2019年3月5日火曜日

カルロス・ゴーン氏の長期勾留を考える:司法機関と検察は互いに牽制的関係を持つべきである

1)カルロス・ゴーン氏の件:

日産の前CEOのカルロス・ゴーン氏が、保釈されそうだ。100日も勾留しながら、更に勾留を続けようとする検察に呆れる。この件、裁判所は安易に逮捕状を発行した可能性が高く、批判されそうである。この上は、冤罪を産まないように、司法は慎重な判断をすべきである。日本の司法の国際的信頼感を損なう可能性がある。

今後、外国人犯罪が増加するだろう。その裁判のプロセスと結果が国際問題化しては、国益を損なうことになる。公正な裁判では、行政機関である検察と司法機関である裁判所が明確に独立していなければならない。一市民としての考えだが、私は過去に検察と裁判所が癒着したケースがあるのではないかと疑っている。

犯人として逮捕されても裁判前は推定無罪なのだから、100日も拘束することは人権軽視であると非難されても仕方がないだろう。日本の法律に従って拘束されているのだから問題はないと強弁をする評論家が多いが、本当に解って言っているのか怪しい。

冤罪が生まれる背景には、安易に検察に迎合して裁判所が逮捕状を出すことがあるだろう。日本の司法機関は、いい加減な証拠で逮捕状を出し、検察のシナリオに従って判決を出しているのではないかという疑いが強い。

今回のケースに関して知識はほとんどないのだが、長期の勾留と更にそれを延長したいという検察側の姿勢から、見込み捜査と逮捕だった可能性があると思う。また、それを未然に防がなかった司法の怠慢が疑われる。

2)過去の例: 

例えば、1961年の名張毒ぶどう酒事件では、検察による不十分な証拠に基づく逮捕、脅迫による自白、事実に基づかない犯行のストーリーが、高裁や最高裁で無批判に支持された可能性が大きいと思う。地方裁判所が証拠不十分として無罪判決を出したにも係わらず、高裁が逆転死刑の判決を出し、最高裁も何も考えずに上告を退けて死刑が確定した。一人の人間とその家族の人生を破壊したのである。

それ以降、度重なる請求にも係わらず、再審決定には至らなかった。その理由は、司法が自分たちの間違いを認めたくないからだろう。その際、よく用いられるのが「自白の信憑性が高い」という理由である。

死刑にあたるような犯罪で逮捕された被告の自白が、日本国の裁判では重要な意味を持つのである。その後、自白が強制されたものだと被告が主張しても、「自白の信憑性が高い」と言って、突っぱねるのである。驚くべきことである。

因みに、最高裁で上告棄却した裁判長は、勲一等の栄誉に輝いた。もし、この上告審での判断が間違っていたとなった場合、そのような栄誉は与えられただろうか。答えはNOの筈である。日本は法治国家とは言えない。

冤罪の疑いが濃いことは、司法も行政も気づいていた。何故なら、死刑は最後まで執行されなかったからである。毒物の不純物分析の結果に関する鑑定(補足1)が出て、冤罪が確実視されるに至っても、裁判所や検察はミスを認める代わりに、奥西死刑囚の人権無視を選んだのである。

2002年に第七次再審請求が成され、2005年4月5日、名古屋高裁(第1刑事部・小出錞一裁判長)は再審開始を決定した。同時に死刑執行停止の仮処分が命じられた。しかし不思議なのは、その決定を出した小出錞一氏は2006年2月に依願退官したことである。依願退職はこの国では体の良い解雇である。その理由を外国人に説明することは、非常に困難だろう。(補足2)

3)上記事件では、検察に基本的なミスがあったと考えられる。それは奥西死刑囚を支援する会のサイトに詳しく書かれている。犯行に使われたとされる毒ぶどう酒から分離された毒物のペーパークロマトのパターンが、説明出来ないのである。(補足1)

それはぶどう酒中の毒物が、奥西死刑囚が混入したとされる物と同一だとする鑑定が、捏造或いは重大なミスだったことを意味しており、重要な物的証拠を検察は失ったことになる筈である。それでも判決は覆らない。何故、このようなことになるのか?

検察や裁判所の人たちは殆ど法学部出身であり、理系の知識に乏しく、且つ、真実に対して謙虚な姿勢がないからだと思う。(補足3)また、文系公務員の人間には殆ど国際感覚がなく、人と人の連携が全てを決する日本村特有の文化に完全に染まっているのだろう。

例えば共同体内で犯罪が発生した場合、有力者は犯人ではないとする無言の圧力が働く。同じ力学で、検察が出した判断を裁判所がミスだと決定することは、日本村の仁義に反するのだろう。既に言及したように、2005年の名古屋高裁で再審決定をした裁判長が依願退職させられる羽目となったのも、その日本村の掟なのだろう。(補足2)

証拠が乏しいケースでは、非科学的な検察のシナリオが判決を決める可能性が高くなる。日本では、逆転有罪の率が非常に高いという報告がある。それは、上級審に行くほど行政と司法の癒着がひどくなることを意味している。http://www.asyura2.com/13/senkyo145/msg/834.html

日本の最高裁などの司法公務員は、何も仕事をしないで高給をもらっているように見える。その結果は、下の追補を見てもらいたい。三権分立の原則など、自分の出世と比較すれば、どこ吹く風という感覚なのだ。

追補: ①日本の最高裁判所がまともに機能しないことが、日本の政治の弱体化にも根幹部分で関わっている。例えば砂川事件での判決で、自衛隊違憲判決を出さなかったことが、日本の憲法改正を間接的に妨害したことになる。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2017/10/blog-post_24.html

②日本政府は数年前、横田めぐみさんのものとして北朝鮮から渡された火葬された遺骨のDNA鑑定をしたと結果、別人だと判明したと発表した。火葬してしまえば、DNAを構成する有機物は、殆ど全て酸化物となる筈であり、DNA鑑定などできないだろう。国際的に日本政府の理系音痴を宣伝する事になったと思う。その鑑定をした人は、その後行政により出世の道を与えられたようである。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/11/blog-post_2.html

補足:

1)毒物は化学薬品である。同じロット(同時に同じところで合成された製品)の薬物は、同じ不純物を同じ割合で持つ。通常有機物の成分分析で使われるのが、クロマトグラフィーという手法である。1961年、クロマトグラフィーの手法は既に確立しており、特にペーパークロマト(吸着媒として濾紙を用いる方法)は、学生実験でも行われていた基本的分析手法である。

http://enzai-shikei.com/blog/226/ 2)実質的に首になっても、依願退職という形を取るのが、後々組織の和を乱さないためには大事な儀式である。「和を以て尊しとなす」という宗教に毒された日本人は、自由と独立を恐怖する民族のようだ。

3)ぶどう酒から分離された毒物のクロマトグラムは、一つの不純物の有無という点で一致しないのである。この濾紙の上の斑点の有無という科学的に重要な意味を持つことが、日本のトップ大学の法学部卒の人たちには理解不能なのである。
尚、日本では理系と文系という不思議な人種分別が高校の段階でなされる。その結果、論理的思考が苦手でも暗記力抜群の学生だった人たちが、日本の行政、立法、司法の重要なポストを独占する。また、理系人間にとって、人としての常識に全く無知であっても、何の恥にもならない。それは、理系人間はこの国では道具の一種であり、政治経済文化などを考える立場にはないからである。

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