2019年7月16日火曜日

乾正人『令和を駄目にする18人の亡国政治家』:宮崎正弘氏による書評に対する感想

宮崎氏のメルマガには教えてもらう部分が多く、非常に有益なのでほぼ毎回読んでいる。無料で配信されていることに先ず感謝したい。今日はマレーシアが前政権時代に中国と結んだパイプライン工事に関する話であるが、その話も非常に面白いのだが、それに引き続いて、表題の本に対する書評が書かれていた。上記書評に関して、一言書きたくなったのである。

著者の乾正人氏は産経新聞論説委員長で、30年に渡って永田町を見つめてきたという。その乾氏が、平成日本政治の「A級戦犯」を語ったのがこの本である。

宮崎さんは、この本を「中味はすこぶる面白い」と高く評価されているのだが、その引用された面白いという部分は、私にはあまり面白く無かった。上記本の内容は、本質的な面で貧弱だと思った。日本の為にも、現在と将来の日本国民のためにもなる本とは思えなかった。

1)先ず書評の概略とそれに対する簡単な私の意見を書く。 

①そもそも日本の政治評論というのは政局を論じるだけで、そのうえ人物論に傾きがちなため、大局的な政治姿勢や外交戦略に関しては語られることが少ない。テレビなどに出る『政治評論家』の多くは「政局解説屋」とでも呼ぶべき講釈師である。

この指摘には100%賛成である。政局ばかりで本質に切り込む場面を見たことがない。

②政治を動かす要素の一つはカネである。理想で奔走する政治家はまれにしかいない。「小沢一郎は権力とカネを掌中に置くことを最大の目的に永田町を半世紀にわたって歩んできた。目的がぶれない、という点でこれまた端倪せざるを得ない」と著者はいう。(補足1)だからこそ、小沢は「大変節を恬として恥じない」ことが出来るのだ。

また、「『平成の戦犯』の東の横綱が小沢一郎なら西の横綱は河野洋平である」(補足2)とし、更に宮沢喜一に関し以下の指摘をしている。

「宮沢喜一というエリート臭丸出しの男は、天安門事件で人権批判が巻き起ったが、国益を損なう行動に出た。かれの国賊的裏切り行為は西側が中国を制裁している最中に、正常化と天皇訪中を認めてしまったことである。宮沢は実行力のある政治家ではなく、問題を適格に把握できる評論家に過ぎなかった」

私は、『平成の戦犯』の東の横綱にこの宮沢喜一を推薦したい。その他この部分の紹介にも賛成であるが、宮沢評の“評論家”は、“生まれながらの官僚”にした方が良いと思う。そして、以下の安倍評を最後に終わっているようだ。

③これら悪習をぶち破り、ようやく再生の道を開きかけたのが安倍晋三だった。安部はカネに群がる政治を断ち切ろうとして、理想を掲げてカムバックした。岸信介以来、久しぶりの信念の人、だから底力を発揮した。ただ、安倍長期政権にも疲れと錆が生じており、消費税増税容認、中国への再接近、靖国神社不参拝、加憲改正議論などは、賞味期限が過ぎたのではないかと示唆している。(要約)

  この部分への反論はセクションを改めて書く。

2)中国への再接近が何故なのか、その分析がなければ、現時点での評価は出来ないと思う。つまり、トランプは本気で中国制裁をするのか、米国の本流の人たちも世界経済の大混乱を覚悟して中国制裁を続けられるかについて、安倍さんは強い疑いを持っているのだと思うからである。

米国が変節したとき、米国に盲従した日本は、両国によりゴミ箱に捨てられることになる。安倍さんの中国接近は、その可能性の方が大きいと考えた保険なのかもしれないのである。また、靖国神社不参拝は、安倍さん自身不本意かもしれない。しかし、日米戦争(15年戦争)での大失敗の責任者も合祀されているとしたら、靖国神社への参拝はどうかと思う。15年戦争の責任を明らかにするには、明治維新からの歴史の再考察が不可欠である。

