2019年4月12日金曜日

大富豪の社会機関としての役割

1)米国のフォーブスが発表している世界の長者番付によると、世界一の富豪はアマゾンの創業者ジェフ・ベゾスで、総資産は1310億ドルだと掲載されている。約15兆円であり、ウクライナのGDPを超える。この資産額は、米国の一人当たりGDPを6万ドルとすると、250万人分の年収に相当する。 https://johoseiri.net/world_richman/

同ランキングによると、20位までに入っている米国人の資産合計は、ほとんど100兆円にもなる。それはインドネシアのGDPにほぼ等しい。この巨大な資産は、要するに保有する株などの金融資産がほとんどだろう。例えば、ジェフ・ベゾスは78.88百万株のアマゾンの株を保有するが、2019年の3月1日の株価1671ドルを用いれば、ほぼ上記資産額となる。 https://www.investopedia.com/articles/insights/052816/top-4-amazon-shareholders-amzn.asp

これは米国の富豪の極一部であり、トップ500迄に入っている300人近いビリオネアの全資産の合計は、この数倍に近くなり日本のGDPと比較出来る額となるだろう。

この金融資産の限られた個人への局在化は、資本主義社会の通常だとしても、どこか異常に見える。もし、人間は生まれながらに平等であると実感できる社会を理想だとすれば、そこからの離脱は極端である。更に、それらの資産を保有する(支配下に置いている)個人が、それを自分の個人的実力によると勘違いした場合、更に、それにより他人を支配できると考えた場合、社会全体が不安定化するだろう。

恐らく、上記億万長者たちは、上記の勘違いをしていないだろう。社会の一機関として、自分の地位が存在し、その機関の金融資産として上記額が帳簿に記載されていると考えているだろう。米国の投資家で有名なウォーレン・バフェットは毎年数千億円レベルの寄付を行っている。多くの資産家は、寄付をすることを義務のように感じている様子を、単に偽善と考えるのは僻み根性だろう。

ただ、会社の経営者や会社への投資を業としている者にも、更にそれ以外の分野で富豪となった人たちにも、勘違いしている人が大勢いる可能性があるだろう。その誤解を、ノーベル賞学者でもすることは、ある意味で驚きである。(補足1)また、2-3年前に話題になった隣国のナッツ姫を思い出せば、この勘違いは、社会とその教育を歪める迄になっている事がわかる。

2)現在までに作り上げられた社会的メカニズム、物理的施設、知的な財産などに、近未来社会で起こす経済活動の権利としての金額の札を付けたのが、金融資産である。未来社会に於いて、その資金を使う予定者と金額が決まっているという点で、金融資産は、現在の社会が全体として未来の社会に対して借金をし、それを特定に人(資産家)に分配した帳簿上の金額ということになる。

仮に、何らかの異変が人類に生じて書類が全て消失すれば、それらの殆どは消滅して、物理的構造物である建物や、自動車や製造機などの機械が残るだけである。突然人類が幻を見て、勤労意欲や記憶を無くした様な場合でも、その約束された経済活動が出来ないため、激しいインフレが発生し金融資産は実質的に殆ど消滅するだろう。それは極端な例だが、不安定な心理が恐慌を生む可能性が、資本主義社会の一つの欠陥である。(補足2)

金融資産は現在の社会の未来からの借金であるから、その運用は、社会の経済活動を円滑にするためにされなければならないと思う。上記ビリオネアたちは、その責任を担っていると考えるべきである。それが、経済発展と文明進展の二人三脚が成立する条件である。尚、巨大な隣国ではそれが成立しているかどうかが、日本にとって大きな不安要因である。

日本の明治以降の創業者は、実際にそのように考えただろう。松下幸之助や本田宗一郎などの名言が、それを示している。例えば、本田宗一郎は「会社は個人の持ち物ではない」という考えをもっており、身内を入社させなかったという。(ウィキペディア参照)

日本が社会全体にエネルギーを蓄積できた背景には、多くの会社創業者が本田宗一郎と同様に、帳簿上自分の資産である会社を、社会或いは国家の公機関と考えたことがあるだろう。多くの企業の不正を見ると、現在の日本にその面影は探さなければ残っていないのかもしれないと思う。

このような考えを、ホンダの創業者のように自由な思考の結果として得ることは、普通困難である。従って、過去の偉人の言葉を学び、それが自分の言葉となるように、その偉人の人生を追体験する類の道徳教育が大事だろう。そのような道徳を持たない資本主義社会は、将来崩壊するだろうと思う。

