2019年2月11日月曜日

天皇制について

昨日午後の「そこまで言って委員会」で天皇制に関する議論があり、その一部を視聴した。天皇のあり方は憲法第1条に記述されているので、憲法問題として重要である。また、その話に入る前に、日本書紀に書かれている天皇家の神話時代からの由来や、天皇家と神道の関係に関する議論などもされていた。

出席者としてレギュラーの他に、宗教学の方から島田裕巳氏や逆説の日本史などの本で有名な井沢元彦氏らが参加していた。そこでの議論を少し引用しながら、天皇制と日本の明治以降の政治の関連、天皇制のあり方などについて私の考えを書く。コメントなどがいただければと思う。

1)神道と天皇家の関係:

天皇は、神道の行事をされるだけでも非常に多忙だと言われている。この神道は、伊勢神宮を頂点とする神道の一派である。私はこれを伊勢神道とよんでいる。何故なら、我々日本人のほとんど全員の心の中にある神道は、伊勢神道とは異なると思うからである。オリジナルな神道には経典はなく、社殿も元々ない。しかし、伊勢神道にはアマテラスの神話が用意されているし、社殿も偶像的なものも存在する。

オリジナルな神道における信仰心は、アマテラスを主神とする伊勢神道のそれとは違い、「大自然に対し畏怖の念をもつ」がその核心にあり、それのみである。従って、信仰の対象は人により様々である。太陽であったり、山であったり、滝であったり、或いは、大空であったりする。

この自然に対する畏怖の念は、自然がもたらす農作物を日本人が食するとき、「いただきます」という言葉となって現れる。また、日の出の太陽を見た時、ありがたいと思う。その古来日本人の信仰心を、アマテラス信仰と一緒にするのは間違いである。(補足1)

アマテラスは天皇家の祖先として日本書紀に登場する。それは天武天皇のときに編纂された歴史書であり、その時の体制の正統性を主張するために書かれた。つまり、漢の武帝の正統性を示す(主張する)ために書かかれた「史書」の日本版であると考えられる。天武天皇に至る皇統を、当時の主なる宗教であった神道に結びつけることは、その正統性主張の重要なポイントだったのだろう。

伊勢神道と日本国とを強く結びつけたのは、明治の革命政府である。その目的は国家神道、具体的には靖国神社を創建し、戦死者を受容する器とすることで、徴兵を容易にし、兵士を勇敢に戦わせるためである。現在の左派系の人たちは、その方針を個人の人権と自由を蔑ろにする卑劣な手法と考える人が多い。しかし、それは間違いだろう。

西欧では、日本の江戸時代に主権国家の時代(ウェストファリア体制)となり、更にフランス革命後には国民国家の時代が始まり、日本も同様の国家体制を急ぎ整える必要が生じた。日本が西欧の植民地となるのを避けるために行った、国家神道の創製とその利用は必要だったと評価されるだろう。何故なら、明治新政府は権威を天皇に頼り、兵士の士気高揚も天皇に頼らざるを得なかったからである。

倒幕の評価は別問題として議論する必要があると思うが、それを前提にすれば明治政府による国家神道の利用は、日本が生き残る上で必要だっただろう。(補足2)この点を国民が理解することなしに、日本が再び国家としての体裁を整えるのは困難だろう。つまり、江戸末期から昭和に亘る近代史の総括は、日本の緊急の課題である。

現在、その歴史を直視せず未だに伊勢神道と靖国神社の存在意義を、明治時代のように考えるのは時代錯誤だと思う。私は、靖国神社の建物などは国営墓地として改組すべきだと思う。日本国民なら、国の為に戦って死亡した人々に対する尊崇の念には、いささかも変化は無いはずである。

2)天皇の政治的位置について:

憲法第1条:天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

「国民統合の象徴」という表現は分かりにくいが、 要するに“日本国民は天皇を中心にまとまる”ということだろう。明治憲法ではその第1条で明確に、日本国(大日本帝国)は天皇が統治すると謳っているが、現在の憲法には天皇は国家元首であるという表現はない。

上記TV番組では、国家元首は天皇であるという考えが、「実質的に」或いは「諸外国はそのように考えている」という形容とともに語られていた。儀礼的な場面では、天皇は国家元首的な役割をしているように思う。しかし、それだけでは本当の意味での国家元首ではないだろう。

内閣総理大臣が国家元首であると考えると、国家元首が実質的に与党内で選ばれるということになるので、制度的に問題である。また、国権の最高機関と規定されている国会に指名されるので、国会の方が内閣総理大臣より上位の存在であり不自然である。国会の議決で最重要な決断をするのは良いが、それでは非常事態などには対応できない。

つまり、日本には明確な国家元首は居ないのである。この深刻な主権国家としての欠陥を本質論から論じないのは、誠に不思議である。日本は占領軍憲法により骨抜きにされたままなのである。

天皇の機能を具体的に考えてみる。戦前の大日本帝国憲法第55条では、国務大臣は「天皇を輔弼し、その責に任ず」とある。一方、第11条に「天皇は陸海軍を統帥(指揮監督)する」とある。それら2つの条文は整合性に欠ける。そのことが陸軍大臣の指揮を離れて陸軍が暴走する原因となったのは周知である。(補足3)明治憲法では、特に軍を指揮する場面において、権力の系統が不明確であった。

現在の憲法第3条には、「天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とする」と書かれている。これを誰でも理解出来るように説明すると、国事行為の脚本を内閣が書き、それを天皇が演じるということになる。天皇は国家元首を演じるだけであるから、現時点では内閣総理大臣が実質的或いは代行的な国家元首としての役割を果たすしかないと思う。

