2019年2月23日土曜日

北朝鮮の拉致問題とIS拉致殺害事件の類似点

以下は、youtube上の西岡力氏の北朝鮮問題に関する意見に対するコメントと、その問題に対する筆者の考えである。https://www.youtube.com/watch?v=j6bx4tabJfc 西岡力氏は、北朝鮮や韓国と我が国との政治問題について非常に詳細な知識をもち、日本のために活発に活動されている。しかし、北朝鮮に対して今後我が国が取るべき方針として、上記動画でなされた発言は、誤解を招く内容なのでコメントをする。

1)西岡氏が主張する、北朝鮮への経済協力と引き換えに拉致被害者を取り戻すという考えは、筋違いであると指摘したい。国交のない北朝鮮により行われた拉致は、戦争行為或いはテロ行為と見なされる。それへの対応が、結果として北朝鮮の経済的利益になってはならない。つまり、その被害者を取り返すためにすべきは、軍事的圧力を含めた外交的圧力である。そのための軍事力が不足しているのなら、日本は核武装を含めた軍備増強を先ずすべきである。

  それが出来れば良いが、出来るわけがないという反論は当然予想される。しかし、その意見を国内的に主張し、且つ、国際社会に公表することなしに、次の段階に移るのは邪道である。外交は国民のためのものであり、国民に考えるべき課題を提供すること無しに、次の手段に映るのは、間接民主主義においても政府の越権的行為である。

自国民を拉致されたのは、日本政府が十分な国境警備を怠ったのが原因であり、第一の責任は日本政府にある。拉致された段階では、その被害者は戦災での死者と同様である。その原理的理解が日本には全く欠けている。

以前にも書いたが、国際関係、特に国交のない国との関係は、野生の関係である。北朝鮮による日本人拉致は、山から熊が現れて人を連れ去ったのと同じである。それを熊の犯罪だとか、悪だとは言わない。何故なら、熊は日本国の法を守るべき存在ではないからである。善悪は社会において存在し、社会の外に善悪など存在しない。

  日本国家の枠外にある存在にたいして、経済協力などを絡めて何かを取り戻す類の処理は、将来別の被害を発生する可能性がある。 

この北朝鮮による拉致事件は、その本質において、ダッカでの日航機ハイジャック事件やイスラム一派による日本人拉致事件と似ている。ダッカ事件は日本人過激派による行為だが、それも法で裁くべき犯罪と見るのは間違いであり、テロリズムと考えるべきである。(補足1)  2)ダッカ事件では、時の首相福田赳夫が、「一人の生命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび「超法規的措置」として、収監メンバーなどの引き渡しを行うことを決めた。この処理は国際的に非難されたが、その結果、同様の人質解放を諸外国も採用した。後者の金による人質奪還は、福田の問題処理の結果起こったと考えられなくもない。つまり、経済的利益を目論むテロリズムという武器を、福田は世界のテロリストに与えた可能性が高い。

  北朝鮮の問題では、日本人拉致というテロリズムを経済支援で解決することは、北朝鮮による今後の拉致や核開発を奨励することになる。それは、将来日本に数十万人或いはそれ以上の被害者を出す可能性すらある。

  日本政府は、テロリズムの被害者を救出するための、経済的対価を支払う以外の一貫したプロセスを確立すべきである。最近の例では、何故、後藤健二さんが殺害され、安田純平さんが解放されたのか?日本政府の対応には、疑問が残るのではないだろうか。

  後藤健二さんのケースでは約20億円の身代金が要求されていた。問題解決が長引く間に、安倍総理がISILと戦う周辺諸国に経済支援を呼びかけた。その結果、ISIL側の反発を買い、身代金も約200億円に上がり、後藤さんは最終的に殺害された。 

一方、安田さんのケースでは、16億円程の身代金を要求していたという。日本政府は支払を否定したが、おそらく、何処か別の国が交渉して支払い、その国に対して日本政府が別の名目で支払ったのだろう。その結果、安田さんは開放された。 

