2020年5月26日火曜日

賭けマージャンも検事がやると犯罪でなくなるのか

1)黒川東京高検検事長の犯罪の本質と日本の政府及びマスコミの歪んだ対応

 

今年、5月1日に東京高検の黒川弘務検事長が、産経新聞の記者宅で産経記者二人と朝日新聞元記者の合計4人で賭け麻雀をやった。帰りのタクシーで、運転手に今日は10万円負けたと話したという。

http://economic.jp/?p=89035

 

この事実を認めた黒川氏を法務省は訓告処分とし、黒川氏は辞表を提出し辞任した。黒川氏は、安倍総理が検事総長に任命する予定で、前代未聞の定年延長までして、検事長にとどまらせた人物である。

https://mainichi.jp/articles/20200525/k00/00m/010/113000c

 

 

この黒川氏のマージャン賭博は、幾つもの問題点がある。朝日新聞デジタルでは、この件が明らかになった5月20の法務省や検察の様子を以下のように記している。

https://www.asahi.com/articles/ASN5P6X7YN5PUTIL047.html

 

ある法務省幹部は「緊急事態宣言のさなかにマージャンとは」と絶句した。この日、自宅で在宅勤務中だった稲田伸夫検事総長も急きょ登庁するなど、庁内には急速に危機感が広がった。

 

一番大きく批難の対象となったのは、賭け麻雀という賭博行為よりも、「検事長ともあろうものが、緊急事態宣言の最中に、所謂“3蜜”の情況が不可避な麻雀に興じていたこと」である。上記法務省の慌てふためく様子を見て、「日本の病根これにあり」と思う外国人は多いだろう。

 

例えば木曜日朝のグッドラックというTV番組で、インテリ米国人コメディアンの「厚切りジェイソン」が、”仕事以外のことでそんなに批判するのはおかしい”と明確に発言した。そのとき、「賭博」という犯罪が話題になっていなかった時なので、その点を抜きにすればこの主張は全く正しい。

 

黒川氏は仕事を離れれば一私人であり、一私人の行動として批判されるべきなのは、賭け麻雀という賭博行為のみである。緊急事態宣言中ではあるが、個人が外出制限されている訳ではない。4人がテーブルを囲むようなことは、新型コロナ肺炎の伝染防止の観点から好ましくないことは事実だが、それも法で明確に禁止されたことではない。

 

単に国の政策に非協力的な態度の悪い人だという位の評価で済ませるべきだ。「三密を避けよう」は、努力目標である。処罰の対象となる類のルールではない。全ての処罰は法に基づいて行われるのが、法治国家の原則である。

 

欧米のある国では、“結婚していないのなら家族ではないので、デートは禁止される”というのは、他人である二人が外出して長時間会うことが法的に禁止されているからである。

 

2)黒川氏の賭け麻雀は刑法の処罰規定にある賭博行為:

 

刑法第185条:賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。上記刑法の規定における但し書きの、「一時の娯楽に供する物」とは何か。それが金銭であっては、この法律は空文化してしまう。(補足1)

 

金銭とはどの程度の額なのか? この規定は刑法185条にはない。従って、賭金10円でも賭博になると考えるべきである。賭け麻雀では、一定の緊張感を持たせるためにお金を賭ける。レートに無関係に賭博である。従って、告発され裁判になれば、賭け麻雀のレートは刑罰の多寡には影響しても、有罪か無罪かの判決には影響しない筈である。

 

このレートの問題は、テレビ番組「バイキング」で話題になったようだ。そこでのやり取りが面白いので、以下に、下記サイトからコピー(イタリック部分)する。

 

フジテレビ上席解説員の平井文夫氏が「1000点100円を点ピンと言いますけど、点ピンはセーフという話は昔からある話なんですね」と語ると、MCの坂上忍(52)から「そういうものなの!?」と聞かれた元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士(63)が「はい」と肯定したことでスタジオは紛糾。

