2016年11月4日金曜日

生物というものは厄介なものである

生物というのは厄介なものである。放っておけば際限なく増えて、互いに戦いを始める。そこで弱いものは駆逐され、強いものがのさばる。これは10坪ほどの自宅の空地(人は庭というかもしれない)を管理する自分の確信に近い感想である。

10㎡ほどの芝生は、雑草とミミズのせいで荒れてしまう。ミミズは芝生の中に土を盛り作り、土をアルカリ性にして芝生を枯らす。そこで、時々椿油粕を撒いて、その上に散水して泡立てる。界面活性作用か何かで苦しくなったミミズが這い出してきたところをピンセットで摘まみ上げる。今日も100匹を超えるミミズを”駆除”してその作業を終えた。 

しかし、半年ほどすれば同じようにミミズが繁殖するだろう。また、芝生には雑草が絶えず紛れ込み、ちょっと湿り気のあるところはほぼ完全に別の草に支配された。その代わり芝生は、長い茎のようなものを伸ばして、新天地を探す。それはこちらが困るので刈り取る。 

玄関の樫の木は、常に垂直方向に新芽を伸ばして、人間の目で見ればみっともない姿になるので、それを年に数回刈り取る。また、春に黄色に美しい花をつけるモッコウバラは、凄まじい勢いで枝を伸ばす。公道であれ他人の敷地であれ、空いた空間があればそこに新しい折れやすい枝を伸ばす。それも年に二、三度刈り取る。 

一昨年植えた柚子の木の若葉は、ほとんどアゲハの幼虫に食べられてしまう。春にはアゲハの幼虫と産み付けられた卵をピンセットで取り除くが、それでも緑色の保護色を持った大きな幼虫はどこかに隠れている。アゲハチョウと知ったのは、知恵袋に写真を掲載して教えてもらった結果である。アゲハ蝶を退治しているといえば、蝶よ花よと愛でる人はなんというだろうか?

「最初に強いものがのさばる」と書いたが、ミミズや樫の木など庭の生物たちにもし意識があれば、厄介な人間を見て同じ感想を漏らすだろう。


借り揃えられたサツキの中から顔を出した戸惑っているトカゲ君

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