日本側も犯罪行為として把握し、東京裁判で罰せられたと記憶する。https://ja.wikipedia.org/wiki/白馬事件; もし、軍による強制連行などあれば、東京裁判において高官がその罪状で裁かれたはずである。

2)韓国軍は朝鮮戦争やベトナム戦争において慰安所を置いていたことが知られている。https://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 その時の慰安婦から賠償要求が韓国相手に出されている。https://ja.wikipedia.org/wiki/在韓米軍慰安婦問題

3)「どこで誰が誰を殺した」という事実は明らかにできても、「何のために、或いは、どのような事情で、どのような背景で、そしてどのようなプロセスで」となると、利害が対立する関係者間では一致しない。しかし、真実はえてして後者にあり、確定しない。幾分誇張した表現ではある。

4)つまり、クマラスワミ報告が国連に提出されている。

2015年11月5日木曜日

日韓首脳会談の後のパククネ大統領の安倍総理への言葉について

昨夜のBSフジのプライムニュースで、再び日中韓首脳会談について議論が放送された。ゲストは、桜井よしこ氏と天児慧氏(早稲田大学現代中国研究所所長)であった。そこで話題になったのが、日韓首脳会談終了時のパククネ大統領の言葉、「これからどちらに行かれるのですか?」である。昼食前に会談終了して、この言葉は非礼だろうというのが、ゲスト二人の言葉であり、そして両氏の在韓知人達の言葉として紹介された意見でもあった。

そして、会談終了当日の夜に同じ番組に出演され、そのことを笑顔で話す安倍総理の姿がビデオ放映された。私は、その笑顔にパク大統領の言葉の意味が隠されていると思った。あえて不適切かもしれない表現を用いれば、本来仲の良い二人が仲直りできずに別れる時の場面を想像してしまう。「失礼だ」と言う儀礼上の評点を付ける場面ではないような気がする。つまり、全て交渉の一環としての発言だと思う。

「これからどちらに行かれるのですか?」とは「もう少し譲歩してくれれば、昼食もこちらで用意できましたのに」という“恨み節” の別表現である。安倍総理はそれに、「これから、焼肉店に行きます」という言葉で、「そのような譲歩はできません」と答えたのである。

そのように考えると、いろいろ解ることも出てくる。桜井よしこ氏が、「パク大統領も(韓国人一般と同様)、大きな規模での(つまり、“日本軍の作戦として”の意味だろう)婦女子の強制連行などはなかったということを十分ご存知でない」と言ったが、私はそうではないと思う。パク大統領はほとんど正確に知っており、その上で、中国風に政治的な取引を安倍総理に持ちかけているのだろう。

天児氏が、中国の歴史は権力の正統性を語る物語であり、事実をつないだ物語という西欧や“現代日本”の歴史の定義とは異なると指摘したが、上記の場面はまさにその流れを汲む(補足1)韓国と日本の間の首脳間の取引であると思う。中国は本家らしく、全くその姿勢から抜け出せないでいるが、韓国は半身、日本も片足くらい、その伝統に浸かっている。

両国とも、全身浸かっていないので、あのようなやり取りができるのだが、中国とは真正面からの対決しかできないのが恐ろしい。それは国連での核兵器廃絶議決案の提案に対する中国代表の演説に現れている。日本が一方的に侵略した加害者であるとか、3500万人殺したとか、を何の躊躇もなく言えるのが中国である。中国にとって歴史の捏造など有りえない。なぜなら、中国にとって歴史とは本来政治の武器としてゼロから作ったものだからである。

2)番組の中での話の流れは、「真実が国際社会へ広く知られるようになれば、韓国もそのような主張はできなくなるだろう」という方向に行った。また中国の近代史に関しても、「重大事件である大躍進運動、文化大革命、天安門事件などを中国の若い人達はあまり知らないが、中国の学者達が研究を始めている。また、ネット社会では、これらの情報の国民への流れを止められないだろう」という趣旨の話があった。

しかし、そのような見方は多分に評論家的であり、政治的ではないことに注意する必要が有ると思う。 “歴史”は連続した流れとしてあり、その中に我々の祖先が生きて来たし、我々が現在生きている(補足2)。したがって、その流れの中から見るというのが政治的見方であり、当事者(我々国民)は両方の目で見ることが大切だと思う。上記のように政治的発言について評論家的視点での解説を聞いても、何かしっくりとこない。その解説に説得力がない。つまり、過去の戦争も現在と切り離されてはいないのであり、解明の対象という風に切り離して解析することができないのである。講和条約も、双方が同意して打った句点にすぎない。