非常事態宣言を出さねばならないような時、日本国はどうなるのだろうか。憲法には非常事態宣言の規定がないのだから、勿論、そのような宣言をする国家元首の規定もない。このような権力の在り処がさっぱり分からない国では、主権国家とは言えない。憲法9条の改正だけでは、日本の憲法はまともなものにはならない。まともな国を目指すのなら、憲法は全面改訂或いは一旦破棄するしかないと思う。

日本の政治家は世襲の政治屋である。日本国民は、天皇という元首のような元首でないような分かりにくい存在をいただく無言の集団である。論理的思考になれた外国人には、不気味な存在だろう。外交的議論する以前に、既に述べたように近代史の総括と、それを基に日本国家のあり方そのものを議論するのが急務の筈である。

3)明治維新と天皇制の関連:

明治の時代に薩長の下級武士たちが新政府を作り、その要人となった。その権威に欠ける新政府が、天皇の地位を非常事態的に過度に利用して、戦時体制的な国家を作り上げた。(補足4)その国家の枠組みを、国難と言える情況を克服した段階で、平常時のものに改めるべきだった。

しかしその時既に、天皇の地位が明治の始めと異なり、絶大になっていたのである。それを示す大事件が、例えば226事件だったと思う。それを国家組織の欠陥と捉えた人は政府要人にも多かっただろう。しかし、天皇ご自身からの発案でなければ、畏れ多くて議論など出来なかったのだろう。

改革の必要性を、身を賭して天皇に具申できるような人物は、明治の初めのときならともかく、昭和の時代には居る筈はなかった。天皇直属の陸海軍を、天皇から切り離して内閣の下に置くことなど、天皇ご自身におかれても深い考察と強い決断の末でなければ出来ないだろう。

その天皇と内閣の関係の残渣が、現在の憲法にも存在している。憲法における日本国統合の象徴という規定である。憲法が占領軍の天下りだとしても、それでは大敗戦という犠牲を払いながら、何も学んでいないことになる。この日本国憲法の条文は「天皇は、唯物的に日本国を支えるのではないが、精神的な日本の中心である」と規定しているのである。(補足5)

それが日本を国際的に分かりにくい国にしている。天皇は日本国の故郷的存在だとしても、現在の日本国は都会に住んでいる。日本国は、40歳過ぎても故郷の親から仕送りを受けて都会で暮らす人に似ている。

補足:

1)私が理解する神道は、この大自然の中に生まれ育ったことに感謝し、起こること全てを大自然を司る神の意思と考える宗教である。しかし、その意思の在り処や法則性は人間の知るところではない。神への祈りも、祈れば成就するという確証など全く信じていないが、口に出すときは信じていると言うしかない。反対の事が起これば、神を畏れる気持ちを新たにするのみである。受け身の宗教だと思う。

2)幕末の孝徳天皇は、薩長勢力よりも徳川慶喜の幕府を能力ある政治組織と考えていた。その急死に疑問を持つ人は多い。

3)最高戦争指導会議は、首相、外相、陸海軍の大臣、陸海軍のトップ(参謀総長と軍令部総長)を構成員とした。しかし、その下に実際に軍を指揮する大本営が存在する訳ではない。

4)陸海軍とその兵士の士気を高めるため、両軍を天皇直属とし、皇軍とよんだ。戦死した兵士の霊は、靖国神社に神として祀られるという国家神道を作り上げた。

5)人の人たる所以は、物理的な(physical)人体にあるのではなく、精神にある。先に紹介した昨日のTV番組で、明治天皇の玄孫という武田恒泰氏が言ったことば「明治憲法の天皇に関する規定と、現在の憲法における規定に差は殆どないのです」が、何よりも明快に天皇の位置を語っている。しかし、日本人は歴史に学ばない国民ということになる。
ただ、この日本国における天皇の存在を薄める試みが、いままでに幾つかなされている。その一つは女系天皇容認論であり、最近の例では新入国管理法である。私はそれらよりも、天皇を江戸時代以前の姿に戻すのが、日本人の大人化に最も良い方法だと思う。そのような江戸時代への回帰は、天皇ご自身の発案がもっともスムースに行くと思う。前回の譲位の声明のときのように、憲法の規定など無視して発言されれば良いと思う。

2 件のコメント:

  1. 天皇制に関して
    1)神道と天皇
    新しい解釈で、勉強になります。
    神道に関して、皆賛同している訳ではないので、神道との一致、不一致は、あまり問題ではないと思いました。個人的には、天皇がユダヤ教でも、天皇制の是非には関係ないと思いました。
    天皇制がユダヤ教でも、それが、古くから日本にあることに、多くの方は、敬意を表していると思います。

    2)
    全く同感です

    3)
    1)と同じです。

    個人的には、次のようにしていただきたいです。

    ・天皇家のコストを国家負担ではなく、天皇家を支えたい人が、支える。
    ・公務を依頼する場合、外務省から支払いし、労働いただきたい。
    ・元号は、国では、採用しない
    ・運営されている赤十字から、税金を徴収する。

    女系天皇をされるも、されないも、天皇家を信奉される方々でお決めいただけばよい。その代わり、その方々で維持されれば、誰も文句は出ません。宗教的にどうであるや、歴史的経緯も、支える方々以外、関係ないので、好きに定義いただいて構いません。なので、1)3)はどのような答えでも、政治の関与と税金の使用をやめていただければ、いいと思います。

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  2. もし、元号など、公的なものとして使用したいなら、民主主義なので、公募し、投票すれば良いです。
    ただ、そうした場合、天皇を重んじる方々の意図と反するであろうことから、国とは関係なく、進めることが、皆にとって、公平で、満足する結果になります。

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