2016年12月3日土曜日

歌謡曲の詩と日本に残る封建的精神

1)今朝の阿川佐和子さんのトーク番組のゲストは梅沢富美男さんだった。そこで、梅沢さんの好きな曲として紹介されたのが、小椋佳の作詞作曲の「少しは私に愛を下さい」だった。https://www.youtube.com/watch?v=p5vsCdyaIII その歌(詩)が興味深く、ここで私の感想とともに紹介したい。

少しは私に愛をください。全てをあなたに捧げた私だもの。
一度も咲かずに散ってゆきそうなバラが鏡に写っているわ。少しは私に愛をください。
たまには手紙を書いてください。いつでもあなたを想う私だもの。
あなたの心のほんの片隅に私の名前を残して欲しいの。たまには手紙を書いてください。
みぞれの捨て犬、抱いて育てた優しいあなたを、想い出しているの。
少しは私に愛をください。

上記youtubeのサイトでは、小椋佳のほかに来生たかおと井上陽水が歌っている。女性が独立した人格を持たないほどの男女の従属関係を悲しく歌っている。この歌だけでなく、同種の歌詞は人気ある歌謡曲として多く存在している。例えば、都はるみの歌ったヒット曲「北の宿から」でも、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」でも、心が移った男性と従順にもそのあとを追う女の心が歌われている。そのような関係に対して両性に一定の理解がなければ、この歌詞は人気の出る歌として成立しない。女性が心底嫌うのなら、これらの曲はヒット曲とはならなかっただろう。(補足1)

2)ブレジンスキーの本に「ひ弱な花」がある。その中で、日本に残る封建的人間関係を論じている。そして、仕事場での人間関係を見て「既成の権威に対する服従がかなり徹底しており、高度な階層的秩序が広く容認されている」と指摘している。外国人には特徴的に見えることでも、当の日本人には普通にしか見えないので、未だにその慣習というか文化に変化はない。

非常に極端な人間関係を歌った上記のいくつかの詩を、伝統的権威に対する従順な日本人の姿を描いていると見るのはおそらく正しいだろう。上記の歌は、それを男女間のものとして歌ったものであるが、その精神は主従の関係にどっぷりと浸かる日本的人間関係のものである。

一例として、非常に閉鎖的な日本の労働市場を考えて見る。その根本に、「忠臣は二君に仕えず」という封建思想の変形された集団心理が存在していると考える。そして、学校(大学)を卒業後に入社した学生は、終身雇用の制度によって、会社との間に擬似的な主従関係を築くのである。その労使の関係が崩れつつあるが、依然としてそれ以外の労使関係としては、最も原始的なものしか存在しない。

このような労使関係での賃金は、成果とその報酬という関係で決まらない。その代わり、労働者は年齢とともに変化する生活経費を雇用者から受けるのである。つまり、年功序列とは主従関係の賃金体系であり、決して近代的な労使関係のそれではない。

補足:
1)女性が心底嫌うのなら、男性もそのような関係は好ましくないと考えるはずである。一般に男女の関係は、グループが生き残るプロセスの中で、仕事の分担と同時にできたと考えられる。たんなる好き嫌いの問題ではなかった筈である。

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