更に、歴史には真っ黒も真っ白もなく、全て白さは違うが灰色である(補足3)。その最終的な黒さの度合いは、それに関与した双方がその後に発揮した力で決まる。また、その見え方は全体の照明で決まる。

「日本軍は婦女子を強制連行して性奴隷として使った」というのは、現在の国際社会の歴史である。クマラスワミ報告が国際社会の理解した慰安婦に関する歴史であり、それはWikipediaの記述「Comfort women were women and girls who were forced into sexual slavery by the Imperial Japanese Army in occupied territories before and during World War II.[1][2][3]」に一致する。 それを捏造や改竄としてひっくり返そうとするのが日本の力であり、それを真実として残そうとするのが、韓国と中国の力である。そして、我々はその戦いの真只中にあるのであり、国民も外務省の役人も真面目にこの戦いに参加しなければならないのだと思う(補足4)。

3)(蛇足)そのように考えると、安倍総理の姿は政治家であり、政治家の家系に生まれた強みを感じる。話は飛ぶが、その姿に橋下大阪市長は学んで欲しい。橋下氏は、政治家ではあるが、評論家から足が洗えていない。「これから焼肉店に行きます。」と冷静に答えた安倍総理に学んで欲しいとつくづく思う。

補足:
1)日本書紀も全く同じ趣旨で書かれた、権力正当化の書物である。
2)歴史を、時間を横軸にとったグラフと考えれば、現在は歴史の末端という数学でいうところの特異点である。
3)我々は生きている。生きているということは、善であると同時に悪であるということである。その生きていた者達が主人公の過去の歴史が、白であるはずも黒であるはずもない。
4)つまり、「真実はこれこれなのにけしからん」と言って議論しているが、その時間もバトルフィールドに居ることを忘れてはならない。また、神がいなければ、真実などこの世に存在しない。

2015年11月4日水曜日

核兵器廃絶決議の提案は意味がない

昨日TBSニュースのネット版によると、国連総会の委員会で2日、核兵器廃絶を目指す決議案が採択された。この決議案は日本が主導したもので、今年は新たに、世界の指導者や若者らに被爆地の訪問や被爆者の証言を通した理解を促すことが盛り込まれた。 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2627085.html

この決議案には、中国、ロシア、北朝鮮が反対した。核兵器廃絶の提案に対して反論は難しいが、被爆地への訪問を促す項目を入れることにより、中国などに反対し易いように配慮したようだ。

何故、広島と長崎への訪問を促すような項目を入れたのか、その戦略はさっぱり理解できない。中国の反論を聞いて、不愉快な思いを多くの日本人は持つだろうし、多くの米国人は密かに喜ぶだろう。普通の頭脳を持っておれば、中国の憎々しい演説など予測できないはずはない。

核兵器など廃絶できるはずがない。そのような無駄な提案の主人公になって、日米の火種を再確認するようなこと、更に、地下深くでの米国と中国の繋がりを仲介するようなことを何故するのは非常に愚かなことだと思う。

そのような無駄な努力をするよりも、日本も有事の際、幾つかの既存の核兵器保有国と如何に連携して生き残るかをシミュレーションすべきである。なぜなら、地球は世界の全人口が豊かに暮らすには狭すぎるからである。22世紀に優先的に生き残るのは核保有国の国民だろう。

2015年11月3日火曜日

安倍総理の慰安婦未解決発言に米国の影

昨日の記事(直前のもの)に、「少数意見尊重」と名乗る方から以下のコメントをもらった。
アメリカの
犬の詐欺安倍
許してワン
ぶざまな姿が
お似合いだな

それに対する返答の意味もあり、以下に私の考えをかく。

確かに「慰安婦問題が未解決の問題として認めよ」という米国の指令があったのかもしれない。それならば、それを認めて、さっさと15分で会談を終了するべきだ。犬でも独立した生命であることを示すべきである。この件、日本国民は安易に納得せず、深く考えて今後の外交の方向を探らなくてはいけない。

今朝の読売新聞一面のトップにこの件がとりあげられている。見出しが、「慰安婦」協議年内にも」 で、副見出しが、賠償問題「解決済み」堅持である。賠償問題が解決済みで、何を協議するのか?パククネは天皇陛下と総理大臣に、元慰安婦に向かって頭を揃えて下げろとでもいうのか?

