2019年12月23日月曜日

教師間のイジメについて:被害教師は自身の尊厳を守るべく行動すべきだった

1)事件の概要と問題提起:

 

凄絶な教師間のいじめが発覚した神戸市東須磨小学校の件、昨夜のサンデーXというテレビ番組で放送されていた。そこでは橋下徹元大阪府知事や太田光さんなどが議論していた。彼ら出演者の議論は、若干未整理なように思えたのでここで議論してみたい。

 

その事件を報じたある記事からその概要を書く。主犯格は40代の女性教師。彼女に30代の男性教員ら3名が加わって、20代の男性教師に激辛カレーを無理やり食べさせたり、目に入れたり、被害者所有の新車の上に土足で乗ったりするイジメを繰り返したようだ。

https://www.j-cast.com/tv/2019/10/08369515.html?p=all

https://waon-guam.com/sumashou-ijime-hasegawa/

 

その被害男性教師は新任教師であり、主犯格の40代女性教師(A)が彼の世話係となり、二人はよく行動を共にしていたと言う。週刊誌報道によると、被害男性がAに交際相手の女性を打ち明けたことが、暴行が始まる切掛だったようである。従って、原因は明らかである。ただ、それが事件化した背景には日本の現代の文化がある。(補足1)

 

上記テレビ番組では、この事件について口角泡を飛ばして議論していたが、問題の核心を外れていた。何故なら、出演者の方々はイジメとは何かについて定義もなにもしないで、自分勝手に議論の対象を決めていたからである。

 

イジメとは、上の身分の者が、下の身分の者に対して行う暴力である。従って、民主主義を採用する法治国家の日本において、対等の関係にある大人の間では本来あり得ない。ある記事には、教師カーストが関係していると書いている。https://www.j-cast.com/tv/2019/10/08369515.html?p=all

 

日本には本来あり得ない教師カースト(職員室カースト)の存在は、公務員制度全体の問題として重要だが、その議論は別の機会にしたい。今回は、本来善良なる市民である筈の大人の間で、所謂イジメが生じることの異常さを考えたい。それは、職場でのパワハラやセクハラとも同根であるが、より本質的な問題を明確に示しているからである。

 

2)日本人と現代日本文化に欠けたもの

 

教師間のイジメは正に日本病の症状を分かりやすく示している。それは、現代日本文化の中に、人としての尊厳或いは威厳(英語でdignity)という概念が殆ど無いことである。それは人権とはことなる。人権は外に向かって主張するものであるが、ディグニティは防衛するものである。

 

勿論、人としてのディグニティ(補足2)を守るために人権を主張する場合もあるのだが、人権は生活の利便性などについても対象とするので、より広い意味をもつ。

 

ここで、上記教師間のイジメで、事件が大きくなったのは、被害者側にも法的責任ではないが自分自身に対する重大な責任がある。それは自分の人としてのディグニティを守る行動に出なかったからである。早期にその行動に出ていれば、深刻なイジメには発展していなかっただろう。何故なら、加害者達も本来は善良な人たちだったからである。(補足3)

 

教師は公務員である。その職場を追われることがないので、会社の内部でのパワハラとは違い、解決はより簡単である。自分のディグニティを守る行為で終わっていた筈だからである。勿論、その後被害男性には苦しい後始末が残るだろう。それは、無視や執拗な告げ口の類にイジメが変質する可能性が高いからである。それを跳ね除けることが、自身のディグニティを守るコストである。(補足4)

 

「和を以って尊しと為す」の日本文化では、このような断固とした行為を取り得ない人が多いだろう。筆者もその一人だろう。しかし、個人の独立と自己の人としての尊厳を守ることは不可分である。もし、近代国家の中で生きることを主張するのなら、自己の尊厳はまもらなければならない。

 

この個人の自立は、日本文化が欠いているもっとも重要な因子であり、それを明確に指摘したのがあの小沢一郎の「日本改造計画」である。ゴーストライターの手によって書かれたとは言え、その内容は非常によく出来ている。もし、日本国が国際的地位を確立したいのなら、そして、独立国としての地位を失う可能性を取り除きたいのなら、今からでも「個人の自立」を学校教育の柱とすべきである。

 

同じことを繰り返すが、日本の非武装中立という馬鹿な憲法を改正できないことも、この日本文化が原因である。

 

補足:

 

1)この暴行事件の発覚が遅れたのは、校長の姿勢も関係しているようである。校長は、「(加害教師たちは)指導力も、力もあり、校長である私自身も教えてもらうことが多かった」と釈明したという。校長の無能さも、この件が大きくなった原因の一つだろう。

 

2)ディグニティと英語のカタカナ表記をここで用いるのは、日本には正しくこれに代わりうる言葉がないからである。その意味は、「自分自身を神聖な領域或いは存在として考えること」である。尊厳が近いが、日本人の語感ではdignityとは異なると思う。筆者自身(戸籍上は純粋な日本人らしい)が、この日本文化が嫌いで、その言葉を使いたくないだけかもしれない。

 

3)日本国の防衛問題と同じ構図である。

 

4)デビ・スカルノ氏が、米国で売春婦呼ばわりされ、相手を殴った事件があった。いつもこの種のイジメやパワハラの類のニュースが出ると思い出す事件である。彼女は、敢然と自分のディグニティを守る行為として、平手打ちを相手に見舞った。この件だけで、彼女が米国で有罪になったのなら、米国も馬鹿な国である。因みに筆者はデビ夫人に全く好意はない。別の件(北朝鮮関連)で、日本に好ましくないことを行なっているからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