2020年2月11日火曜日

疫病と世界史: 帝国の交代は疫病によって起こる

ある歴史家のyoutube動画を見つけた。「感染症の世界史」という題名で、世界史に残る大疫病として、ペロポネソス戦争中にアテネで発生したペストを紹介している。(補足1)スパルタとの戦争で劣勢になったので、ギリシャの指導者ペリクレスが市民を城内に非難させることにした。その結果城内の人口密度が非常に高くなり、衛生状態が悪化したことがその大災害の原因らしい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ViYHqQIsahc&t=93s

 

その疫病とアテネの様子を記述したトゥキュディデスの戦史から、その地獄絵図的情況が紹介されている。結局その疫病により、アテネの人口の1/3が死んだという。

 

「戦史」の中から、興味ある内容が紹介されている。「災害があまりにひどくなると、人々は一切の宗教的感情を顧みなくなる。その結果、葬式の習慣も無くなる」というのである。そのような大災害の中では、人の社会を作る為に存在する精神活動の表の部分が剥がされてしまうようだ。

 

そこからこの歴史家は、二つの重要な話をしている。その一つは、ギリシャの大衆は秩序を放棄して衆愚と化したが、知的貴族は哲学を作り上げたことである。神々から”開放”されたことで、唯物論に目覚めたことがその原因だという。デモクリトスの原子説など“自然科学の基礎となる哲学”を作り上げたのである。

 

もう一つは、「古い帝国がその神々とともに消滅し、新しい帝国が新しい神々とともに生まれる」という歴史解釈である。ローマでも疫病(アントニヌスの疫病)が発生し、人口(5000万人)の10%が死ぬ。そこで、古い神々が滅び、キリスト教が広まることになる。この歴史家は、同じ論理で、中国における仏教の発展、日本の神道についても語っている。(この次の話)

 

 

 

2)この動画を見ての雑感

 

以上のモデルは、私が数日前に書いたブログ記事「人類は、高度に発展した文明に適合する社会を作れるだろうか? 社会と言葉及び文化の同時進化」と非常に近いと思う。そこで単なる思いつき的に書いた「宗教と言語の同時発生」の部分以降は、この「疫病の世界史」と同様、ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」に提供された歴史の見方を用いている。

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12573093932.html

 

非常に興味深いのは、”災害があまりにひどくなると、人々は一切の宗教的感情を失い、神を失う”ということである。つまり、歴史上有名な大部分の宗教は、人々を団結させ社会を成長させるために存在したということである。

 

ここで自説を紹介する。それは、宗教にも2種あるということである。それをここでは「人を束ねる宗教」と「自分の死をみつめる宗教」と呼ぶ。上記帝国を背負う宗教には、キリスト教やイスラム教、マニ教やゾロアスター教などがあり、帝国の興隆衰退と同期する。しかし、その性質は、元々の仏教(原始仏典にある)など「自分の死をみつめる宗教」には、当てはまらないだろう。

 

日本に大きな政変が起こらず、2000年間天皇制が定着したのは、日本人が伊勢神道という人を束ねる宗教とともに、親鸞の仏教のような自分の死を見つめる宗教の二つを持ち、人の精神世界において互いに補完的に働いたからだろう。つまり、他の政治と結びつく形の宗教、イエズス会のカトリックなどを、寄せ付けなかった。

 

比叡山の僧兵が滅んだのは、兵士が持つべきは「人を束ねる宗教」なのに、仏教を看板にしたことだろう。日本の古来の神道は、伊勢神道とはことなり、自然を母とし、死により自然に帰るという宗教だと思う。

 

話は飛ぶが、現在中国の武漢で進行している新型肺炎の大流行も、ペロポネソス戦争中にアテネで発生した疫病同様、衛生状態の悪化が原因だろう。そのミニモデルが、横浜に停泊中のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で、大勢の感染者が出たことである。封鎖が疫病による災害を増幅するのである。昨日の記事で提言したように、伊豆諸島の何処かに仮設住宅を建設して、そこに移住してもらうのが最善だろう。

 

更に話を飛ばして元に戻ると、中国での政変と結びつく可能性も、考えられるかもしれない。武漢だけでなく、多くの大都市を封鎖する中国の対コロナウイルス戦争の戦略は、ギリシャの歴史に学んでいるとは言い難い。

 

補足:

 

1)歴史書の記述plagueを、ペストと訳しているが、plagueの意味には疫病という意味もあり、トゥキュディデスの「戦史」に記述されたその病気の症状から、天然痘という説が最近では有力だという。

0 件のコメント:

コメントを投稿