そもそも、賠償の義務がないのに、外交問題として協議するとはどういうことか? 読売新聞レベルでも、一言くらい解説記事をかけるだろう。それを書かないのなら、エロ週刊誌ほどの存在価値もない。社説の内容は表通りの風景の解説に過ぎず、全く不十分である。

慰安婦がいたことは事実であるし、給与が慰安婦に支払われていたことも事実だ(と思う)。半島の人たちが非常に貧しく、身売り同然に業者に娘が引き渡されたこともあっただろう。その悲惨な姿は想像に難くない。それと同様に、戦争時には多くの悲惨なことが起こった。多くの民間人が無慈悲に殺された。日本国内でも原爆など空襲で、何十万人という婦女子や子供を含む民間人が無差別に虐殺された。人類の歴史の中に目次だけで山ほどになるだろう、悲惨な虐殺強姦などの出来事の結果として、我々現代人が生き残っているということである。

パククネ氏に聞きたい。あなたの国の民だけが、そして日本国だけが、先の大戦時に際立って悲惨な人生を強要された民とその犯人というのか?講和条約に等置されるべき、日韓基本条約を、今後平和に我々両国民が生き残るために結んだのではないのか?

要するに、米国の指導者たちとまともに話ができないのだ。問題の本質をしっかりと論理的に言えば、かれらがもっとも大切にする”表の論理”で、不当な介入を防げるはずである。彼ら西欧人が裏の工作の名人なのは、かれらが表の論理を重視し、”論理”には勝てなければ負けだからだ(補足1)。

さらに、日本が道徳的に汚れた国であるということにできれば、それが米国の利益になるということだ。常に米国の頭にあるのは、原爆と都市部空爆による数十万人の虐殺なのだ。それを帳消しにする日本の歴史的悪行が欲しい。それが、南京大虐殺であった。しかし、ありがたいことに、従軍慰安婦という問題を韓国が出してくれた。それを利用しない訳はないと裏で考えているだろう。

そんなことは戦後すぐに分かっていたはずだ。吉田茂以下の戦後日本の政治を担った、自民党の主流政治家は何者なのだ。長州の明治政府(本当は英国の飼い犬か?)から何の進歩もない。

キーワード:韓国 慰安婦 中韓同盟 明治政府と英国の関係=戦後政府と米国の関係 アングロサクソンという民族

補足: 1)論理的に正しいと言えるように最大限の努力をする。もちろん、場合によっては論理を無視する。無関係だが、プロコルハルムの青い影の歌詞を思い出した。and likewise if behind is in front then dirt in truth is clean

2015年11月2日月曜日

日韓首脳会談と慰安婦問題

今日、韓国各地で反日デモが行われ、「謝罪して補償しろ!補償しろ!補償しろ!」との声があげられていた中、大勢の警察官が配置された大統領府で、安倍総理とパク韓国大統領との首脳会談が行われた。http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20151102-00000045-jnn-int

そして、その会談での合意事項として、「両首脳は今年、日韓国交正常化50周年を迎えて、慰安婦問題の解決に向け協議を加速させることにしました」(YTNニュース)と韓国メディアが報じた。また、聯合ニュースは今回の合意を評価する一方で、「具体的な解決策が示されておらず、慰安婦問題への謝罪もなかった」「今後の協議は楽観できない」などとも伝えた。

この異常な雰囲気の中で、韓国の報道機関から国民までが一致協力して、慰安婦問題を未解決の問題としてゼロからの交渉課題とすることを目論んでいたようである。その目論見に安倍総理は乗ってしまったように思える。

安倍総理の発言は、「未来志向の関係を築いていくため、将来の世代の障害にならないように、早期妥結することが重要だ」という風なものだったと思う。つまり、安倍総理の発言は、上記報道でもわかるように「慰安婦問題が未解決で残っている」という風に韓国で受け取られたようである。もちろん、韓国側は多少強引な解釈でも、そのように受け取った振りをすることは事前に分かっていた筈である。安倍総理と官邸の完全な失敗だと思う。

日本政府は、法的問題は1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決した」との立場である。これに関し、日本政府関係者は2日、「人道的見地に立った対応は法的問題とは別だ」と指摘したと以下のサイトに書かれている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151102-00000107-jij-pol

この政府関係者とは誰なのか?「人道的見地に立った対応」とは何なのか? 深く考えないで、その場限りの対応をすべきでないことを、未だ学んでないのか?バカの極みである。

そのような対応が、慰安婦問題を韓国の武器として大きく成長させた

のである。

戦時中に非人道的なことが多く起こった。民間人とその子供たちなどを大勢戦争に巻き込んで死亡させた件などは、すべて非人道的な出来事である。かれらは慰安婦と違って、給与は一銭ももらっていないのだ。それらを含めて、関係を全く新しい状態に初期化したのが、日韓基本条約の締結だった筈である。この条約の後に、日本国が(民間ではなく国家として)韓国に対して、人道的見地に立った対応をするとはどういう意味なのか?

