2017年5月23日火曜日

慰安婦は残虐な性奴隷であったと、平和時に欧米が日本批難する資格を持つのか?1)

1)現在何人かと幾つかのサイトで、日本軍の慰安婦問題に関して議論している。その中には、日本軍が韓国など旧植民地の女性を性奴隷にしたと批難される方もいるし、比較的日本軍に”甘い人”もいる。客観的に記述すると、先刻投稿した米国政府の「Nazi War Crimes andJapanese Imperial Government Records Interagency Working Group」報告にあるように、強制売春でありどの程度の強制や残虐性があるかについては、未だ未解明であるということになるのだろう。

私は、慰安婦の制度にたいして、少数の元慰安婦の方の証言を信用して、性奴隷というのが実態であると、旧日本軍の行為とそれを正しく謝罪しない日本政府の姿勢を激しく批判される方に対して、「自分を事件から全く離れた場所において、悪行をひはんするのは簡単です。」と批判的な意見を返したところ、以下の反論をもらった。「自分の信念(例えばクリスチャンとして)にもとづいて、悪行を批判するのは簡単なことでしょうか?悪行が批難されるのは当然である。そうでなければどうして社会に正義をもたらすのですか?」というものである。そこで、それに対する答えを対話風に以下記述する。

2)善と悪の問題ですが、その前に日本人の宗教について一言書きます。日本人は決して無宗教ではありません。日本人は人格神を信じていませんが、自然そのものを神として崇めています。それ(神道)には教義はありませんから、日本人は誤って無宗教と言ってしまう癖があります。むしろ神道は強く日本人の心に根付いているため、本人すら気がついて居ないのです。

原爆投下の件で米国をきつく追求しないのは、自分たちが下手なことをやってしまったのも原因の一つだと感じているからです。原爆資料館の碑文をご存知かと思います。そこには、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」と書かれています。つまり、頭の何処かに天罰的であると考えている部分があるのです。分かり易く言えば、碑文を書いた人にはそのような情況に追い込まれてしまったという感覚があるのです。それと同時に、同じ程度に米国の将軍は、そしてエノラ・ゲイの搭乗員は、原爆を落とす運命というか役回りになったのだと感じているのです。しかし、断定は出来ません。

どのような悪事についても、その原因を突き止めるように(突きとめられるように)問題を明確に立てて(単純にたてて)、その犯人として一人の名を上げるという、問題の単純化には、日本人は躊躇するのです。何故そう言えるか、それは戦争責任者たちも全て戦後国民の署名で名誉回復し、靖国神社に祀ったことでおわかりかと思います。(勿論、対米戦開戦時の首相の東条英機の人気は極めて低いですが)

この非論理的な対応が良いと言っているのではありません。それではこの厳しい国際社会を生き残れないでしょう。その理由ですが、日本人は個別の問題をその時の情況など全体の運動の結果のように捉えるからだと思います。つまり、西欧の方の正義とその実現という姿勢は極端に問題を単純化し、自分勝手に回答を出していると考えるのです。

自分の信念に基いて悪行を批判する能力があるのなら、何故米国のエノラ・ゲイの搭乗員は原爆投下を拒否しなかったのですか?米国の司令官はエノラゲイの搭乗員にそのような過酷な命令を出したのですか?それともジャップという猿を退治するだけだと割り切ったのでしょうか?それでも弱者や貧しいものを擁護するキリスト教徒でしょうか?

つまり、善と悪のラベルを個人の行動につけるのは、難しいというか困難である、或いは無慈悲であると考えます。キリスト教徒のように神の判断により善と悪が決定され、その悪を犯した人間の置かれた情況が如何なるものであっても、それとは無関係であると考えることは出来ません。否、多くのキリスト教徒も実はそうはしていません。キリスト教徒であれ何教徒であれ、悪を非難しますが、自分は悪を為す立場にならないように、或いは、悪を為したと避難されない立場になるように知恵を使っているに過ぎないと思います。

そのような情況に追い込まれた時、人はあたかもコンピュータが計算した通りのように、悪を行う場合が殆どです。それが「戦争犯罪者」の真の姿です。平和な日常では明るい優しいお父さんであり、お兄さんであった人が、あの情況下で戦争犯罪者になったのです。日本人は、そのような情況は、自然の流れというか運命によりもたらされると考える傾向があります。それが他の企みによるとは考えない傾向があります。原爆資料館の記念碑の碑文にある通りです。

本当は、自分がそのような情況に追い込まれる前に注意深く情況を把握し、悪に追い込まれる情況を他人に押し付ける人が、善人の顔をして生き残っている場合が多いのです。

3)「親鸞」を書いた五木寛之さんは、終戦後南進して暴虐の限りをつくすロシア軍兵士から逃れる為に朝鮮から日本に逃げ帰ります。五木さんは無事逃げ帰れたのですが、多くの人が強姦されたり殺されたりしましたし、生き残った人も大勢がシベリアに送られて死にました。

その際、情報を早く握った軍の幹部たちは素早く逃げていたのです。そして五木さんは結論します。悪人が生き残るのだと。

現在、日本はロシアと国後島や択捉島などの共同開発の話を初めています。熊のように日本女性を強姦し、多くの日本人男性を殺すかシベリアに送った人の国を相手にしての共同開発です。何故そのような話を進めるのか?そのロシア人たちも、平和な時には優しい面白い人達であることを我々は知っているのです。

あの悪行を批難する資格があると信じる人は、すれば良いでしょう。私は心の中では、そのような資格をこの地球上の人の殆どに与えません。「心の中」とか「殆ど」とかいう言葉を用いたのは、私にはそのように決めつける自信がないからです。

補足:
1) 欧米に居る人に、欧米の韓国人日本人2世も当然含まれます。

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