後藤さんの遺族の声はマスコミには流れていない。しかし、激しい政府批判の言葉が聞かれるだろう。

日本政府の対応の仕方は、一貫性が全く無い。もし、後藤さんの事件の時に、米国国務省の報道官の言った言葉「(身代金の支払いは)誘拐の危険やテロ組織の維持を助長するだけです」「国民を危険にさらすことになるため、身代金の支払いはすべきではない」との考えに従ったのなら、最後までそれを日本の政策として貫くべきである。(上記引用ウィキペディア参照)

それと同じく、北朝鮮による拉致事件も、その原則を用いるべきである。現在、日本人1億3000万人は北朝鮮の核の脅威の下にある。それは、北朝鮮に拉致された1億3000万人の命に似ている。この考え方は、次節に紹介する元中国軍の少将の言葉を思い出せば、荒唐無稽ではなく正しい比喩である。

批判を覚悟で言えば、過去拉致された数十人よりも、後者の1億3000万人の拉致状態にある命を重視して、外交すべきである。

3)西岡氏は北朝鮮の核兵器保持の問題に関して重大な間違いを冒している。上記動画(8:00ころ)の言葉は、核兵器の一部を隠してでも、一部を廃棄をして、完全廃棄の宣言をすることが、北朝鮮の対応として必要、且つ、十分であるという風に聞こえる。https://www.youtube.com/watch?v=j6bx4tabJfc

そして、一旦核廃棄宣言をすれば、それが核の脅威の消滅を意味し、日本も国交正常化して、経済協力をすることが可能となるという趣旨の発言である。拉致被害者を取り戻すことが、何よりも大事な課題だと考える人の台詞である。

  西岡氏は、上記発言の根拠として、「核兵器は使えない兵器であり、抑止力としてのみ意味があるからだ」という。従って、一度無いといったなら、隠していた核兵器をチラッとでも見せてしまえば、嘘をついたことになるといっている。(その時に北朝鮮が大国になっていたらどうするのだろうか?) 

核兵器は使えない兵器と考えるのは、大きな間違いである。それに、外交で嘘をつくことがまるで禁忌のように言うのもとんでもない間違いである。国際社会は野生の世界であり、強国の人命は地球よりも重いかもしれないが、弱小国の人命はホコリよりも軽い。そして、「真実」も同様である。

軍事強国の嘘の主張は、真実として国際通りをまかり通るが、軍事的弱小国の真実は嘘として片付けられる。マイケル・ヨン氏が説得力のある本を書いても、従軍慰安婦の強制連行が真実として米国で未だ語られ、韓国も中国も声高に語ることが可能なのは、日本に何の軍事的対応力がないからである。

核の脅威に戻ると、例えば、「日中近現代史」という本があるが、そこに記載されている毛沢東の言動「一億死んでもまだ十億残っている」が示している様に、中国人は他人の命を非常に軽く考えている。それが他国の人間の命となれば、なおさらである。最近の例でも、元中国軍の少将で、国防大学教授であった朱成虎は、「世界の人口増加にもっとも良い解決方法は、核戦争による人口抑制である」と発言した。(補足2)

これらの恐ろしい発言は、おそらく北朝鮮の指導者の頭にも浮かぶだろう。これまでの粛清とよばれる数々の殺人行為を考えれば、西岡氏の理解が間違いであると証明されていると思う。

補足:

補足1)ここでテロリズムを定義すると、テロリズムとは国家の枠組みを超えた軍事的行為であり、宣戦布告なき戦争行為である。最近、バイトテロなど、テロリズムという言葉を乱用している。テロリズムの定義は未だになされていないが、これまでイスラム過激派などの宣戦布告なき戦争行為や内戦行為に対して使われてきたのだから、そのような意味に限定して使うべきである。バイトテロと言われる行為は、行為者が人権を放棄する場合以外は明確な犯罪であり、テロリズムと呼ぶべきではない。国家の枠外に出て、戦争行為を行う者は、裁判を受ける権利を失う。つまり、てろりすとは直ちに射殺しても問題はないことになる。 2)先進国の人口増加は止まっているが、人口増加の問題はイスラム圏や発展途上国で深刻になるはずである。その”解決”として核兵器が用いられる。恐らく、中性子爆弾はそのために開発されたと思う。インフラをあまり破壊することなしに、人を殺す方法として有用だからである。(この補足は、2月25日朝追加)

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