2016年1月5日火曜日

山崎豊子著「大地の子」の感想

山崎豊子著「大地の子」を読んだ。満州開拓団として海を渡ったある一家の内、南下してくるソ連兵の銃弾や銃剣から生き残った幼い兄妹二人のその後の半生を描いた、文庫本4冊の大河ドラマ風小説である。冒頭に、「この作品は、多数の関係者を取材し、小説的に構成したもので、登場する人物、関係機関なども、すべて事実に基づいて再構成したフィクションである」と書かれている。

主人公陸一心(日本名、松本勝男)は、日本の中国残留孤児(小日本鬼子)という負の遺産に起因する、壮絶な個人と国家による虐待を受ける一方、高い能力と幸運、それに人間的魅力による多くの個人(男性&女性)による援護を受けて、最終的には養父(陸徳志)にも実の父(松本耕次)にも、認められるような実りある人生を築いた。その人生には、普通の人の数倍の悲しみや迷いと、同じく数倍の喜びと決断を伴っただろうと思う。

「大地の子」は人間に起こりうる様々な境遇と、それに応じて人間が性質においては野獣から天使の範囲で、大きさにおいては小鳥から象或いはその数十倍にまで変化しうることを、大きな画面で拡大して見せてくれるような小説であると思う。それと同時に国家とそれを動かす人間、それに扇動或いは虐待される民衆をリアルに描いており、我々一般民が国家とはなにかを考える上でも良い材料になると思う。

主人公の陸一心は最後まで等身大の善意の人間として振る舞うが、それは上記の様々な人間たちを測るスケールにもなり得るように描かれている。

以下に簡単に小説の粗筋を書く。

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主人公は7歳の時に、終戦後中ソ国境から南下してきたソ連兵の銃剣から逃れるべく重なった死体の間に身を隠す。幼子を抱いた母や祖父が死に、生き残ったのは一心と妹あつ子のみであった。父は満州から召集されて九州にいたので生き別れとなったのである。

農夫に拾われた一心は、そこで牛馬のようにこき使われる。その苛酷な使役から自力で逃れ、途中で別の中国人に捕まり売られるが、温情ある養父に拾われる。貧しい中で大連の工業大学まで卒業させてもらい技師(北京鋼鉄公司)として職を得るが、文化大革命(補足1)の時代になり、運命が暗転する。

狂ったような自己保全の空気に支配された群衆によって、主に知識人や地位の高い人間が走資派として、冤罪をでっち上げられる。陸一心は、日本孤児であるという出自も関係して、凄まじいほどの虐待の末に、懲役刑を受け労働改造所(内蒙古)に送られる。文革が終了したあと日本語に関する知識も買われて、日本と中国の合同プロジェクトである上海での大型製鉄所の建設に関わり、中国側の利益のために能力を発揮するが、その日本側の現地代表が実の父松本耕次である。父とは知らないで数年間、主人公はタフな交渉相手となって中国のために尽くすことになる。

そのころ中国残留孤児の調査が日本から度々派遣され、松本耕次も参加して子供たちを探す。陸一心は実父松本耕次よりも先に、既に重病を抱えた妹あつ子の所在を突き止め、その病気の治療に尽くすが、その甲斐なくあつ子は死の床につく(補足2)。松本耕次もようやく娘の所在を突き止めて、そこで陸一心を名乗っていた息子の勝男と再会する。

父子ともに数十年の空いた時間を埋め合わせる事が容易でないが、わだかまりはそれぞれの事情を知るにつれて徐々に消えていく。日本へ出張することになった陸一心は、僅かな空いた時間を利用して実家に父を訪問し、母の位牌や妹の遺髪が置かれた仏壇に手を合わすことになる。

その後、実父は養父と面会して、息子が裸にされて売りに出されていた様子や、長春から解放区へ出る際に残留孤児ではないかと疑われた話、共産党青年部に入部する際の話などを聞いて、再会するまでの息子の歩んだ厳しい道と、実子以上の愛情で接してくれた養父母との関係を知るようになる。二人がその建設に力を尽くした製鉄所の火入れも終わり、松本耕次と陸一心の父と子は、長江三峡下りの船旅にでる。そこで、実父は一心に日本に来て一緒に暮らさないかと言い、息子もこころが動くが、やはり自分は「大地の子」だと言って話は終わる。
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中国は広い、そしてそこに住む人々の心も暮らしぶりも、広い範囲に亘っている。大家族というネットワークもその一つだが、生き残るにはできるだけ多くの味方を作りそのコネ(ネットワーク)を総動員しなければならない。法もルールも道徳も(補足3)、場合によっては無力であることを、大衆の隅々までもが知っている国であると思う。

大きな国では、その政治の波もまた大きい。大躍進運動や文化大革命の他にも、鄧小平が華国鋒を失脚させる手段に、この上海での日中合同プロジェクトが利用され、そのため工事が一時中断することになる。登場人物は仮名だが、容易に実在名がわかるので、文化大革命以後の中国の政治の動きと社会の様子の相関を感じる上でも、有用な小説だと思う。

ただ、実際の出来事に基づいているとは言え、多くの事実を再構成する段階で、多くの人生が一つの人生に重ねて作り換えられているのではないかという疑いを持ってしまう。つまり、これほどドラマチックな人生を陸一心という人ひとりが経験しただろうかという疑問である。

補足:
1)大躍進運動という誤った経済政策で、一時政権から遠ざかっていた毛沢東が、権力奪還のために始めた運動である。文化大革命と言うものの、文化にも革命にも無関係な毛沢東の権力奪還の運動である。(その時期の中国の様子については、ユン・チャンのワイルドスワン(wild swans)参照)
2)妹のあつ子の人生は本当に凄まじいものであった。一心の人生も悲惨な時期の体験は凄まじいものであり、感想文などでは書けない。
3)法に道徳、その他のルールは、平和な時代の豊かな人たちのものである。

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