2016年11月7日月曜日

日本国は法治国家と言われるが、その核心は徳治国家である=正常な国際関係を築く上での本質的障壁について=

1)過去の話:

今年3月1日のブログにケントギルバート氏の「日本は連合国に無条件降伏なんかしていない」というコメントに対して、違和感があると書いた。(補足1) http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42680321.html

国体護持つまり天皇制の維持に日本政府は拘ったが、それは米国により明確に拒絶された。つまり、日本側から条件をつけた降伏ではなかった。そのため、御前会議で降伏を決断できなかった国家の重鎮たちは、天皇に決断を丸投げした。(補足2)

通常御前会議においては、天皇は責任が及ばない様に臨席するのみで発言しなかった。しかし、大日本帝国憲法では、宣戦布告や講和は天皇の大権であった(大日本帝国憲法13条)。昭和天皇は憲法13条の記載通りに終戦の決断をしたにも拘らず、普通の歴史の講義や講演では、御前会議での天皇の決断を異常な事態と解説するのが常である。

天皇は大日本帝国憲法下では、上記宣戦布告や講和の権利のほか、陸海軍を統帥する権利も持っていた。しかし、実際の国家運営は重鎮達が行なっており、軍の指揮は軍令部や参謀本部が行った。その重鎮達一部は、独善的に動いた。つまり、形式的には西欧の法治国家であったが、人治国家的にモディファイ(修飾)されていたと思う。

2)戦後及び現在の話:

今でも同じであるが、日本国において法律や憲法の持つ意味は西欧とは大きく異なると思う。つまりそれらは、高邁な目標を記した計画書や理想を掲げた看板の性格を持っている。法は屡々無視されて、政治は躊躇いながら軌道修正を行う。計画或いは理想通りに事が運ばなくても、それを批判するのは了見が狭いと言われる。それが、日本では昭和の失敗(日米開戦と敗戦)の責任が追求されない理由である。

あれだけの戦争による惨禍を経験しながら、日本国憲法は第日本帝国憲法が記載する手続きで改正され、政治的な連続性が確保されたのは何故なのか? それは、日本国は人治国家であり法治国家ではないからだと思う。つまり、「敗戦したけれども皆必死に国家の為に頑張った」という言葉で法的責任論などは吹っ飛んでしまったのである。それがまた、虚しい理想を掲げた全文を持ち、現在の軍備の状況と完全に矛盾した憲法を、70年間改正に踏み切らない理由であると思う。

最近のことであるが、所謂“生前退位”の意向が天皇陛下からオブラートに包んだように出され、実際に政治にそれに沿って動いている。宮内庁や内閣の失敗により、天皇が政治に関与できることを明確に示してしまった。この憲法違反になってしまったことの責任を、行政府に問わないのも同じ理由による。

宮内庁長官は天皇の意思をNHKが報じたにも拘らず、その様な話はないと否定した。しかし、今では何事も異常なことなど起こらなかったかの様に静かに譲位の手続きが進んでいる。本来なら宮内庁から内閣に持ち込み、話が具体化するのが筋であった。それを宮内庁はサボっていたのだと私は思う。天皇による憲法違反はあり得ない。それは、天皇は元々憲法に縛られる存在ではないからである(補足4)。

またこれも最近のことであるが、「集団的自衛権行使は憲法違反かどうか」などという、ほとんどお笑いの世界のような議論(補足3)が行われた。このようなことは、西欧の言葉と常識では形容できないだろう。何故なら、憲法無視は自衛隊を持ったところで始まっているからである。

日本国は、明治以降西欧の民主主義と法治主義を模倣しているが、日本の文化と西欧のこれらの“主義”は水と油のように異質である。西欧は言葉とそれを用いた約束(=契約)に重い地位を与えているが、日本は言葉ではなく“徳”に重い地位を置いている。その結果、西欧は人間と人間の関係、そしてその延長である国家と国家の関係を、ゼロベースで考えるが、日本は“善意”を当然の前提としてそれらを考えている。

それは日本外交、西欧的な基準での正常な国際関係の構築に大きな障壁となっているのではないだろうか。

(これは素人によるメモです。しかし、コメントがあれば是非お願いします。)

補足:

1)ケント氏は日本国民を惑わす米国人だと思って、その時の記事である。最近も、日本語が英語に比べて優れているといっている。https://www.youtube.com/watch?v=gesuqeBtJ2w 日本で職を得るために日本を褒め上がるのは有効だが、それに惑わされている日本人が多い。この人のあげた日本語の優れた点はすべて、日本語の欠点とも言える。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41614431.html

2)通常は天皇に責任が及ばない様に臨席するのみであった。しかし、大日本帝国憲法には軍隊を統帥するほか、宣戦布告や講和は天皇の大権であった。昭和天皇は憲法13条の記載通りに終戦の決断をしたにも拘らず、普通の歴史の講義や講演では、御前会議での天皇の決断を異常な事態と解説するのが常である。君主が絶対的権利を持つという憲法を持つが、それは絵に描いた餅であり、陸海軍は通常天皇の意思とは無関係に動いていたと、私は理解している。

3)憲法9条は明確に戦争と軍備を否定している。第一項に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあるが、「自衛の戦争は否定していない」という解釈が国会議員や政府要人などの意見である。自衛権の行使、つまり自衛隊による反撃は、武力の行使であることは明白である。第二項はいうまでもなく自衛隊、英語でself-defense forces、は憲法が禁じた軍隊である。「集団的自衛権の行使は、違憲であるかどうか」という議論が国会でなされていることを、西欧の方々は笑わないで聞くことができるのだろうか。

4)天皇は(国)民ではないからである。天皇の国事行為は憲法に記載されているが、それは天皇の義務ではないだろう。この辺りは、憲法学者に聞きたいところではある。あるテレビ番組で、明治天皇の玄孫であり憲法に詳しい竹田恒泰氏が、天皇が国会召集をしないことだってあり得るという発言をしたと記憶している。それは天皇制を擁護する立場の竹田氏の発言であるから、宮内庁は天皇のお考えを十分吸い上げる役割を果たさなければならないという意味であると思う。このあたりの話は難解である。

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