2016年7月23日土曜日

百田尚樹著「永遠のゼロ」の感想(2)

1)百田尚樹氏の小説「永遠のゼロ」を読んだ。文庫本でも500ページを超える本は、読むのが大変だが、ドラマティックな話の展開は最後まで読者を飽きさせない。既に、戦争の進行をミクロにみる貴重な視点をあたえてくれるという感想は書いた。(7月19日のブログ記事) 今回はそのストーリーについて感想を書く。

祖父(大石賢一郎)とは血のつながりがないこと、実の祖父(宮部久蔵)が特攻で死んだことを知り、祖父の足跡を孫の姉と弟が探る。戦場を共にした生き残りの元兵士を探し出し、話を聞くことで祖父の足跡とともに日本の戦争について理解を深めていく。その中で、二人も独立した視点で自分の人生の方向を見出していく。この小説のテーマは、個の自立していない(空気の支配する)日本の、しかも、戦争の時代にあって、最後まで個人として独自の視点を持ち続けた、スーパーマンとでも形容すべき宮部久蔵の逞しく、しかし、悲しい結末に終わった生き方である。

実の祖父宮部は、ゼロ戦に搭乗して戦う戦闘機乗りであった。日米開戦のあと、日本軍は真珠湾やマレー沖での戦いでは一応勝利するものの、ミッドウエー海戦からは形勢が逆転した。ニューブリテン島のラバウルからガダルカナルへ出撃するも、陸軍を応援できず大敗する(補足1)。日本軍が支配する境界は、サイパンからレイテ島へと北へ追い上げられる。祖父は最後の沖縄戦まで生き残るが、そこで特攻の一員となり、ポツダム宣言受諾の数日前に米国の艦船に上空から垂直に近い角度で自爆攻撃をかけ死亡する。

聞き取りを進めて行くうちに、祖父は天才的な技術でゼロ戦を乗りこなす能力を持ち、女房とその子供の写真を胸に入れ、絶望的な戦場にありながら生還することを目標に命を大切にするパイロットだったことを知る。そして、自分の部下や航空学校の教え子にも、命を最後まで大切にすることを教える。その姿勢は、戦闘機乗りは命を落とすことを恐れては仕事にならないと教育されてきた一般の戦闘員から見て、特異であった。そのため人によっては宮部を臆病者と決めつけたりするが、別の人はその優秀な搭乗技術と実績から、勇敢で優秀な戦闘員と評価した。

この小説は素直に著者のプロットに付いていけば、感動して泣ける作品である。しかし、その感動の話の感想文を書こうと思ってもどうしても書けなかった。その理由はどうも、現実性に欠ける話の筋について行けなかったことの様である。例えば最後の重要な場面にも私は付いていけなかった:
宮部は多くの死を見て、自分だけが生き残ることへの罪悪感をもったのか、沖縄戦で特攻に出ることになった。そこで、飛行学校の教え子である大石賢一郎(姉弟の養祖父)に戦闘機を交換する形で命を譲る。自分の戦闘機のエンジンの調子が悪いと見抜き、それに乗った大石が特別攻撃出来ずに鬼界ヶ島に不時着して生還することを見越していたのである。その飛行機内に、家族を頼むと遺志を記した紙片を残していた。(補足2)

更に、これらの話の筋に矛盾を感じさせないように、多くの話が挿入されている。出発前のエンジン音から正しく飛行機の状態を予測する能力を宮部は持っていることになっているので、その戦闘機の状態を知る高い能力に関して、元整備兵を登場させ証言させている。また、大石賢一郎と祖母との再婚も奇跡的だが、それについては、暴力団風の元兵士景浦を登場させている。景浦は、宮部の妻を囲っていた暴力団組長を刺し殺して救うのである。景浦は、宮部の戦友が彼の妻を救うというのが、戦友として不自然ではないとの印象を読者に与える役割を果たしている。

日本帝国海軍航空隊の戦いぶりについての詳細で具体的な記述は勉強になったが(補足3)、祖父宮部とその家族、戦争を供に戦った人たちの物語は、大衆娯楽的である。

2)兵士の扱いについて、日米の間で大差があったという話は本当だろう。例えば、米国では戦闘機の搭乗員は一定期間で退役するという制度がとられていたという。また、米国は搭乗員の命を大切にし、撃墜されても救助する体制がとられていたため、生存者の中に撃墜された体験を持つ人が多かったという。一方日本では、退役制度がなく救援体制もあまりとられていないので、撃墜されたら死を意味する。また、ゼロ戦は搭乗員を銃弾から守ることを無視し、軽量で航続距離を長くするように設計されていた。

日本では、「戦闘員は国を守るために愛国心を持って戦え」と教育しながら、その国は決して戦闘員や一般国民を愛してくれないのである。日本の敗戦、そして、戦後の日本政府への不信感の原因は、国は国民一般を愛してくれないというところにある。兵士を消耗品のように扱ったことは、その証拠である。日本国は、昔も今も国家を牛耳る上層部のためにあり、一般国民のためにあるのではない。 真珠湾攻撃から始まったすべての対米戦闘において、出撃毎に多くの未帰還の戦闘機が出た。退役制度のない戦闘機乗りの運命は、何れ撃墜されて死ぬことであった。従って、戦場においては、集団で死を恐れる感覚が麻痺する世界を作り上げ、その中で生きるのである。二人目の証言者伊藤寛次が祖父宮部について語る場面がある。そこで、「死を怖れる感覚では生きていけない世界だったが、宮部は死を怖れた。戦争の中にあって、日常の世界を生きていた。何故、その感覚を持てたのでしょう」

祖父宮部の様な生き方は、いくつかの極端な条件が重なって初めて実現するだろう。家族に対する強い愛情、強い意志、そして戦闘機乗りとしての完全な自信である。その物語の設定には、すでに述べたようについていけない読者が多いだろう。ほとんどの兵士は宮部のように超絶技巧を持つ飛行機乗りではないし、鉄の意志を持つわけでもないのだから。素晴らしいドラマではあるが、こどものころ熱狂したスーパーマンのようなドラマであった。

補足:
1)ガダルカナルの戦闘は1943年2月に終わる。海軍は艦艇24、航空機839、搭乗員2362人の被害であった。一方、陸軍は合計20000人の死者を出すが、そのうち15000人は餓死者であった。
2)その最後の場面で、かつて宮部の命を救った大石(養祖父)が特攻機に搭乗し、更に、宮部の戦闘機乗りの腕前に挑戦し続けた景浦(戦後、宮部の妻を救うことになる)が直掩機に搭乗するという形で、同じ特攻隊に参加するのは、奇跡的である。
3)特攻隊員やその家族の思いを考える上で非常に参考になると思う。また、戦場での兵士たちの心理を知る上でも非常に参考になる本だと思う。ただ、歴史書として読むのには無理がある。例えば、特攻隊の攻撃について、この本ではあまり効果がなく無駄死に等しいという記述がなされている。しかし、実際には非常に効果があったという統計がある。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A

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