100万人近い民間人の虐殺と200万人の兵士を死に追いやった責任を誰かが取るべきである。それを抜きにして、靖国参拝を要求する無神経は腹だたしい。ほとんど馬鹿だ。

更に、消費税増税だが、それに反対するのは分からないではない。しかし、日本の景気低迷を財政出動しなかった政府だけの責任に押し付ける無神経には、同意しかねる。政府参与の藤井聡氏や三橋貴明氏らは、MMT(現代貨幣理論;補足3)を引き合いに出して、消費税引き下げまで言い出す始末である。https://www.youtube.com/watch?v=0B-wvXt86Zw

基軸通貨発行国なら兎も角、このような理論を引き合いに出すのは、責任ある態度だとは思えない。そのような活動をする内閣参与を放置する安倍内閣の姿勢には反対である。日本企業の創造力の減退、日本型人事の欠陥、日本型価値観などの再考、行政の改革軽量化など、企業側にも政府側にもやるべきことが多いと思う。

3)著書を読まず、宮崎氏の解説から中身を判断して意見を書く。

この本の著者は、「日本の政治評論は政局を論じるだけで、大局的な政治姿勢や外交戦略に関しての議論が少ない」と日本の政治評論を評価し、更に、「政治を動かす要素の一つはカネである。理想で奔走する政治家はまれにしかいない」と政治家たちを評価しているようだ。

宮崎氏の評にその原因に関する議論が引用されていないところを見ると、そして、その本の表題から判断して、この本もその種の政治評論ではないだろうか。そうなら、正に目くそ鼻くそを笑うの本である。

日本の政治が本来の姿を失ったのは、日本の政治の不連続性にあると思う。それは、明治の革命である。明治の革命が、日本独自の政治としてなされておれば、折れ目や一時的断裂があったとしても、その連続性が回復出来たと思う。

つまり、明治の革命は英国などの強い影響化で行われ、日本の伝統をほとんど捨てることからスタートしたのだろう。その上、西欧の政治哲学などに学ぶことがなかったので、或いは消化不良で日本の歴史の中に同化出来なかったことが、本質的原因だと思う。そこの議論を曖昧にして、政治家だけを非難し笑うのは、おろかの極みだろう。

そして、明治の新政府の重鎮は、恐らくそのことは知っていただろう。しかし、そこで江戸時代と明治時代の間を接続することを嫌ったのだと思う。その原因は、彼らの革命は大いなるインチキだったからではないのか。つまり、天皇挿げ替えである。明治維新は日本の革命ではなく、長州の日本乗っ取り(日本の植民地化)に過ぎなかったのではないのか。

補足:

1)小沢一郎著の本「日本改造計画」は一応名著の範疇に入ると思う。それは、日本文化の中に日本政治の貧困の原因を探ったからである。ただ、この本は政治学者の御厨貴氏が暴露したように、当時小沢氏が組織した勉強会のメンバーがゴーストライターになって書いたようである。また、この本の根本的欠陥は、米国などは二大政党制で民主主義が機能していると解釈した点である。馬渕睦夫氏が度々述べているように、表舞台で二大政党制を演じていても、米国の支配層は一つである。その誤った認識の下に作った比例代表制は、政治家の質を低下させた第一の原因だと言われている。

2)韓国の捏造に基く慰安婦問題は、河野談話により火に油を注ぐ結果になった。河野談話のかなりの部分は問題ではないが、ただ、「甘言と弾圧で本人の意思に反する慰安婦集めに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と述べた部分は、韓国の捏造をそのまま受け入れる内容であり、その後の日韓外交を捻じ曲げてしまう結果になった。

3)政府が財政に必要な紙幣を発行し、税金での徴収は行わないという貨幣の在り方を言う。孤立した経済の国では、税金は集めなくても行政経費は全て発行紙幣で賄うので、インフレは必然である。この考え方は、世界政府が実現したときには可能だと思う。その際、資産課税(相続税を含める)だけは導入すべきだと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96 尚、現在この方式を採用出来るのは、米国などの基軸通貨発行国だけである。 もし、日本などでそれを行うと、著しい円安が始まり預金及び債権が2−3年で紙くずになるだろう。これを提唱するひとたちは、それを狙っているのかもしれない。

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