3)上記の考えは、資産は負債を具体的な存在に割り振ったものに過ぎないという考え(貸借対照表の考え)に基づいている。その根源には、国家或いは中央銀行の負債が、一定の根拠として存在するだろう。

一定の根拠というのは、株価と保有株数の積を資産として計算するが、上記資産の計算に想定される株は、市場に出ていない株がほとんどだからである。つまり、市場で売買される部分以外については、中央銀行が発行するお金(中央銀行の負債)が直接的に対応していないだろう。これが信用収縮の大きな要因だと理解している。

金融資産が未来からの借金だとすれば、その運用は公の仕事に見えてくる。米国のビリオネアたちの多くは、その責任を果たしているだろうと思う。それが、グローバル化経済の中の先進工業国の中で唯一、2-3%の経済成長率を誇っている理由だろう。

この点をもう少し考えてみる。

経済活動の計画と実行を全て国家で行うというシステムが共産主義社会である。そこでは、政治的に重要な限られた特定の人物が、国家(社会)の経済活動の計画と管理までを閉鎖的空間で行う。その計画経済がうまく行かないのは、人間の能力が有限であり、巨大化した社会システムを一人で運転する技量は無いからである。(補足3)

従って、共産主義を取り入れた国家の全てが、経済的困窮を極める結果となる。一方、資本主義社会では、人(自然人)の他に株式会社や財団法人などの法人が、経済活動を分担する。その人事は、会社と社会の利益を指標にして、間接的だが社会全体が決定する。そしてこの、“間接的オープンシステム”しかありえないというのが、常識となっている。(補足4)

資本主義社会では、多くの会社等が経済活動を分担する。例えば株式会社の経営は、数人が人生のある期間をその任務にあてる。その人材を割り振るのが、会社の人事である。最初に述べた米国のビリオネアたちは、会社の経営者として、或いは、投資先として、正しい人事(業績の上がる会社)が決定出来る会社を選ぶことで、直接的或いは間接的に会社の経営に関わっている。

その力の根拠が、彼らのその会社の株式など金融資産である。その経営判断が正しいかどうかは、会社の業績という形で社会が判断することになる。その最終判定は、消費者が行う。このオープンなシステムは完璧ではないが、何重にも補完的であり、人間のシステムとしては最高だろう。

この会社の経営と評価の構造が、資本主義社会の発展を可能にした。一つは創業者を含めた投資家による四半期毎の疑似リアルタイムの会社運営の監視、もうひとつは消費者による業績の最終判定である。

米国では会社経営監視の上記2つのメカニズムが機能しているが、日本では、投資家が会社経営に口を出すことが非常に少ない。それでは、会社の経営を決める2つのメカニズムのうちの一つが無いことになる。消費者の最終判定のみが残り、それが具体的に働いた結果が、例えば東芝の経営危機などである。もう一つがあったなら、東芝、日産、シャープなどの経営危機は無かっただろう。
((以上は、理系人間が極めて好意的に米国の資本主義を評価して文章にしたもので、社会学的裏付けはありません。))

補足:

1)企業人では、以前話題にした身の程を知らない人のケース、芸能人やスポーツ関連で富豪のレベルに達した有名人なども含まれる。彼らが要求する特許料は、確かに現行制度からは要求可能である。しかし、かれらは社会の機関としてそれらの資金を持つ立場には無い。単に、自分自身や子孫の消費のための資金として、例えば、「26億円では少なすぎる」と言うのは強欲だろう。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43581020Q9A410C1EA2000/
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20190410/GE000000000000027328.shtml

2)この値札の額は、社会の経済活動が順調に進むという雰囲気により大きく異なる。それを信用(クレジット、credit)という言葉を用いて表す。資本主義社会の一つの弱点は、このクレジットが特別な理由なしに大きく毀損される危険性である。

3)中国の毛沢東は経済の舵取りに大失敗をする。鉄の生産こそ、経済発展のために大事であると考えて、製鉄の知識のないままに号令をかけた。その結果、粗悪な鉄の生産を溜め込むのみで、大不況になる。それが大躍進運動である。そして政治の実権を劉少奇にわたしたのだが、自分の権威失墜を恐れて権力奪回を図ったのが、文化大革命である。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2013/10/wild-swans.html

4)計画経済政治が何故歴史に登場したのか分からない。そんな思想が部分的に世界を支配するまでになったことは、不思議である。社会主義的政治が、高性能のAIを利用して徐々に実現すると考える人は、現在かなりいるだろう。ベーシックインカム制度がその出発点として存在するかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