2021年3月17日水曜日

文明崩壊のプロセス:政治経済相関図を作って考えた

1)政治経済相関図:

 

3月11日にリバタリアンの系譜という題で記事をかいた。そして、米国でリバタリアン党を立ち上げたデイビッド・ノーランが作ったノーランチャートを引用した。そこでは、座標軸として、個人的自由と経済的自由をとり、原点の反対側の位置をリバタリアンの位置とした。

https://en.wikipedia.org/wiki/Nolan_Chart

 

リバタリアンはリバタリアニズム(自由主義を最重要と考える立場)を主張する人であり、リバタリアニズムは、日本では自由至上主義、完全自由主義、自由人主義等と訳されているようだ。(ウィキペディア参照)ここでは単に自由主義とする。それらの訳語も今ひとつ理解しにくいからである。

 

その拡張版を作ってみたらどうなるだろうかと考えたのが、今日の最初のテーマである。素人ながら思い付いたのが、下の図である。座標軸は、その社会が重視する項目を感覚的に表示しただけであり、基より定量性はない。原点付近に、中世的な独裁政治を置いてみた。

 

ここで、3つの軸(角を丸めた四角)を説明する。人権は個人の自由と同じで、経済は経済活動の自由度を示す。これらは、ノーランチャートと殆ど同じで、新たに政府の相対的大きさを意味する政治軸を加えた。

 

面の意味は、角張った四角の中に書いた。政府の大きさが最大な面は、社会主義の国を表す。政治の拡大をめざさない面を、保守主義に割り当てた。保守は歴史に学ぶので、その範囲の進歩は当然のものとして、同じ面に置くことにした。人権に配慮をしない社会は、底面の独裁政治であり、最大配慮の社会を大衆迎合社会とした。

 

中国共産党支配の体制は、経済活動を共産党員という貴族階級が担い、人民一般に自由がないので、人民の立場から図の位置に置いた。経済最優先の面をグローバリズムとしたのは、ニューヨーク・ウォール街の金融資本家の目指す方向に対する筆者の理解である。

 

つまり、グローバリズムの人達、特にGAFAなどビッグテック人達は、国境を無くすという政治思想に隠れて、実際は経済至上主義者だと考える。彼らにリバタリアン(リバタリアニズムの信奉者)という名称を与えるのは、適当でないように思う。

 

彼らは、表向きには自由主義を世界に拡散させると云うが、本音は単に金儲け至上主義だろう。従って、中国共産主義とも融和的になり得るのだと思う。

 

原点から最も遠い位置を、将来の理想社会である高度AI社会とした。AIが何もかも熟す時代には、人は結果的に自由だろう。論語の中にある、「心の欲するところに従えども矩を踰えず」という意味の自由だが、現実的ではない。政治が全てを決めても、その役割は小さいだろう。

 

2)文明の崩壊:

 

ここで、この立方体で表した文明のマトリックスは、本来風船のようなもので、人類が数千年という“しばらくの間”経験する「文明バブル」かもしれない。つまり、この座標軸の枠組を大きく保つには、文明の力が必要である。人々がこれらの3つの軸を支える能力を失えば、つまり人類が文明の力を喪失すれば、このマトリックスは原点に萎縮すると思う。

 

文明の力は、真理に対する畏敬の念を背景にした「科学」という集団思考(補足2)が生み出したものだと思う。真理は、自然と神の掌中にあり、人間が持てるものではない。真理や善悪を、軽々しく人間が決定する行為は、神の領域を侵犯することである。嘘の話を前回書いたが、嘘は控えめに恥を偲んでつくものである。

 

つまり、人は文明社会において傲慢になった。ある人達が政治の道具として考え出したポリティカルコレクトネスなる一連の価値の勝手な創造は、彼らの神の掟に背く行為の筈である。そして、人類は何が善で何が悪かを失い、やがて人類に文明の崩壊が訪れると思う。(補足1)

 

今日、札幌地裁において、同性婚禁止は憲法違反であるという決定がなされた。これは、自然の摂理を無視した判決であり、現在世界政治の中心に座っている上記マイノリティの人達に洗脳された結果である。

 

文明崩壊は、3つの軸が同時に同じ程度に萎縮するのではなく、国により民族により、萎縮の軸が異なるだろう。例えば、共産党支配の中国は、現代の独裁に向かい、そこから原点(中世独裁)に向かう”収縮”を経験すると思う。自由主義の米国も、現代の独裁から同じルートを取ると思う。

 

日本は現在、自由主義と衆愚政治の間にあると思う。衆愚政治から原点に経済の収縮が起こる可能性がある。

 

「高度AI社会」に到達する前に、人類は環境汚染、資源不足、天候不順、人口過多などに何れ苦しむことになる。その前に、文明の収縮という形で、上記バブルの崩壊の準備として、現在のグローバリズムが始まったのだろう。

 

(2021年3月18日早朝、編集後最終版とする)

 

補足:

 

1)世界に分散したある人達が、政治を支配するための道具として考え出したのが、マイノリティの権利拡大という方法論である。それを体系化したのがソーシャルコレクトネスなる一連の価値基準である。しかしそれは、善悪を自分勝手に決める行為であり、神の教えに背いている。彼らは棄教の民なのかもしれない。かれらが政治と経済を支配したのち、人類は何が善で何が悪かの基準を失い、文明の崩壊が訪れるだろう。今日(3月17日)、札幌地裁において、同性婚禁止は憲法違反であるという決定がなされた。これは、自然の摂理を無視した判決であり、上記のマイノリティの人達に洗脳されていることを示している。

 

 

2)科学は、学会というオープンな組織でのフラットな議論の中で維持され、発展した。それが政治や経済の枠組みでは、不可能だろう。膨張する文明マトリックスの中でのみ、準安定な政治経済枠が維持されるのだろう。因みに、マトリックスとはそれらシステム全体を産み育てる容器のようなものである。

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