日本は韓国が基本条約締結後に、日本国の名誉を傷つける行為を、世界各地で行っている。日本が韓国の若い女性を拉致して性奴隷として使ったと主張する像の設置である。 謝罪を要求すべきは日本である。

2015年11月1日日曜日

日本の歴史問題

1)幕末から明治の歴史は、新政府により捏造されたとする本やネット記事が多い。このブログでも最近書いている。 また、古代史の話でよく聞くのは、「日本人にはいろんな顔つきの人たちがおり、明らかに単一民族ではないのに、日本人は単一民族だと幼稚に信じている。」がある。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12106818762

ここで、「日本の歴史教科書も他国の歴史書同様、上記の様に多くの部分で捏造あるいは記述が偏っているのではないか?」を少し書く。

日本人単一民族説は、戦前戦後を問わず挙国一致体制を作るために政治家が作ったものだと思う。(https://ja.wikipedia.org/wiki/単一民族国家) 実際には、日本人の起源は単一ではなく、幾つかの民族が土着混血し、紛争はあったものの最終的に統一してできた民族だろう。

例えば、最近読み始めた幕末期の英国の外交官、アーネスト・サトウの本「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫)に、簡単な日本の歴史が書かれている。それによると、他国から侵入者がやってきて、小種族と融合し、外見上一民族を形成するに至ったと書かれている(補足1)。この様な記述は、日本の歴史教科書にはない。

侵入者の詳細はかかれていないが、主に倭国だろう。そのほかにも幾つかの侵入者が日本列島に来ただろう。その一つの根拠であるが、伊勢神宮、出雲大社、諏訪大社、さらに特に北陸地方に多い白山(しらやま)神社など、多くの神社が単一の系統では理解し難い状態で存在することである。そして、伊勢神宮が別格の神社となったのは、アマテラスの子孫が日本を統一したことを示しているだろう。http://diamond.jp/articles/-/47553?page=1

出雲大社に年に一度、日本全国の神があつまるという伝説は、出雲大社の神(オオクニヌシ)は倭国にとっては先住民(といっても侵入者)の神であることを示しているのではないだろうか。岡谷公二著の「神社の起源と古代朝鮮」によると北陸や近江の神社は、新羅から来たと書かれている。また、鳥越憲三郎著の「古代朝鮮と倭族」では、倭族の起源を中国雲南省付近としている。さらに、日本の古代の支配者は、百済に近かったのは、白村江の戦いで明らかである。因みに、倭はヤマトとも読み、三重県に今でも地名として倭(やまと)が存在する。https://ja.wikipedia.org/wiki/倭村_(三重県)

2)歴史を事実がつながった物語とするなら、日本民族の起源を知る上で上記の様な考察は重要だが、日本国民の一致団結の上で障害になるため、教科書には書かれて来なかったのではないだろうか。

つまり、縄文人と弥生人という区分けと先住民と倭民族という区分けを同一とするのは単純かもしれないのだ。上に書いた様に、弥生人の中にも幾つかの部族や種族がいただろう。そして、蝦夷や熊襲も縄文人の子孫かもしれないし、弥生人の血も含まれているかもしれない。

上記アーネスト・サトウの本に、この国の東部と南部に住んでいた蛮族と支配民族との間に、戦いが絶えず行われたが、この不断の戦争によって武士階級ができ、従来の文官政治が武家政治に制圧されたと書いてある。坂上田村麻呂が登場したのは9世紀から10世紀であり、この記述の支配民族は既に起源が複数の民族に亘っていると思われる。

  日本の歴史には、この戦いについては極めて僅かしか書かれていない。その蝦夷や熊襲の子孫が現在どの程度いるのかについてもほとんど書かれていない。これらのことは、現在支配的な位置にある上記多民族集合体にとって都合が悪いのだろう。その集合体の中に、含まれるのかどうかもわからない人が大勢この国にいるだろう。

現在中国や韓国が問題視している日本との歴史問題について、日本側の視点に立って、中国や韓国による“歴史の歪曲してまで日本を攻撃する姿勢”を非難している。しかし、一抹の不安が常にこころの隅に残る。何故なら、上記の様に“日本製の歴史”の中にも歪曲的なものが多くあるからである。

補足:
1)正当な歴史書でないアーネスト・サトウの本を引用するのは、第一に筆者が素人だからである。更に、日本の外から見た日本の歴史に関する普通の理解を得るには便利だからである。