2020年2月16日日曜日

日本の不思議について:心に思いついたままに記す

1)薬代の不思議

 

このブログの管理者(筆者)も高齢になり、年に数回病院に行く。その時、投薬を受ける毎に何時も思うのが「薬代の不思議」である。薬局から受け取る領収書に付属する代金の内訳を見ると、薬そのものよりも、棚から出して袋の中に入れて患者に手渡すだけの部分に大きなコストが計算されているからである。

 

個人情報を抜き取られる可能性もあるが、その不思議に思う部分を書く。3日前に病院へ行き、薬局から投薬を受けた。その代金のうち、薬剤料は35%以下であった。その他の名目は、調剤技術と薬学管理である。調剤技術とは、棚からアルミ箔でパックされた錠剤を取り出して、必要量を数え袋に入れることである。薬学管理とは、恐らく投薬量が適正範囲にあるかどうかをチェックする位のことだろう。(補足1)それだけで、何故2000円を越える金が必要なのか、さっぱりわからない。

 

勿論、複数の病院に掛かり複数の薬袋を貰う場合、薬手帳から同時服用の危険性を指摘することなどもあるかもしれない。しかし、その危険性があるのなら、それは本来処方箋を書く段階でチェックすべきことだろう。

 

将来的には、医薬管理ソフトを開発して、自動的に医師の前のパソコン画面に出すようにすべきことである。データ入力が大変だが、原理的には極めて簡単なソフトだろう。現在でも、たまに微妙な問題が生じるのなら、病院内で薬剤師と医師の間で打ち合わせをすべきことである。

 

 

2)医薬分業の不思議

 

上記薬剤医薬分業は最初占領軍により導入されたとウィキペディアには書かれている。大分前のことになるが、その医薬分業が行政に取り入れられ、病院内での投薬はほとんど無くなった。その代わり現れたのが、病院の門前にある薬局である。

 

当時、医師による過剰な投薬を防止する意味があると言われて居たと記憶するが、門前薬局で投薬を受けるのでは、そんな意味などないだろう。背後で収益が合算されることなど明々白々である。不利益を被ったのは患者だけである。それまでは病院内で受け取っていた薬を、門を出て再び受付に処方箋を出して待たなければならない。別の薬局に日時を改めて行くのはもっと面倒である。

 

時間の浪費の上に、処方箋発行料、調剤技術料、薬学管理料などの項目別のどこかで、医療費が増加しただけではないのか。それは、数時間前に投稿した記事にあるように、健保組合の財務内容も悪くするだろう。

 

一般に分業は、一つの仕事を二つ以上に専門分けすることである。対話に乏しい文化の日本では、人々の意識改革(その為の文化的進化)が無いとつなぎ目のところで不都合を生じやすい。(補足2)しかし、この医薬分業の問題は、今後医師の仕事も薬剤師の仕事も合わせてAIの仕事となることにより、日本でも解消されるだろう。

 

ただ問題は、日本の大学教育のシステムがそれに追随していないことである。

 

3.日本の教育行政の不思議:

 

私が薬を受け取る薬局には、6−7人くらいの人が働いている。大半が薬剤師だとすると、人材の無駄使いではないのか? 数日前に薬を受け取った時、聞いた言葉は「この薬は安全ですから安心してください。筋肉が痛くなったなら中止してください」という言葉だけだった。それが上記薬学管理料の中身だろう。

 

その言葉で不安になった私は、帰宅後にネットで調べてみると、副作用として筋肉痛の他に便秘があると書かれている。そして、服用後2日後にネット記事の通り、便秘になり服用を中止した。次回までにもう一度、副作用を確認するつもりである。

それは兎も角、「6年の教育過程のなかで、薬学を学び、それを現在の仕事に生かしていると言えるか?」そう聞いてみたい気持ちで、毎回薬袋を受け取っている。

 

現在日本の大学の最難関学部は医学部である。その他の理系学部の難易度に大差はないが、大雑把に言ってその次にあるのが薬学部である。現在、薬学の知識量が増加した。しかし、上述のようにそれらは近い将来、パソコンのソフトに置き換えられ、大幅に集約化されるのではないのか。

 

それだけではない。医者の仕事も、様々な数値化或いは画像化された診断結果から、多分20年後くらいにはAIで代用可能になるだろう。そのような分野に、世間で言う秀才たちを集中的に割り当てるのは、民族(国家)としては愚策ではないのか。日本国にはそのような余裕は無い筈である。

 

優秀な人材を選び出して教育し、国家或いは民族の将来にとって必要な知的財産の蓄積が出来るようにしなければならないが、日本の教育機関はそのようには機能していない。そして日本の政治は、そのように日本国民を啓発する工夫を全く行って来なかった。

 

兎に角、日本にまともな政治などない。立法や司法も西欧の猿真似以上のものではない。その病根は、日本には哲学がないことである。日本では、philosophyを普通哲学と訳する。しかし、philosophyという単語の語源など、知らない人が殆どである。哲学の欠如、これが何時も到着する日本の弱点の原点である。

  追補(16:30)米国からのコメントと返答の要約:
コメント(要約):米国では、医者に処方箋を書いてもらい説明を受け署名し、患者の薬局にemailで送る。処方箋の医薬品の値段は皆同じで、法により薬局には薬剤師を置く義務がある。
返答(要約):この文章は、薬剤師が要らないという指摘ではない。門前薬局は廃止し、医薬分離の利益が患者に向かう形でないと意味がない。医者の処方箋にクレイムをつける薬剤師などいない現状では、病院で薬をもらう方が良い。

補足:

 

1)日本では、分かりにくい表現で請求しても誰も質問しない。日本は、政界だけでなく広く忖度の文化に染まっている。忖度の文化とは、対話の無い文化の別名である。その文化に付け込んで、訳の分からない項目で料金をとるのが日本の公的性質の強い機関の習慣である。しかし、窓口の人には聞きにくい。窓口の人が困る可能性が高いと感じる場合、質問できないのである。今は請求しない自治体も多くなったが、運転免許更新の際にとられていた交通安全協会費もその一つである。

 

2)ある一つの目的達成のために、専門分けして高度な手法を作り上げるのは、西欧文化の特徴である。その根源にあるのは、自然も無数の部品からなる複雑な機械だという認識であり、その思想の大元には、自然は神により創造されたとする創造神話がある。その思想から、自然科学が発展し、現代の機械技術文明に生み出された。科学、つまりscienceは、分けることを意味する。https://www.etymonline.com/search?q=science

 

在米のあるジャーナリストは「日本の生産性をダメにした5つの大問題について」という記事で、日本の会社に元気がないのは、西欧が専門分けして会社の運営を高度化した手法を、日本が上手く取り入れられなかったことだと指摘した。私はその記事に着目して、先月の記事で更に遡って、補足1)にあるように日本文化が対話の文化では無いことに原因があると指摘した。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12564206453.html

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