 

元宮崎県知事の東国原英夫氏(62):「ちょっと若狭先生。それは法律家としていかがなものですかね。一応、建前と本音はありますよ。でも、法律上は1円たりとも金銭を賭けたら賭博罪なんですよ」

 

平井氏:「そんな事ないですよ。だって刑法185条を読んでくださいよ。娯楽の場合はその限りではないって書いてあるんです。

東国原氏:「その限りではないですよね。あれは例えばご飯代とか賭けた場合ですよ」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200525-05250065-sph-soci.view-000

 

引用は以上だが、法学を正しく理解していたのは東国原英夫という元芸人だけだった。平井氏の「娯楽の場合はその限りではない」というのは、刑法185条を暗記したものの、理解できていないことを示している。刑法185条を一度でも覚えたのなら、但し書きに対して、この条文全体を否定することになる様な解釈を口にする筈がないからである。

 

東国原氏は、そのあと「それではテレビでテンピンの麻雀をやりましょう」と発言した。

 

この事件に関してある人物が「日本の賭博史に新たに刻まれた「黒川基準」」と題する記事を書いている。その人物とは、国際カジノ研究所・所長を名乗る木曽崇という人である。https://news.yahoo.co.jp/byline/takashikiso/

 

その中で、木曽氏は以下のように語っている。

 

今回示された黒川基準で一番バカを見ることとなったのは、ノーレート雀荘と呼ばれる「賭け事をしない、させない」店舗として営業努力を重ねて来た、おそらく業界内では1割程度にも満たない遵法事業者。同業他社のうち9割以上が麻雀賭博営業を行っている中で、あえてノーレートを選択する事というのは並大抵の覚悟ではありません。

 

3)贈収賄の可能性:黒川氏の辞任を承認し、退職金7000万の満額支給で良いのか?

 

賭博行為が殆ど全ての国民に知られた以上、黒川氏を検察は賭博罪で告訴すべきである。その場合、日本が法治国家なら100%確実に有罪となる筈である。刑法犯となった黒川氏の処分や退職金については、人事院規則などで決定すれば良い。もし、その規定が変なら、その後内閣が改訂に動くべきである。

 

黒川氏らは、13日にも同じメンバーで5月2回目の賭け麻雀をやったようだ。常習性があるようなので、相当の罰金を科せられることになるだろう。

 

人事院の「懲戒処分の指針」は、賭博をした職員は「減給」または「戒告」と規定しているが、黒川氏は懲戒処分よりも軽い「訓告」にとどまった。公務員の懲戒処分には、免職・停職・減給・戒告・訓告・厳重注意の段階があるというが、下から2番目の甘い処分である。https://mainichi.jp/articles/20200521/k00/00m/010/196000c

 

ここでもう一つの重要な問題がある。それは、麻雀の相手が産経新聞の記者と元朝日新聞の記者だったことである。彼らの関係は、単に同級生などの知人であれば問題ではないかも知れないが、取材を有利にするために新聞記者が接近して創り上げた関係の可能性が高いだろう。

 

それは報道のあり方及び国家の情報のあり方の点でも、道義上大きな問題がある。また、それが情報を得るための接待麻雀であり、意図的に麻雀で負けることで多額のお金を提供していたとすれば、贈収賄の可能性もある。

 

その場合、黒川氏が大きな声でタクシーの運転手に語った10万円負けたというのは、所謂キックバックの可能性がある。そして、普段の負けとしてプレゼントしていたお金は、新聞社の取材費から支出されている可能性も考えなければならない。

 

 

4)犯罪の成立と刑罰を与えることの可否

 

犯罪の定義と処罰の多寡は、社会における正義の実現と安定の維持という観点から法で示されていると思う。このままで済ませることは、日本社会に賭博の「黒川基準」を定着させ、それ以下のレートの賭けマージャンを取り締まる根拠がなくなる。その結果風紀は乱れ、かなりの犯罪増加の原因となるだろう。繰り返すが、国民に知れ渡った黒川らの賭博行為は、当然刑罰の対象とされるべきである。

