2016年12月6日火曜日

安倍総理の真珠湾訪問を支持する

1)安倍総理は、12月26,27日に真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する式典に、日本の総理大臣で初めて出席することになった。これは新しい時代には、歴史に区切りをつけて新しい外交をおこなうという知恵を、改めて世界に示す(補足1)ことになると思う。

真珠湾攻撃についてはいろんな歴史的解析が存在するが、それは歴史学の問題であり、現在の政治の問題にしてはならないと思う。米国には奇襲攻撃されたという言い分があり、日本には、米国の制裁に耐えかねて先制攻撃をせざるを得なかったとか、米国は無線を傍受して正確に日本の攻撃を予め知っていたとか、の歴史家の分析がある。しかし、それは講和条約という形で、互いに乗り越えた筈の過去である。

今回の安倍総理の知恵ある決断は現実的なものであり、理想主義的な勢力(原理主義者)からは非難を受ける可能性がある。理想主義者というのは、人間の知恵や能力の限界とか複雑な世界の中に生きている現実などを十分考慮せず、言語に用意された論理とそれによる思考で”正しい方法”を導き出せば、全て解決できる筈であるし、されねばならないと信仰する勢力である。

日中国交回復の際に、周恩来が田中角栄に贈った色紙の文章は、「言必信、行必果、脛脛然小人也」(論語、子路編)の最初の6文字であった。この由来から、周恩来は日本をそして田中角栄の外交をどう見ていたかが理解できると以前のブログで書いた。それは、鬼塚英昭という人の書いた「田中角栄こそが対中国売国者である」(成甲書房、2016/3)という本から学んだこと(あるいは受け売り)である。

上記子路編の言葉は、孟子の中の文章「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉と対をなしている。その訳は、「大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすだけである」である。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42762695.html(今年4月24日のブログ)

安倍総理は、日本国民に対する義を果たすことが大人(たいじん)のなすべきことであり、それは現在と未来の日本の国民に、安全と繁栄をもたらすことであると思っておられる筈である。一旦政治的に乗り越えた筈の歴史に、政治の舞台で拘泥するのは愚かである。今我々のもつ歴史書は真実を抽出して体系化したものであると、信頼を置くのは士(学者)のやることであり、大人のすることではない。

2)トランプ氏が次期大統領になって、日露交渉におけるロシアのプーチン大統領の態度が急変した。そのことについては、ウリュカエフ大臣の逮捕のニュースの翌日にブログに書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43056082.html

その後、徐々に日露の交渉が暗礁に乗り上げる可能性が高いとか、二島返還も実現しないだろうという分析がなされるようになった。こちらの方は歴史を乗り越えていないので、過去の歴史を振り返り日本の言い分を交渉に反映させるべきだと思う。

この件、日本の世論を引っ張っている新聞などは、二島とか四島とかいう問題をあまりにも重視しすぎである。これは、大国である米国、中国、ロシアの三国の間に挟まれて、非核保有国である日本の将来の生きる空間を如何に確保するかを、第一に考えて交渉に臨むべきことなのである。日露問題は、日中問題であり、日米問題でもあるのだ。

政府筋は否定するのが当然であるが、今回の安倍総理の真珠湾での慰霊祭への参加決断は、この日露交渉の難航を予想したことも一つの大きな動機だと思う。また、次期大統領のトランプ氏と会談を早々と行うなど、オバマ大統領にとっては決して愉快なことではなかった筈である。その気持ちを払拭する意味や、オバマ大統領の広島訪問に対する返礼の意味も込めて、もうすぐ退任されるオバマ大統領への表敬が最大の動機だと思う。非常に優れた決断だと思う。

補足:
1)書くまでもないが、過去の歴史を歪曲した上で、対日本外交に利用している韓国、朝鮮、中国に対して、”歴史と正しく向き合うこと”とはどういうことかを教えることになると思う。

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