 

一方、例えば家庭内や知人間での遊興の範囲でのマージャンは、社会の風紀上の観点、或いは、こどもたちへの教育的観点などから、問題がないというコンセンサスがあれば、事件化することはないだろう。その範囲とは、「明日の昼飯を奢るという程度である」と上記TV番組「バイキング」で東国原氏は語っている。この線引について、若干考察してみたい。

 

人が生きる上での行為は、他人が生きるための助けになったり障害になったりする。そのプラス・マイナスを合計して、大きなプラスに導くことが社会の作って生きるメリットである。この時、大きなマイナスが生じる行為を犯罪として処罰する制度が導入される。ただし、小さなマイナスを含めて全てのマイナスを犯罪として罰すれば、その社会は住みにくくなり人々は幸せでなくなる。

 

学校で社会科を教育する際、全くの自然状態(原点)から高度な文明社会を作る思考実験をすれば、法律や法治主義が理解されるだろう。そして、世界の環境が変わったときに、法改正の必要性の提案やその評価ができるだろう。その教育が、民主主義の大切なプロセスである。

 

この社会のルールを考える際、社会の構造も同時に考える必要がある。つまり、社会は「私(プライベート)」と「公(パブリック)」の二重構造だけだと考えるのは、簡単すぎる。「公」の中にも、会社、協会、学校、同好会など多くの組織がある。そのような多重構造を考えた時、上記の小さいマイナスと犯罪となる大きなマイナスの境目は変化して良い。

 

そのように考えて、学校での虐めや子供に与える体罰などの基準がもうけられるべきである。つまり、運動部のビンタも相撲部屋の可愛がりも、そのまま暴行罪となっては、そのような伝統社会は崩壊するだろう。それらの基準は、文化の一部を構成するであり、その文化はその社会の内部の者にしか理解されない。(補足2)

 

近年、西欧文化を無批判に取り入れる風潮にあり、それがマイノリティーの権利保護という形であったり、女性の権利拡大だったりする。しかし、その線引を考えるのは日本文化の下で生きる我々日本人である。

 

以上は一般論である。今回のケースを当てはめると、会社の仲間で昼食を賭けてマージャンをするくらいの賭けマージャンは犯罪としなくても良いということになるだろう。一方、言論や報道の自由を犯す可能性のある(補足3)、マスコミ関係者と検察庁幹部との間で行われる賭けマージャンは、厳格に法の規定を読むべきである。

 

繰り返しになるが、どのように考えてみても、黒川氏の麻雀賭博は刑罰の対象になり、「訓告」処分は国民を愚弄するものである。安倍総理は任命責任は自分にあると言っているのだから、その言葉に従って辞任して、その責任をとるべきである。安倍の「任命責任は自分にある」は、国民全てが聞き飽きていると思う。それが内閣支持率の急降下の理由である。https://mainichi.jp/articles/20200523/k00/00m/010/178000c

 

(午後6時に大幅改訂しました。)

 

補足:

 

1)パチンコ屋で遊んだ人は、パチンコ玉を一旦景品に替えて、それを景品買受所で金銭に替える。このパチンコ屋の工夫は、この規定を意識してのことである。品物を賭けたとしても賭博は成立する。

 

2)「犯罪」という言葉は、殆どの場合行為の本質に関する定義ではなく、司法から処罰を受ける行為と定義される。そうすると、黒川検事長が刑事的に処罰されなければ、「賭けマージャンは賭博でない」ということになる。或いは、刑法185条に「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する」以下の但し書きを、「ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるとき、及び検察官の場合は、この限りでない」にしてもらいたい。

 

3)言論と報道の自由は、社会の為のルールであり、報道機関の為のルールではない。そうでないと、報道機関を名乗りながら、プロパガンダの自由を保障することになる。

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